予想もしない展開

 痛みはほとんど感じなくなり、猛烈な吐き気と混濁する意識に必死に抵抗する。

 しかしじわじわと込み上げる吐き気に抗いきれず、声にもならないような音を上げて吐瀉物が口から溢れ出し、周りにいる女子はきゃあと悲鳴を上げる。

「うおっ……吐きやがったぞこいつ!」

 リーダーはそう声をあげながらまた何度も何度もバットで殴りつける。肋骨の一本や二本、いや、内臓の一つや二つ潰れるか傷物になっていてもおかしくない状況だった。この痛みから逃れたかったのに、今すぐにでも解放されたかったのに、力を込めようとしても全く入らない。

「麻痺してる」

 そう確信した時、かくっという小さな振動と共に僕の身体から完全に力が抜け落ちる。周りに羽交い絞めにされてたとはいえ半分自力で立っていたようなもので、腰が砕けたのと同時に僕はしゃがみ込むようになり振り出されたバットは胸に直撃した。

「――っ!」

 心臓に大電流を流されたかのような衝撃が走り、全身を貫く。その衝撃によってか、それとも火事場の馬鹿力が出たのかは知らないが、弛緩していた筋肉の緩みが消えた。しかし胸に打撃を受けたことで呼吸がまともにできず、ひゅうひゅうとしゃくりあげるような呼吸になる。僕が胸を押さえて悶えているのにやり過ぎてしまったという恐怖感を覚えたのか「やべえ!」と皆一斉に四方八方に逃げ出す。

 全員が僕の視界から消えた時、あの地獄から解放されたのだと理解力が欠如した脳みそは何とか理解し、そして意識が飛んだ。



「……ん?」

 気が付けば僕は体育館に入るための小さな階段の上に寝転ばされていた。

「なんでお前がいるんだ……?」

 僕の頭上、正確に言えば横だが、そこには海斗がいた。予想もしていなかった人間を前に身体が強張ってしまう。またあの取り巻き達のように僕を痛めつけるのではないか、と。

「朔弥、痛みは引いたか?」

「ああ、おかげさまでな」

 彼の口から出るとは到底思えなかった言葉に一瞬たじろいだが、何とか当たり障りのない返答をする。しかし僕の口から放たれた言葉は普段以上に彼を煽るようなものになった。

「で、動けそうか?」

 しかし彼はそう言って僕の言葉を気にしようともせずに話す。それが僕には妙に感じられた。彼の言葉には何かとてつもない秘密を孕んでいるような、そんな違和感が。

「動けるよ」

 僕がそう返すと彼は

「じゃあ、行くぞ」

 そう言って強く腕を掴み、力任せに引きずろうとした。

「痛っ! 何するんだよ!」

 僕は痛みに耐えかねて彼の腕を振りほどいて立ち上がる。

「何って、連れて行くんだよ」

「どこにだよ」

「蒼空のところだよ。あいつが連れて来いって言ったからなぁ」

「……っ!? 蒼空が!?」

 海斗が理由を告げた途端、何故か体からすっと力が抜けてしまう。

「おい! ちょっと! やめてくれよ!」

 その瞬間に彼は僕の腕をアメリカの警察が抵抗する犯人を取り押さえるように背中側に回し、体の自由を奪う。肩が悲鳴を上げ、脊椎が少し軋むような音がした。


 そして僕は拘束されたまま半ば引きずられるような形でどこかへと連れて行かれる。情けなくズルズルと引きずられる僕に今までにないくらいの痛い視線が突き刺さる。

「おい、どこへ連れて行くんだ」

「蒼空のところ、としか言えないかな」

 僕が彼に問うと、すぐに一言そう返されてまたズルズルと引きずられる。


 彼にされるがままに引きずられていく。そしてたどり着いたのは近頃ずっと蒼空に来いと言われていた中庭だった。

 そこに着くとすぐに彼は僕を開放し、

「蒼空! 連れてきたぞ!」

 そう言った。まさか蒼空がこんな強硬策を取るとは思えなかった。いや、思いたくなかった。でも朱に交われば赤くなるとも言うから昔のような純粋無垢な彼女はもうここには存在しないのかもしれない。でも、後戻りができないレベルまで堕ちていないことを信じたかった。

 そして、僕の真正面にいる彼女の存在を確認しようと顔を上げる。



 普段教室にいる時とは全く違う軽く着崩された女ものの制服、雪のように白く艶やかな肌と明るく滑らかに少し光を帯びる栗色の髪、そしていつか彼女と出かけた時に渡した琥珀調の髪留め。そこにいたのは間違いなく彼女、宇上うがみ蒼空そらそのものであった。

「蒼空……なんで……」

 僕の想像以上に暗黒面に足を踏み入れてしまった彼女を見て茫然としていると、彼女は僕を無理くりここで連れてきた海斗に向けて

「ありがとう。お疲れ様、じゃあ、正門の前で待っててくれない?」

 笑顔でそう言うと、海斗は

「わかった」

 そう一言返事をして、自分の鞄を肩に担いで歩いて行った。彼女はもう踏み入れてはいけない所まで本当に足を踏み入れてしまっていたと、そう確信した。そう確信できるほど、ヤンキーの装いをする彼女が板についていたのだ。



 しかしヤンキーと化した彼女は取り巻きの二人が遠くへ行ったことを確認した途端、先ほどまでの険しい表情から一転、かつて僕を心配して向けてくれたあの柔らかい表情を僕に見せた。

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