やりようのないこの気持ち

 教室のドアを開けると、目の前に海斗がいる。彼は僕の目を見たと思えば

「『敗北者様』が戻ってきたぜー! 残念だったな! サ、ク、ヤ、君!」

 そう大きな声をあげて彼の仲間の元へ行き、自分の場所に戻る僕を指差して笑っている。憎悪と絶望の入り混じったどす黒い感情を表情に出さないように表情を固めながら、中心からはじけ飛んでしまいそうなひびの入った僕の心を絞め抑えて残された数時間をただただ無心に過ごした。『表情を崩さないこと』、それが今、僕にできる最大の強がりだった。


 清掃も終学活もあっという間に過ぎ、学校が終わりを告げるチャイムが校舎に響く。一刻も早く家に帰りたい僕は大急ぎで鞄に今日使った教科書たちを詰め込み、教室から飛び出すように出て行った。廊下では部活動に参加する生徒が各部ごとに固まり、急ごうとする僕の足を緩ませる。

 ふと、肩を誰かに持たれる。置かれた手は海斗の手でも、担任の手でもない。そして一人の影が僕の脳内に現れる。

「蒼空……か? 何してるんだお前」

 確認のために声をかけてみる。するといつもの聞きなれた声で

「サク君、蒼空だよ。なんでそんなに逃げようとしてるの?」

 彼女にそう言われて、はっとする。僕の身体は無意識のうちに彼女から離れようとしていた。正直、彼女の顔なんて見たくもなかったから逃げようとするのも納得はできる。

「なんで逃げるんだ、ってそんなの簡単な話じゃないか。なんだい? 君はそんなに馬鹿だったかな?」

「馬鹿ってそんな……」

 思いもよらぬ言葉に肩を持つ彼女の力が抜ける。まさか本気で馬鹿だなんて言われるとは思わなかったのだろう。

「僕に近寄らないでくれ。どうせこの後海斗とでも好き好きするんだろう? ならさっさと行けばいいじゃないか。僕と話してるよりもあいつといた方が君も楽しいだろ?」

 そう言って力なくただ僕の肩の上に置かれるだけとなった手を払い落として僕は下駄箱へと向かう。後ろで彼女が「勘違いしてる」だの「話を聞いてよ」と叫んでいたが、そんなこと気にしようとも思わなかった。

――だって信じていた彼女までもが、相手側に堕ちたのだから。

 

 彼女の悲痛な叫び声が廊下に響く。何度も何度も僕の名前を呼ぶものだから、周りの生徒の目が僕一点に集中する。

 階段に差し掛かると彼女の声も聞こえなくなり、僕の周りから喧騒はなくなった。少々後悔する思いを抑えながら階段を下り切り昇降口で下足に履き替え、そのまま何も考えず、無心のままに帰路を辿り始める。


 ふと気が付けば、自宅の前についていた。玄関を開けて、靴を脱いで、そのまま自室に転がり込んだ。肉体的にも精神的にも疲弊した僕は鞄を適当な場所に放り投げてベッド見飛び込む。ぎしっと一瞬ベッドが軋み、布団の柔らかい感触が僕の身体を包む。『夢であれば夢の中で眠りについて現実の世界へ戻れるはず』そう考えた自分が浅はかだった。そんな淡い期待もすぐに打ち砕かれ、一気に現実が襲い掛かってくる。海斗と蒼空はそういう『契り』を交わした。

 現実を飲み込もうとしても、胃の寸前辺りで押し返されてそのまま戻してしまう。

「嘘だよな……なぁ、神様。蒼空は本当に奴の手に堕ちたのか……?」

 枕に顔を埋めながら涙を染み込ませていると、ふとズボンのポケットに入っていたスマホが震える。母親と、もう一人からメッセージが来ていた。

「蒼空かよ……この期に及んで一体何がしたいんだ……」

 彼女のメッセージなんてもう見たくもなかったが、思わずチャットルームを開いてしまった。「あぁ、既読がついてしまった」と少し後悔して、内容を確認する。


「いろいろ起こって混乱してると思う。だから、説明させて(16:48)」

 確認だけして、そのままチャットルームを閉じた。そしてベッドから立ち上がり、シャワーを浴びに風呂場へと向かう。

 そうすれば、このやりようもない気持ちも、蒼空のこともきれいさっぱり洗い落とすことができると思ったから。


「たまには湯船につかって落ち着こうかな……」

 台所にある湯沸かし器のボタンを押して、浴槽にお湯が溜まるのを待つ。その間にソファに座って母親から来たメッセージを確認し、返信しておく。どうやら、両親はまだ帰ってこれないようだ。帰宅できるのは明日か明後日になるらしい。「了解」とだけ返事を入れ、スマホを机の上に伏せてテレビをつけてみる。テレビの中にいるキャスターは無表情でニュースの原稿を読み上げ、今までにあったことをなるべく簡単に伝えようとしている。


 キャスターの横に合成で表示されている"Pickup NEWS"の中に一つ、興味深いものを見つけた。



――男子高校生が自殺、いじめが原因か・兵庫


「また自殺か……」

 自殺した高校生をいじめていた人間は地獄に堕ちればいい、そう思った。なぜかまたさっきのやりようのない怒りがふつふつと込み上げ、『いじめ』『自殺』という文字を見ることに嫌悪感を覚え、テレビの画面を消す。


 ソファから立ち上がった僕はリビングから出て、風呂場へと向かった。

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