第15話 (完)

「一緒に居て、疲れない人だな、って思って」

「分かります」

 琴美が神妙に頷いてる。さっきお父さんの話してる時も二人って同意見を繰り返していたと思うんだけど、もしかして二人の方が気が合うのかな? まだ冒頭なのが分かるのに妙にそわそわしてしまう。この話どれくらい? 一分くらいで終わる?

「気の遣い方がわざとらしくなくて上手で、普通だったら勘違いするような特別扱いもしてくれるのに、でも結局、あんまりこっちを見てないんですよね」

「そういうとこあるー!」

 琴美が力強く肯定した。どういうところ? ちょっと今のくだりは意味が分からなかった。見てたでしょうが。詩織ちゃんしか見てなかったでしょうが。でも初めて二人で泊まったホテルでも同じこと言われたのを思い出す。だから、つまりどういうところだろう。考えようとしても、二人が話を続けてしまうので思考する暇は無かった。

「悠子ちゃん、自己評価が低いせいで好意とかが『返ってくるわけ無い』って思ってて。だから本当に、ちょっとした気遣いも、優しさも全部、見返りを求めてなくて。……度が過ぎてて呆れることも多いんですけど」

 文句か? 今のはちょっと不満を示されたぞ? でもちょっと具体性に欠けるので何処を治したらいいのかがまた分からない。もしかして後でちゃんと聞いた方が良いかな。

「だけどそういうところが疲れなくて、お姫様扱いもくすぐったいけど重くなくて、いいな、って。ほとんど第一印象でそう思ってて」

「ええー、へえー」

 思わず驚いて声を出せば、琴美が「他人事かよ」とまた呆れた顔を私に向ける。ねえちょっと。味方が居ない。この席を設けたのは私なのに、そして此処は私の家なのに、どうして一番所在が無いのが私なのだろう。

 その後も詩織ちゃんは理由の説明と言うよりは今まで溜めていた不満のようなものをつらつらと琴美に説明し始めてしまった。

 連絡先を私から渡された時、もしかしたら脈ありかもしれないと期待して、でもその後のやり取りでもクリスマスの話題が結構あったのに当日には一切連絡なくてがっかりしたとか、バレンタインチョコ買いに行こうって言われてデートみたいだって浮かれたけど普通にお友達のお出掛けの範囲で、脈無いかも、と思ってたらチョコくれて一瞬期待したのに、結局ただのお礼でまた落胆したとか、何か色々言われた。ちょいちょい「え?」「うそ」「ごめん」とか入れてみたんだけど、全部スルーされた。

「殴ってもいいですよ、こいつ」

「あはは」

 笑うだけじゃなくて「殴らない」って言って? 今はその可愛い笑顔も怖い。結構お姫様は色々私に鬱憤を溜めていたということだろうか。じっと横顔を見つめてみるも、引き続き詩織ちゃんからは視線が返ってこなくて、またふと何かを思い付いた顔で私じゃなくて琴美の方を見た。

「そういえば谷川さんに聞きたかったんですけど、悠子ちゃんってモテますよね?」

「あー、ええ。モテますね」

「はいぃ?」

 迷わず肯定する琴美を凝視する。琴美は私をちらっと見て、でも目なんて合ってませんって顔で逸らした。いや合ったでしょ。細い目でも今は頑張って見開いてるんだからこの距離だったらちゃんと分かるでしょ。

「全くモテないけど?」

「あんたは鈍いんだってもう五百年くらい言い続けてる」

「琴美って長生きだね」

 思わず突っ込んだらさっき以上の破裂音を響かせてまた太腿を叩かれた。同じ場所叩くとか非道にも程がある。さっきは笑ってたけど今のは普通に痛かったわ泣きそうだわ。

「えー、この顔だよ、モテるわけない」

「悠子ちゃん、顔の話しつこい」

「顔しつこいわね」

「それじゃ語弊あるでしょ? 顔はあっさりしてるでしょ?」

 私の訴えは至極真っ当だと思うのに、二人は息ぴったりに同時に同じ長さの溜息を吐いた。何なの。だから此処は私の家だから急に蚊帳の外にするのやめてよ。

「そりゃ派手な顔はしてないけど、普通に整ってんでしょうが。目が切れ長なことを狐って呼ぶやつは確かにいっぱい居たけどさ、あんなの全部やっかみだわ。あんた、めちゃくちゃ人気あったんだもん。嫉妬するやつもいっぱい居た。悠子は無駄に耳が良くて陰口聞きとっちゃうからさ、そういうのばっか聞こえたんでしょ」

 急にまくし立てるように一気に言われて言葉に詰まった。人気あったってところが分かんねえんだって言ってんだろって口から出そうになったけど、言ったら余計に怒られそうだから、何も言えなかった。私、相手から一方的にアプローチを受けるようなことが生まれてこの方、一度も無いのに。人気あったって言われても何の話なんだよ本当に。だけど、琴美は妙に言い切るし、詩織ちゃんは然もありなんって顔してる。意味が分からない。

「お洒落にだって気を遣ってるし、髪も肌も指先まで全身ちゃんとまめにケアしてて、悠子は色んな努力してる。それは顔にコンプレックスがあったせいで余計だったのかもしれないけど、ちゃんと成果が外に出てるわよ。大体、一八〇センチ超えるの普通に格好いいでしょうが。ほんっとバカ」

「褒められてんだか叱られてんだか……」

 ようやく言えたのはそんな言葉だ。前半部分は以前にも琴美には言われた覚えがあるが、『頑張ってて偉い』って琴美なりのフォローを伝えてくれたんだとしか思っていなかったし、今も半分以上その気持ちだ。それに、琴美だってそれなりに見目が良い人だから、友人として並ぶにしてもその辺りを疎かに出来なかった。そういう意味では、ほとんどが琴美の功績でもあると思う。

「私が悠子ちゃんに自覚してほしいのはね、悠子ちゃんが迂闊なのが嫌なだけだよ」

 迂闊ってお姫様には言われたくないんだけど? と一瞬思ったが、元より私に好意を抱いていたって話が本当なら、全部『迂闊』じゃなくて、敢えてだったのかな。それはそれで怖い。そして同時に、エレベーターホールで、琴美に「気を付けろ」と言われたことを思い出す。言われた時は聞き入れるつもりで聞いていたのに、少し経つとやっぱり「別に大丈夫じゃん?」って気持ちになる。もう一度言うが私は誰かから一方的に好意を寄せられた経験が無い。だから無いと思ってしまう。納得の出来ない顔を見止め、詩織ちゃんは眉を下げるとくすりと笑った。

「ナルシストになれとは言わないから、悠子ちゃんに好意を寄せる人も居るんだって、ちゃんと知っててね。私が居るんだから」

「あの、ええと、はい……」

 それを言われると相当、恥ずかしいな。そして返す言葉が無いな。事実、詩織ちゃんは最初から私を気に入ってくれていたと言っている。お姫様くらいの人が実例として存在しているんだから信じなさいと、かなり強引なお言葉だ。お姫様の言葉に、否の選択肢は無さそうだった。

「谷川さんが、父と結婚するなら」

「ぉわ、はい」

 徐に詩織ちゃんが話題を戻したので、琴美が俊敏な動きで背筋を伸ばす。普段なら可笑しくて笑ったと思うけれど、今さっき虐められたばかりで弱っていたので、と言うと更に怒られそうだが、何にせよ私はちょっとエネルギーが減っていたのでただその動きを見守った。

「私が良いと言えば、叔母は……父の妹が何か言うことは無いと思うので、その点はあまりご心配ないと思います。谷川さん側のご家族のことは、私には何も出来ませんけど……」

「いや、充分、むしろ義弘さんの娘さんがあなたで良かったっていうか、めちゃくちゃ気が楽になりました」

 言葉通り、琴美は憑き物が落ちたみたいにすっきりした顔をしている。泣いて多少なりと吐き出したこともあるかもしれない。何にせよ、二人が変に仲違いすることもなくて良かった。琴美にはこれからも色々あるだろうけど、詩織ちゃんは出来る範囲で助けてくれるって意味だと思う。良かったなぁ。

「琴美もママになるんだねぇ」

「あんたは黙ってて」

 ようやく回復して喋ったんだからちょっと許してくれてもいいのに。私だって琴美の前途が明るくて嬉しい気持ちがあるんですよ。言い方は悪かったと思うけどさ。

 話を終えた後、私と詩織ちゃんは駅まで琴美を見送った。夜には詩織ちゃんのお父さんと会う予定もあるらしい。ちなみに二人は、こうして顔を合わせて話をしたことを、お父さんに伝えないそうだ。結婚する話もまだ具体的には決まっていないということから、変に外堀を埋めるようなプレッシャーを掛けたくないという琴美の意見を飲んだ形になる。詩織ちゃんは「父はプレッシャーなんて感じないと思いますけど」と笑いながらも、了承していた。

「そもそも、『誰』を介して谷川さんと会ったか、って話になっちゃうから」

「あ、なるほど。うわ。そうだね」

 琴美の背中がもう遠く、改札の向こう側にあるのを見つめながら、詩織ちゃんが零した言葉にじわじわと緊張が襲ってくる。全く気付いていなかった。私、そうなったらもう部外者じゃないかも。

 私もいつか、詩織ちゃんのお父さんとお会いして、さっきの『冗談』じゃなくて本当に家族になる未来だって、あるかもしれない、のかな。どうだろう。そういえば琴美を「ママ」って呼んで遊ぶのが楽しくて「詩織ちゃんと結婚して」の部分を深く考えずに口にしていたけど、それ言ったらまた「そういうところ」って言われる気がする。やば。言い訳を考え……たら更に怒られるな。どうしよ。

 そんなことを考えながら立ち尽くしていると詩織ちゃんが徐に、手を繋いで、指先を絡めてくる。一瞬固まって、人の目が気になって、でも振り払うことなく見下ろす。詩織ちゃんは私のそんな一連の反応を可笑しそうに目を細めて、見つめていた。

「誰に何を言われたって、私は平気だからね。また睨んで追い払っちゃうから」

 琴美との会話の中で私が「人の目が気になる」「一緒に居る人まで言われるのが嫌だ」と吐露したことについて言われているのに気付いて、少しの戸惑いの後、私は彼女の手を握り返す。周りの目は、今もやっぱり、気にはなる。気にならない日は、来ないと思う。だけどこのお姫様が、今までに出会った誰よりも逞しいことだけは分かっていた。私を見上げる瞳は強くて、誰かの言葉で揺れる未来を少しも想像させない。ただ、そうは言っても今のお言葉に気持ちよく頷くことは出来そうにない。

「えーと、睨むのは控え目にね、危ないから」

 今のところ大事には至っていないが、相手が悪かったら揉め事になるかもしれない。そう思って注意してみるけれど、お姫様はいつもの不満顔をするだけだ。これ、もう少し時間を掛けて説得しないといけないやつだね? 後でゆっくりと話し合おう。神妙な顔でそんな決意を固める横で、繋がっている手がくいくいと引っ張られた。

「ねえ。悠子ちゃんの中で、私ってどれくらい特別?」

 いつかの夜と同じ質問をお姫様が投げ掛けてくる。あの日は戸惑って、意図も分からずに、答えられなかった。だけど今、彼女がもう一度これを問い掛けてきているのは、先程の会話の中で一つの期待する答えを見付けているからだと分かる。琴美と二人揃って散々私を鈍感だって言ってくれましたけどね、ちゃんと分かっているんですよ。今回は。今日二人の会話の中で分からなかった部分については、後で教えを乞いますけどね。

「世界で一番かってほど人の目を集めちゃうお姫様なんて、私からしたら天敵もいいとこなんだけど」

 人の目が気になる。不釣り合いで仕方ない。彼女の隣ほど、私が酷く揶揄される場所なんて無いかもしれないと思う。気にならない人からしたら『そんなこと』なのだろうが、私は今までずっと『そんなこと』が、私なりに、たまらなく苦しかったのだ。

 しかし『天敵』だなんて言葉を聞いても、詩織ちゃんはきらきらの大きな瞳で、期待を含めて私を見上げている。可愛らしくて、思わず口元が綻んだ。

「――『それでも』って選んじゃうくらい、特別で、大好きですね」

 繋がっていた手をやんわりと解き、代わりに彼女の身体を両腕で引き寄せたら、お姫様は今までで一番の可愛い顔で、笑ってくれた。

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