真実

顰蹙

悪夢は後から

 目が覚めた時、僕は学校に行くか行くまいか迷った。昨日あんなことがあったから。でも今、僕は校門の前に立っている。少し前に決めたように、何にも屈さず、何があっても毅然とした態度で振る舞い、何事からも逃げない。すべてを受け止めてやる。そう心に喝を入れて校門を潜った。

 蒼空なんてもう必要ない。たかだか幼馴染だった奴だ。今までもただただ僕のことを憐れんで傍に居てくれたわけで、それすらも飽きて僕の敵に回ろうとしたのだから、僕にとってもう必要ない存在だ。

 ブービートラップのごとく下駄箱に仕掛けられている悪戯も潜り抜けて教室にたどり着いた。

 教室のドアを開けると、海斗がこちらを見て指を指し、ゲラゲラと笑っている。まったく、どのような生き方をしたらこんな能天気な奴が生まれるのだろうかと思えるような実に馬鹿らしい笑い方をしていた。

 馬鹿のような彼を後目に自分の机へと向かっていると、後ろから

「おはよ!」

 と蒼空に声を掛けられる。僕は鞄を机に置いてから彼女の方を向いて

「なんだ? 冷やかしに来たのか? それならさっさと帰って奴と一緒にいるんだな」

 そう海斗のいる方を指差しながら冷ややかな調子で言ってみる。彼女は少し寂しそうな表情を浮かいべているが、こうなるのも仕方のない話である。だって、僕にとって実害が出る可能性がある人間と喋るなんて有意義な話ではないだろう。


 そのままどこかへ歩いていく彼女を後目に僕はカバンから教科書たちといつもの本を取り出した。栞の挟まったページを開くと、いつもはわくわくとした未知の世界が広がっている。だが今日は、ただの文字の羅列を眺めているだけのような感覚になっていた。

全決してこの本が面白くない超駄作という訳では無い。どちらかと言うと、世間一般には『名作』と呼ばれる代物だ。

――でも、全く面白く感じなかった。

全いつもは楽しく、嫌な現実を忘れることの出来る読書の時間が、今日は大変憂鬱な時間となった。


 そして、本を読むことを諦め顔を上げると時計は始業五分前を指し、教室内は急ぎ足で来た生徒や用事を済ませて帰ってきた生徒達で少々騒がしくなっていた。




 始業を伝えるチャイムが響き、担任が話を始める。話と言っても重要なものではなく、適当な世間話のようなもの。少し目の焦点を別の位置に変えてやると、机に突っ伏して寝ているやつ、先生の話そっちのけで今日提出しなければならないレポートに目の下にくまを溜めつつ鬼の形相で取り組んでいるやつまでいた。切羽詰まるほど課題を放置する人間の精神がよくわからないなと思いつつきょろきょろと周りを見渡していると、ふと例の奴と目が合った。

 そう、海斗である。彼は僕を煽りたいのか、この世の物とは思えないほど君の悪い笑顔を浮かべ、こちらを凝視してくる。一瞬苛立ちを感じたが、こんなことにいちいち腹を立てるのも癪だったので、僕はそのまま別の方向を向いて彼の存在を視界の外に追いやった。

 彼の存在を隅に追いやってまた周りをきょろきょろと眺めていると、次は蒼空と目が合った。彼女はこちらと目が合ったのに気付くとすぐに目を逸らして、視線を意気揚々と昨日学校に会った『嬉しい報告』とやらを生徒に話していた担任の方向に向けた。

 そして僕も、他の女から視線を逸らして、それを自身の机の上に置かれた本の表紙の上に落とした。





 昼食時間。今日も今日とて奴がやってくる。

「おい! なんだお前! それがクラス最底辺の奴の態度か!? なんで治さないんだよ!?」

 昨日言った言葉より少し短くなったが、言っていることはほとんど一緒だ。昨日は少し驚いたが、今日は一周回って彼が滑稽に感じる。

「昨日も言ったけどさ、食べないの?」

 そういって彼に目配せをしたとき、昨日見たものと同じ光景が眼前に広がっていた。しまった。そう思い目を瞑った時には……



 衝撃が、来なかった。頬骨を抉るような海斗の右ストレートが襲ってこなかった。

 恐る恐る目を開けると、視界の中には拳を振り上げた彼と、それを止める蒼空がいた。

「やめて」

 今まで彼女と一緒にいてもなお聞いたことのない声がした。普段のふわふわとしたかわいげのある優しい声とは真逆、鋭く冷ややかで中に何かの怒りを感じさせるような声が教室の一角で小さく響いた。

 はっと目を見開いた彼は大人しく拳を下ろし、とぼとぼと彼の席へと戻って行った。そしてその後を追うように蒼空が彼女の席へと戻る。


 結局それ以降、放課後までは何もなかった。



――そう。放課後"まで"は。



 一日の終わりを告げるチャイムが響き、部活動の無い生徒たちは一斉に下校し始める。そして僕も、帰ろうと鞄を持って教室から出る。

 直後、海斗の取り巻きに腕を掴まれた。

「……何?」

 軽く睨みつけるような目で彼らを見る。すると彼らは

「海斗が連れて来いと言っていた」

 そう言って僕をひょいと持ち上げ、廊下に溜まる人人人を潜り抜け中庭まで僕を連行した。


「何やらいいご身分だなぁ、朔弥くんよぉ……」

地面に落とされた僕の前には花壇の淵に座り何か気取ったようなセリフを言い、膝を組む海斗がいた。

 そして立ち上がったと思うと、まずは挨拶代わりにと腹部に一発爪先で蹴りを入れてくる。連続してまた数発蹴りを入られ、少し蹲ったところで胸ぐらを掴まれて思い切り頬に一撃入れられる。

 声一つ上げぬ間にこれだけの攻撃を受けた僕は立っていられるはずもなく、殴り飛ばされた勢いで地面に伏せたままぴくりとも動けずにいた。

「今日はこのくらいにしておいてやる」

 満足したのか彼はそうセリフを置き土産にどこかへと去って行った。



 わずかな痛みを堪えながら立ち上がり、僕は校門を目指して歩く。幸いなことに擦り傷の類は一つもなかった。そして校門を抜けた時、見知った顔に声を掛けられる。

「大丈夫?」

「何」

「大丈夫か大丈夫じゃないか聞いてるの」

「あぁ、大丈夫だ」

 心配そうな表情を浮かべる彼女を軽くあしらい、まだ少し痛む体に鞭を打ちつつ僕は帰路を辿った。


 翌日学校へ行ってみれば、海斗から標的にされることはなくなっていた。

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