後戻り
彼女のスマートフォンに写されたのは昨日のあの映像。僕が海斗の取り巻き達に金属バットで暴行を受けている瞬間の映像。
「すごいものってのは、これの事だったのか……」
想像通りの映像にうんうんと納得していると、彼女はまた自分の方向に寄せて何度が画面をタップし、音量を少し上げてからこちら側に向ける。そして再生されたそれは前に見せられたスクリーンショットに写っていた通話の録音だった。
「……で、これ。仲間が撮ってたとか言ってたけどどうせ君が撮らせたんだよね?」
「いや、仲間が撮ってただけだ」
「嘘だ。私は全部わかってる。取り巻き君から聞いたもん。『海斗に撮れって言われた』って」
「なっ……!?」
彼女の決定的な一言によって海斗の声が一瞬震える。
「で、君は取り巻き君……
寸刻の沈黙が流れ、直後に海斗が口を開いた。
「ああ、そうだよ。動画を撮れって言ったのは俺だ」
「ふうん、そうなんだ。馬鹿みたいね。じゃあ、おやすみなさい」
そこで通話は途切れる。
スマートフォンのスピーカーから流される彼女の声は怒りに満ちており、何時しかに聞いたような普段の姿からは想像できないような低く、威圧感のある声だった。
「……こんなことが起こってたのか?」
「うん、まぁね。いや~元から信用してなかったけどまさかこんなにクズだったとは思わなかったな」
大真面目に質問した僕に対して彼女はけらけらと笑いながら返答する。
「そうだ、さっきの動画と音声送っとくね。告発するなら使えるでしょ?」
「ああ、ありがとう。貰うよ」
メッセージアプリを起動して、例の動画が送られてくるのを待つ。数秒後にタイムラインに二本の動画が出現し、それが出てきたのと同時に端末に保存した。
「ありがとう。これで心置きなくあいつらをいたぶることができるよ。と言っても痛めつけるのは僕じゃないんだけども」
「いたぶるのは生徒指導部の先生だね」
「そうだね。でもこれくらいの規模なら謹慎、停学では済まなそうだな……退学になっても不思議じゃないぞ……」
「私は退学になってくれれば嬉しいな。だってあんな奴の顔なんか見たくない。なるべく早めに出した方がいいからさ、明後日の朝か放課後にでも指導部に持っていこうよ」
「そうだな、そうしよう」
そう一旦会話を終わらせた僕はずっと手に持っていたスマートフォンをポケットにねじ込んで
「なあ蒼空、この後どうするの? もう解散する?」
そう彼女に聞いた。すると彼女はメッセージアプリを操作しながら
「いや、まだ。いいお客様をここにお迎えしちゃうから」
そう言い、僕に小さく笑顔を見せた。
「いいお客様……あぁ、なるほど」
「わかっちゃった?」
メッセージを送り終えたであろう彼女は画面を膝の上に伏せてけらけらと笑いながらこちらに体を寄せてくる。
「さっきまでの話の流れだったら海斗一択だよな」
「正解! この際だしもうすっきりしちゃおうと思って、ね?」
朝の澄んだ空を見上げながらそういう彼女の横顔に一瞬心が震えた。それに見惚れていれば彼女はまた膝に伏せたスマートフォンを持ち上げ、誰かにメッセージを作成し始める。そして彼女がメッセージを送信した直後、僕のスマートフォンが震えた。
ポケットから取り出して中を覗いてみると、案の定彼女からのメッセージだった。
「さっき謝ってもらったけど、謝るからには何かしてもらわないとね~?(11:08)」
何か悪いことを考えていそうな小動物のスタンプも添えられたそのメッセージ
「あの~、これはどういう……」
少し引き攣った声になりながら僕は彼女に問うてみた。
「どういうって、そのままだよ? あー、何してもらおうかな……?」
彼女の全身を舐め回すような意地悪な視線は僕を丸呑みしそうな蛇のような鋭さと、何かを期待するような妖しいきらめきを孕んでいる。
「で、蒼空は何をしてほしいんだ?」
「ん~……じゃあね……」
彼女は立ち上がり、口を開く。
そして彼女から発された言葉は僕にとって衝撃的なものだった。
「私を抱いてよ」
「……は? 何を言ってるんだ?」
考えてもみなかった彼女の言葉に動揺を隠せなくなり、思わずそう零してしまう。
「いやだから、前にあれだけ言って謝るんだからこれくらいはしてくれないとね」
「いやそれでも限度ってものが……」
「限度? ただぎゅーってしてくれるだけでいいのに? 昔からずっと同じことをしてきたのに?」
あるだろう。と言おうとした瞬間、彼女にそう言葉を挟まれる。
「……そこまで言うなら仕方ない……のかな?」
僕はそう呟くと意を決して立ち上がり、真正面にいる彼女のくびれた胴あたりに引き寄せるように手を回す。その直後、彼女は胸元に倒れ込むように身を預け、そして僕と同じように背に手を回した。
――ふわり、と彼女の甘い香りと柔らかい温もりを感じる。
これまで幾度となくしてきたことなのに、その何回、何十回の中で一度も感じたことのない感覚を覚える。そしてそれは僕がこれ以上後戻りできなくなっていることを確信させた。
「なんか、浮気してるみたい……実際してるようなものだけどさ」
僕の胸の内で、彼女がそう小さく呟いた。
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