うるさいよ

「――っ!?」


 ガバっと、勢い良く体を起こす。頬と額には汗が伝い、呼吸が少し荒くなっていた。

「さっきのは……なんだ?」

 夢の中で狂ったように笑う僕はこの世の物とは思えない様相を呈していた。目はあらぬ方向を向き、左右の焦点が一致していない。あはは、あははと笑い脱力した口元からは涎がだらだらと伝っている。そして彼は、僕の部屋の中をらしていた。僕が意識を戻してから自室に戻った時の散らかり方とほとんど一緒のように見えた。

「ははっ、まさか……な。僕があんなふうになるはずが……ないよな?」

 やけに現実味のある気持ちの悪い夢を記憶の隅に追いやり、ベッドから出た僕はまだ少し眠気に襲われる僕を起こすために洗面所へと向かう。


 きらきらと、手の平に溜めた水が電球の光を反射し歪な模様を作る。数秒眺めた後、それを顔に掛けた。ヒヤッとした感触がほんの少し朦朧とした僕の意識を一気に覚醒させる。 

 ふと、時計を見る。壁に掛けられたそれは七時くらいを示していた。

「七時か……そういや、今日のお弁当作ってないか……購買でもいいけどどうせあいつらに金もとられそうだし、冷凍食品でも使って簡単に作るかなぁ……」

 洗面所から出た僕は着替えもせず台所へと向かい、徐に冷凍庫を開ける。中からパッと目についたものを手に取り、冷凍庫を閉める。

 手に取ったものはハッシュポテトとメンチカツ。これにミニトマトや何かを一緒に入れて、なぜか残っている冷ご飯を崩して弁当箱に詰めれば簡単ではあるが困るほどではない昼食ができる。「ここで余ったやつを朝ごはんに食べればいいや」と袋の裏側に描かれた解凍方法を見ながら適当に中身を電子レンジに放り込む。幸いなことに同じ出力、同じ時間でできるようなので、二つ一緒に温めてやった。


 ピピっという独特の電子音が百何十秒の経過を知らせ、その報を聞いた僕は電子レンジを開け、中から温められたばかりのハッシュポテトとメンチカツを取り出し、少し湯気の上がるそれを菜箸で拾い上げ、紙でできたカップで区切られた弁当箱の中に詰め込んだ。

 入りきらなかったものは適当に皿の上に盛り付けて、僕はそれを手に取り、食卓に着いた。

「いただきます」

 小さく発した言葉は誰もいないリビングの中に消えてゆく。

 大きく息を吐いて、皿上に大雑把に置かれたハッシュポテトを口に運ぶ。カチャカチャと箸が皿に当たる音が、僕が食べ物を咀嚼する音が、一人ぼっちの家の空気に溶け込み、消えていった。


「食べ終わったし、洗い物は帰ってからでいいや……」

 食べ終わった食器を流し台に放置して、適当に作った弁当を手に取り、自室へと戻る。そこで制服に着替え、必要物を学校指定の鞄に詰め込んでからそれを担いで玄関に向かう。適当に玄関に合った靴を履き、外に出て玄関の鍵をしっかりと閉める。

 いつもと同じ道、同じ時間。でも、何か違う。強いて言うなら、足取りが以前よりも少しばかり軽くなった気がする。兵藤さんのおかげなのか、はたまた僕の思い過ごしか、それはわからない。


 ――気づけば、校門の前にたどり着いていた。

全同じタイミングでそこに近づいていた僕の噂を知っている同学年の人間が驚いたような表情を浮かべ、目を逸らしながら校門を潜って行く。僕はそれに続くように校門をくぐり、校舎へと入っていった。



 下駄箱を開けると、中から何やら紙屑のような物がぼろぼろと落ちてきた。また馬鹿らしい悪戯をしているな、と心の中で奴らを軽蔑しながら、さっさと落ちてきたそれを集め、近くにあったゴミ箱の中に投入した。

 そして、教室に入った。クラスメイト共は目を天にして驚きの表情を浮かべる。なんだ、僕が来るのがそんなに嫌なのか?全驚く彼らを後目に僕は机へと向かい、鞄を置く。チャックを空け、中の教科書群を取り出して机の中に移動させていると、どこかから戻ってきた蒼空がこちらに駆け寄ってくる。

「昨日は連絡もなしにどうしたの?」

「いや、体壊しててさ……」

「なるほど、体調には気をつけてね」

 彼女はそれだけ言って、すぐにまたどこかへ行ってしまった。教室の戸が閉められた途端に聞こえるか聞こえないかという声でヒソヒソと「なんで君嶋はまた来たんだろうな。死んでたかと思ったよ」「蒼空さんも大変だよなぁ、あんなやつの相手して。海斗に何されるか分からないのに……」そう彼女に同情するような声や、僕を嫌う奴らの声が聞こえてくる。どうしてこうも酷い扱いを受けなければならないのか、甚だ疑問である。

 消え入るような声で「うるせぇよ」と呟いた僕は、教科書群と共に取り出された一冊の本を開き、この辛い現実から離れようとした。


 朝学活が終わり、担任に呼びつけられた。理由は多分、昨日の無断欠席のことだろう。そう思い、担任の元へ行くと、案の定そうであった。

「お前、昨日無断で欠席して、何があったんだ。君のような人間が休む時に連絡を入れないなんて珍しい」

「あー、昨日は両親ともども不在でして、僕自身がベッドの上から一歩も動けないような状態でして……」

 僕が言った二言だけで全てを理解したようで

「そうか、ならいい。別に問題になることはしていないだろうしな。だが、欠席する時はできる限り連絡を入れるように。わかったな」

 彼はそう言って、僕を解放した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る