車窓から見たもの

「あ、そうだ。これこれ」

 僕は一つ大事なことを思い出し、本の入ったカバンから兵藤さんに渡されたままになっていたハンカチを取り出し、

「すみません、これ」

 そう言いながら彼にハンカチを差し出す。するとそれを見て微笑みながら

「ああ、それ君が持っていたんだ。失くしたと思って探してたんだよ。でも、この際だ。何かの縁だと思って、このハンカチは君に譲ることにしよう」

「いやいや、いろいろとお世話になった上に物まで貰うなんて申し訳ないです」

 僕が彼にハンカチを差し出す手に少し力を込めると、彼は優しくその手を押し返して

「そう言うな、これをお守りだと思って持っていなさい。これも霊界の物だ、少なくとも君を多少の厄災からは守ってくれるだろう」

「わかりました、ありがとうございます」

 兵藤さんの言葉に僕は従い、ハンカチをまたカバンの中にしまった。



「じゃあ、今日はもう帰りなさい。息子が夕方にふらっといなくなって朝になっても帰ってこないとなると親御さんも君の友達も心配になるだろうからね」


――僕の親は数日ほど帰ってこないし、友達なんてほとんど、いや蒼空くらいしかいない。僕が帰ってこなくたって心配するような人は今近くにはいない。


 でもこれ以上ここに居座ったままでいるのも兵藤さんたちに迷惑な気がするし、このまま居座って学校を休み続けるというのは、逃げることが正解であっても、痛みから逃げているような気がして快い気分ではなかった。

「はい、じゃあ今回はここで失礼させていただきます」


 『高い城の男』を鞄の中にしまい、鞄を肩にかける。そして部屋を出ようとしたときに、「ちょっと待ってくれ」と兵藤さんに呼び止められる。そしてそこで僕は前に渡されたものと同じようないわゆる硬券切符という昔の切符に

『如月⇆洲高→縁麓寺』

そう兵藤さんの手で書いたものを渡された。

「前の時のようにこれを使って改札を通りなさい」

「はい、ありがとうございます」


 それを受け取った僕は駅長室のドアを押し開け、改札へと向かった。

 改札には、初めてここに来た時と同じ人が立っていた。通りがかりに兵藤さんに渡された切符を手渡し、改札員がそれに改札鋏で直角三角形の歯形をつける。僕の手に再び渡されたその切符をポケットにしまい込んで、プラットホームに出た。


 奥からがたごとと小刻みに車体を揺らしながら二両編成の列車がやってくる。それは甲高いブレーキの鉄がこすれる音とともに徐々に減速し、車止めすれすれで停車する。

 ドアが開けられるのを待っていたが、一向に開かない。よく見てみると、大きな取手があった。今日ここにやってきたのは前に乗ったものよりも古い型のようで、手動で開けないといけなかった。

 僕はその手動で動かす引き戸を横に滑らせ、中に入ってからまたそれを滑らせて適当な場所に座る。僕が座ったのと同じタイミングで列車は走り出し、がたんごとんと家路をたどる列車の窓から秋の優しい日差しに射され水面に反射する光で輝く黄金色をした稲を眺め、目的の駅に着くのを待った。


 がたがたと、車体が揺れる。心地よい列車の揺れも相まって少しうとうととしていると、トンネルのようなものに入ったのだろうか、ふっと視界が真っ暗になる。

「このトンネルって、どこまで続いてるんだろう……」

 ほんの少しだけ、それが気になった。だから、いつもはトンネルのような空間に差し掛かったころにはいつの間にか眠ってしまっているが、それを我慢してトンネルを抜ける瞬間を見ようと思った。世界が変わる瞬間を、見てみたかった。




 外を眺めて、二十分くらいは経っただろう。あくまでも体感的な時間なので、それよりもかなり短いと思うが。

 少しづつ、窓の片側の隅が明るくなってくる。外に近付いてきたのだろうか、光の強さが次第に増していって


――外の景色が、変わった。


 先ほどの和風情緒あふれるような田園風景とは打って変わって、現代によくある住宅が立ち並ぶ住宅街が広がっていた。まるで時代が一気に進んだかのように。車内を見渡してみると、座る場所は変わっていなかったものの、車両が変わっていた。きさらぎ駅を発つときに乗ったあの古い列車ではなく、今の人間が使う、少しスタイリッシュな見た目をした列車。

「え……え?」

 一瞬でがらりと変化した僕の周りの光景に一瞬困惑してあたりをきょろきょろと見渡す。朝とも昼とも言えない微妙な時間帯なのか電車の中には数えるほどしか人はおらず、何かに驚いたように周りをせわしなく見渡す僕を見て怪訝そうな表情を僕に向けてきた。人数が少ない分、余計目立つのだろう。



「次は~縁麓寺えんろくじ~縁麓寺です」


 そう自動放送の無機質な声が車内に響き、そして少しづつ減速を始め、やがて駅に停車する。


「縁麓寺~縁麓寺です。お忘れ物の無いようにお気を付けください」 


 その放送を聞きながら、僕は列車から降り、ズボンの前ポケットにしまっていた切符を自動改札に通す。

 普通であれば昨日発見した切符なうえに往復切符でもないから改札で止められるだろう。が、そんなことは全くなく、切符は自動改札に吸い込まれ、僕をプラットホームの外に出した。


「誰かに会わないといいけど……」


 そう呟いて、僕は住宅街の中へと入っていった。

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