いただきます
「あそこに朝食が置いてあるから、机に持って行って食べなさい」
彼女は調理台の上に置いてあるドームカバーを指差した。
「ありがとうございます」
僕はそう言ってそのドームカバーを開ける。カバーの中には魚の塩焼きと米飯、漬物、焼海苔と言う誰しもが想像するような簡素な和の朝食だった。
僕はそれを部屋の隅に置かれた机に持って行って、窓を背にして座る。僕が
窓側に座るのを見た彼女はてくてくとこちらに歩み寄り、僕の真正面に座った。
「……お仕事、戻らなくていいんですか?」
不思議に思った僕は彼女に聞いてみた。
「ああ、この時間は列車も来ないからな。正直暇なんだよ。だからこうやって話し相手ができて嬉しいよ」
初めて会ったときのあの無表情はなんだったのかと不思議に思うくらいの笑顔で彼女は話す。本当に暇を持て余していたのだろう。
「ほら、早く食べなさいな」
「はい、いただきます」
僕は軽く手を合わせて目の前の駅員さんが作った朝食を頬張った。
もぐもぐと、静かな空間に僕が朝食を咀嚼する音が小さく響く。暇という彼女は喋りもせず、僕が朝食を食べている姿を見てにこにこと幸せそうな笑顔を浮かべていた。
「……なんでずっと笑顔なんですか……?」
ずっと笑顔で眺めてくる彼女が何をしたいのか全く分からなかったから思い切って聞いてしまった。
「いやぁ、私が作ったものをたれかが食べるなんて久しぶりだったから……ちょっとうれしくてね」
「なるほど……」
僕はそう小さく呟いてから、また朝食を頬張った。その間もずっと彼女は僕のことを眺めていた。
「ごちそうさまでした」
「はい、お粗末さまでした」
「すごくおいしかったです。ありがとうございました」
「美味しかったのならよかった。こちらこそありがとう」
空になった食器を調理場の流しに持っていき、そのまま皿を洗う。ごしごし、ごしごしとへちまのような束子で皿をこする。台所用洗剤がないというのはかなり不便だった。魚の油汚れがなかなか落ちない。
何度も何度も同じ場所をごしごしとこすり力技で汚れを落とす。
一通りすべて汚れが落ちたと確信した僕は皿洗いをしている途中ずっと後ろから僕のことを呼んでいた彼女の前、僕が朝食を食べるときに座っていた場所にまた座った。
「ずっとそこにいましたけど、仕事に戻らなくて大丈夫なんですか?」
「ああ、大丈夫だ。さっきも言ったろう」
「……本当に暇なんですね……」
「うむ、いつもはすごく暇だ。本当にやることがないからな」
うんうんと頷きながら彼女は僕の質問にぽんぽんと答えを返す。僕と話している時の彼女はすごく楽しそうな顔をしていた。
「……そういえば、名前を言っていなかったな」
ふと彼女が思い出したように言葉を零した。そしてそのまま続けて
「私の名前は
「ふぇっ……」
唐突な彼女の提案に思わず変な声を漏らしてしまう。変な声を上げる僕を見て彼女はにやにやと少し気味の悪い笑顔を浮かべながら
「兵藤さんから聞いたぞ~? 「自殺しようとしてる彼、原因はそういう話かもしれない」ってねぇ。いやぁ、こんなこと言っちゃいけないが、面白いねぇ」
「面白いってなんですか……こっちは死にかけたんですけどね……」
「相当凄いことが起こってたんだな……で、色恋沙汰なのか?」
彼女は少し深刻そうな表情をしてからコロっと表情を変え、目を輝かせて僕に尋ねてくる。もはやここまでくると何か清々しいものがある。
「まあ、色恋沙汰と言えば色恋沙汰なんでしょうね……」
「それはどういうことだ?」
「いや、僕にもわからないんですよ。いじめ……僕にちょっかいを掛けてくるやつが僕の幼馴染が好きで、僕と仲良くしてるのに嫉妬したとか……そういう類だと思います」
「で、君はその幼馴染は好きなのかい?」
「え?」
彼女から発された唐突な質問に僕は素っ頓狂な声を上げてしまう。
「いや。だから君はその幼馴染が好きなのかって聞いてるんだよ」
「いや……好きなのは……好き……ですけど……」
言うにも言いにくくて、少々吃ってしまった。
「好きなのか好きじゃないのかはっきり言う! そんなんじゃ愛人の一人もできないぞ?」
そう少し言いたくても言えず小さく体をくねくねとさせている僕を見て彼女は強く言う。当の僕はその彼女の勢いに押されて、言った。
「好きです! 彼女のことが、大好きです!」
「よし、よく言った。この調子ならたぶん大丈夫だろうな。偉いぞ~少年」
真幸さんが手を伸ばし、さわさわと優しく僕の頭を撫でる。
――久しぶりに感じた、異性の温もりだった。
「そういえば、兵藤さんはどこにいるんですか?」
朝目が覚めた時から彼の姿は一度も見ていない、気になってしまったのでこの少し幸せな雰囲気をぶち壊すのを覚悟で彼女に聞いてみた。
「んー、たぶん、あと二時間ほどしたら帰ってくるかもな……」
「そうですか……」
結局雰囲気が壊れることもなく、その後も少しの間ずっと彼女は僕の頭を撫で続けていた。
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