番外編_第2話

 全然、進展も収穫も無いままで時は過ぎていく。でも菜月に再度泣き付いてみれば「もうちょっと続けてみなさいよ」と言われる始末。他に意見を求められる友達が居ない私は、結局、素直にそのまま続けていた。最近の悠子ちゃんはそろそろ困った顔すらしなくなり、むしろ楽しんでいるようにも見えて、私は改めて途方に暮れていた。

「強敵ね。やっぱり身体で落とすしかないか」

「……本気で言ってる?」

 再び菜月とカフェでお茶をしながら相談していると、そんなことを言われた。また揶揄っている、と思ったのに、睨もうとして見つめた菜月の顔がやけに真剣で、確認の言葉になってしまった。

「いやー、そりゃベッドに押し倒せとは言わないけどさ、本当に少しも詩織に性的な興味が無いのかな。谷間とかチラつかせてみたら?」

「もうした。まるで視線を感じない」

「うける」

「うけない」

 眉を寄せる私とは対照的に、菜月は肩を震わせて笑っている。腹立たしい。悠子ちゃんから全く反応を得られなかった時の私の落胆と悲しみがどれほどのものだったか、目の前に出して示せればいいのに。……出来たとしても、菜月には指を差して笑われそうだけど。

「最大の露出はもう水着くらいかー」

「水着……うーん、プールに誘うとか?」

「そうね」

 時期的には悪くない。そろそろ梅雨が明けようかというこの季節。暑さも増してきた。他のお出掛けよりは勇気が要る場所だけど、それより、悠子ちゃんの水着姿が見たくて仕方がないと思った。自分が見せる側の作戦を立てている真っ最中だったことを、危うく忘れるところだ。

「それで駄目なら、もう詩織に色気が無いんだわ」

「ねえ、酷い」

「あはは。でも真面目に言うとさ、そこまでやって無反応だったら一旦そっち方面のアピールを控えた方が良いかもよ? むしろ苦手なのかもしれないし」

「えっ」

 その発想は無かった。だけどそう考えたら納得も行く。と言うか、そうだったとしたらアピールのつもりだったものが逆効果の可能性も出てきてちょっと青ざめる。今までも勿論、下品じゃない範囲でしか試みていないけれど、そっか、それも何処かの時点で判断しなくちゃいけないのね。難しい顔でテーブルの何も無い一点を見つめていた私を、菜月が可笑しそうに眺めていることなんて、少しも気付かなかった。

 プールに誘う前に、まずは水着を一緒に買いに行った。振り回し継続中。

 本当は、試着の時点で色々と私の水着姿を見てもらおうって思っていた。そういう時なら、流石に私のことをちゃんと見てくれるだろうからって、いつになく気合を入れていたんだけど。……悠子ちゃんの水着姿があまりに格好良くて可愛くて、自信が無くなってしまって、見せられなかった。自分の容姿に自信を無くしたのは生まれて初めてだった。当日までに、心の準備をしようと思う。

 と、失敗してしまった計画に軽く落ち込んでいたんだけど。

 予想外に、お付き合いすることになった。

 プールに誘う時、泊まりで行こうって、実はそんなに下心を込めて言っていなかった。正直、悠子ちゃんだから軽く「いいよー」って返してくると思ったし、どうせ一緒に寝たって何ともないんでしょって、拗ねた気持ちがあったのも事実。

「流石に、同じベッドは手を出しますよ」

 一瞬、何を言われたのか分からなかった。泊まりで出掛けて一つのベッドで寝ても何も無かったよ、なんて、そんな情けない報告を菜月にしたら、どんな言葉で揶揄ってくるんだろうなとか、そんなことばかり考えていたのに。

 真っ白になった頭で深く考えずにぽんぽん話していたら、いつの間にかすごく恥ずかしい発言もしてしまったけど。最後には彼女の方からきちんとお付き合いを申し込んでくれて。当然、私は迷わず頷いた。嬉しい気持ちは確かにあったけど、突然すぎて、正直まだ何が起こったのかよく分かっていなかった。

 帰ってすぐに、菜月に電話を掛ける。一回で取ってくれなかったから三回掛けたら第一声で『うるせえ』って言われたけど、ごめんって言葉も出てこなくて「付き合うことになった」って言った。

『え、うそ、水着に反応したの?』

「水着でじゃなくて!」

 つい怒鳴るように返してしまったものの、今日、悠子ちゃんに私の水着姿を沢山見てもらう計画だってことは菜月には事前に全て話していた為、そんな誤解をされるのは仕方がない。その計画が私の自信喪失によって全て失敗したことを早口で告げた後、付き合うことになった経緯も同じく、早口で説明した。菜月は『はー』と感心した声を漏らした後で、『まあもう脈があるのは知ってたんだけどね』と続けた。

「は?」

 多分、今まで生きていて一番の低い声が出た。

 私の反応に、電話の向こうで菜月がくつくつと笑っている。は?

『詩織は今まで露骨な下心でアプローチされた経験しかないから分かんないんでしょうけどね、好きでもない相手に無限にそんな甘ったるい対応してくれる人なんて普通は居ない』

「……しばらく続けろって、言ったのは」

 身体中から力が抜けていくような感覚と同時に、心臓あたりから沸々と感情が湧き上がる。

『ずっと甘かったら間違いないなー、って。ついでに詩織がいつ気付くかなーと思って』

「言ってよ! 私は本気で落ち込んでたのに!」

『めちゃくちゃ愛されてるのに落ち込んでてすごく面白かったわよ』

「もう嫌い……」

 子供みたいな私の返事に、菜月は声を上げて笑っている。だけど笑いを落ち着かせてから続けられた声は、やけに優しかった。

『多分だけど、悠子さんって、自己評価が低い人じゃない?』

「……うん。どうして分かるの?」

『詩織にあからさまなアプローチしなかったから』

 菜月は、悠子ちゃんが私に対して『自分じゃ無理だ』って最初から結論付けているみたいだったと言った。だから、私は対象外にされていたんだって。

『付き合うことになった今も同じように思ってるかもしれないし、詩織はきちんと愛情表現しなさいね。過多で丁度いいわよ』

「分かった。頑張ってみる。ありがと」

 電話を終えて一息吐いた頃、悠子ちゃんからメッセージが来て飛び上がった。けど、ちょっと現実に引き戻されたというか、幸せな気持ちに冷たい水が入り込んだ心地になる。

『ちゃんと申請、します?』

「……しないつもりだったの?」

 声にそのまま出たことをメッセージに打ち込んで送った。もうちょっと優しい言い方もあっただろうと直後にハッとする。菜月が見ていたら呆れた溜息を吐かれそう。私は申請したい。そう思ってるってまず伝えるべきじゃないかな。愛情表現しなさいって言われたばっかりだったのに。慌ててメッセージを打ち始めたところで、悠子ちゃんからの返事が届いた。やや不安な気持ちで開いたら、悠子ちゃんも申請したいって言ってくれて、安堵する。同時に、反省する。打ちかけだったメッセージをきちんと打ち直して、すぐに送った。

 申請、かぁ。

 それは勿論するんだけど、すること自体に憂いは少しも無いし、悠子ちゃんと一緒に申請できることが嬉しくて仕方ない。ただ、……お父さんに報告はどうしようかと考える。運営側の誰かが気を回してお父さんに伝えてしまったらどうしよう。隠しておきたいとは思わないけど、まだちょっと恥ずかしい。どう伝えよう。絶対、会いたいって言うだろうな。流石にまだお父さんを悠子ちゃん紹介するのは、勇気が要った。私のお父さん、独特だから。いくら悠子ちゃんでも引くかもしれない。ご対面はまだ少し先に延ばしておきたい。

 だけど黙っていて何処かからお父さんにバレても気まずいし、いくらお父さんでも、隠されていたって知ったら傷付いてしまうかも。お付き合いしている人が居ることだけを告げて、恥ずかしいから紹介するのはもう少し待って、とお願いするのが無難だろうか。ただ。

「恥ずかしいって気持ち、理解してくれるかなぁ……」

 私のお父さん、本当に、すごく、独特だから。

 とりあえず、今月は団体の活動の為にあちこち出張しているみたいで、近くには居ない。そもそも私も就職してすぐに家を出てしまって一緒に住んでいないこともあり、お互い都合を合わせて約束しなければ偶然会うようなことも無い。次に会う時までは、ちょっと保留にしよう。

 そう思って先送りにしようとしたのに、たった数日の内にお父さんから「週末に一緒に食事しよう」という誘いの連絡が来た。あまりのタイミングに、早速、知られてしまったんだと思った。

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