なにがあったの?
そして僕は顔を上げる。ほんの少し、表情が明るくなったのが僕自身でもわかる。
「よしよし、少し顔色がよくなったね。じゃあそろそろ……」
少し、心臓の速度が速くなる。ついに『その質問』が来るのかと身構えてしまう。そして、彼からその言葉は放たれた。
「どうして自殺しようとしたのか、話してくれないかな?」
「聞かないでください!」
僕の心からの叫びと彼の声が同時に重なり、不協和音を生み出す。
本当に、本当に話したくない。でも、彼になら話してもいいと思える自分もいる。うつむいたまま逡巡していると彼は、
「言いたくないなら別にいいよ。でも、話さないと何も起こらないよ?」
そう、僕に事の顛末を話すように促す。
――もう、面倒くさい。こんなところで立ち止まっている僕が安保らしく感じる。
「……わかりました。話します」
「うむ。ありがとう」
そして僕はこみ上げる吐き気と闘いながら、事のすべてを洗いざらい、彼に話した。
「僕、学校でいじめられているんです。いつもいつも『
言いたいことはまだまだある。なのに思うように声が出ない。視界が歪み、頬に何かが伝う感触がある。
「今日はこれくらいにしておこう。これ以上けが人の傷を抉る訳にはいかない。ほら、涙を拭きなさい」
彼はそう言って、緋色のハンカチを僕に渡す。それを僕は受け取って、目に溜まった涙と頬を濡らす涙を拭いた。
「男が涙を見せていいのは、親の葬式の時だけだぞ。少年」
「わかりました……」
ほんの少し、心が軽くなった気がする。洗いざらい話したせいか、ものすごく清々しかった。こんな晴れ晴れとした気分はいつぶりに味わったのだろう。
「じゃあ、そろそろ帰ろうか。ちょうど、ホームに電車が来ている。君のような人をもとの世界へと送り届ける、特別急行だ」
そう言って、一枚の切符を渡された。
『きさらぎ⇄
切符サイズの紙に手書きで日付と行先の書かれたものを渡された。
「さあ、お帰りなさい」
彼の言葉の言うままに、僕はソファから立ち上がり、駅長室を後にする。
改札の奥を見ると、本当に一つの列車がプラットホームに入線していた。
改札にいる駅員も、ぱちんぱちんと切符を食べたそうな改札鋏も僕がそこを通るのを歓迎しているようだった。
彼に切符を渡すと、
「ありがとうございました」
そう一言僕に言った改札員の笑顔も添えて。
改札口を抜け、プラットホームに出た僕を待っていたのは前に来た時とは少し違う、普通列車とは違う、豪華な車両だった。
後ろを振り向くと、兵藤さんが小さく手を振っている。僕はそれに一礼し、渡された切符を制服の内ポケットに入れ、列車に乗った。
列車はがしゃりと大きな音を立ててドアを閉め、そのままさっき北方向とは反対方向に進路を取り、走り出した。がたごとと、線路の継ぎ目で列車が少し跳ね、十六分音符四個分の規則的なリズムを奏でる。
疲れからなのか、それとも別の理由なのか、異様なほどの眠気に襲われた。
うとうとしていると、列車は一本のトンネルに入る。
窓の外の藍色の闇が真黒の闇に変わる。そしてすうっと、僕の意識は闇に落ちた。
目が覚めた時、僕の乗っていた電車は
周りにはたくさんの高校生や社会人がいて、普段僕が帰りに使う電車と同じ雰囲気だった。疲れと楽しみと人の温もりが混ざった、そんな雰囲気。
「とりあえず、降りるとするか…死ぬのなんて、面倒くさい」
席から立ち上がり、電車を降りながらズボンのポケットを探る。
鋭くとがったものが僕の指の腹を刺激し、痛みを感じさせる。その
「なんか、無駄遣いした気分だ。実際したけど」
そう呟いて、僕はその切符を自動改札に通す。改札機に切符を入れるとすぐさま彼の胃の中に切符は吸い込まれ、僕の行く先を阻む手を広げた。
「……それにしても、変な夢だったな。あんなにリアルな夢、初めて見たよ……でも、少し楽になったから、結果オーライかな」
僕が乗った電車は、『東向きを先頭に』走っていった。
上下に二個ある鍵をがちゃりと捻り、縦に長いドアの取っ手を引く。
「ただいまー……」
家の玄関を開けた僕は誰もいない家の中に向かって声を出す。
無論、誰もいないから返事は帰ってこない。
少し寂しい気持ちを抑えながら、僕は自分の部屋へと入った。
お世辞にもきれいとは言えない部屋。物が散乱しているわけでは無いが、全体的に整っていない部屋。本棚には本が乱雑に置かれ、学習机の上には日ごろの怨念が書き殴られたコピー用紙が散乱している。
そんな僕の荒んだ心境を表したような部屋の中にスクールバッグをほいと投げる。
そしてブレザーを脱ぎ内ポケットを探ってみる。するとその中には一枚の切符サイズの紙とハンカチ。紙の裏には細かい字で
『駅に来たいなら、心からきさらぎ駅に行くことを念じて駅に入りなさい。いつでも迎えに行くからね』
そう書かれていた。
「やっぱ、夢じゃなかったんだ……」
少しうれしくなった僕はそのまま制服をすべてハンガーにかけ、ベッドの上に脱ぎ捨てられた部屋着に着替える。
「今まではこんなに荒んだ生活してなかったのになぁ……てかめっちゃ疲れた……」
着替えてすぐにベッドに倒れこんだ僕は、そのまま泥のように眠った。
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