見たことのない駅だ。

 ごとごとと、レールとレールの継ぎ目で車両が跳ねる。その揺れは僕のはっきりとしない意識を段々と覚醒させる。

 そして、この列車に乗った時には感じなかった人のいる感覚、かすかながら聞こえる人々の会話も手助けして、僕の意識は完全に闇の世界から光のある世界へと帰還した。

「あれ……寝てたのか?」

 まだ少しだけ霞む目をこすって、周りを見る。目の前には青色のクッションと木でできた背もたれのボックスシートと、大きな目の鉄でできた網棚があり、その景色は僕がここで意識をなくす前に乗ったものと一緒だった。のだが、僕の周りにはさっきは存在すらしていなかった沢山の人。全体的に年寄りが多いが、同年代もしくは僕よりも年下であろう人間が結構な数、この場に存在していた。

 そして、窓の外の景色が先ほどの闇から打って変わって澄んだ茜色に染まった夕焼け空と雲、そして少し薄暗い、延々と続いていきそうなほどに広がる田園風景が美しいコントラストを描く。

「いや、何が起きたってんだよ……」

先ほどまでは何もなく、僕だけしかいなかった空間に、たくさんの人間がいて、窓の外には美しい風景がある。本当に僕の意識がない間に何が起こっていたのか、気になって仕様がなかった。でも、考えなかった。いや、考えようともしなかった。

「奇麗だな……」

 ふと見た外の景色に思わず見惚れてしまう。本当に、奇麗だった。僕はなんて運のいい男なんだろうか。最期の最期にこんなにもきれいな景色が見れるなんて。

「これぞまさに、『冥途の土産』ってか」

 思わず小さくそう零す。

 それに、僕の住んでいる住宅街のような都会に近いところを通り越して、田舎に入ってくれたのもありがたかった。自殺する姿、醜い姿なんて家族以外に見せたくはない。田舎なら警察と捜索者、家族くらいしか見つけることはないだろうし、当面見つかる心配もなさそうだ。

「でも、死ぬ瞬間ってどんな感覚なんだろう?」

 ふと、その言葉が口から発される。少し前に読んだ小説には、「何も感じない」という表現になっていたが、結局こればかりは作者の勝手な想像に過ぎない。臨死体験をした人以外に死の感覚を知ってる人など、この世にはいない。

「とりあえず、次の駅で降りようかな」

 先ほど見た絶景を忘れないように、一生無となった僕の肉体の中で生き続けることができるように、ここで腹を括って、この世にある未練を一切断ち切って、この腐りきった人生にケリをつける。


 そう決めて立ち上がろうとした途端、がたんと大きく車体が揺れ、キュルキュルという鉄の擦れる音とともに徐々に速度が落ち始める。

「きさらぎ~きさらぎ。終点です。今までお疲れさまでした。足元とお忘れ物にお気をつけてお降りください」

 古めかしいスピーカーからノイズをふんだんに含んだ車掌(運転手?)の声が発され、車内に響く。

『きさらぎ駅』、何かで聞いたことがある名前の駅。知っている名前の駅。でも、今まで一度も降りたことのない駅。

 立ち上がり、車両の壁にもたれかかって考えてみる。だが、思い出すことができたのは「名前を聞いたことがある」ということだけ。

そうこう考えているうちに列車はきさらぎ駅のプラットホームに入線し、停車した。またまたその列車は錆びたサッシに立てかけられたドアを勢いよく開け、乗客は続々と降りていく。田舎だというのに、利用客はかなり多いようだ。その証拠に、改札口付近にはたくさんの人が集まっている。駅を出ないと何もできないわけだから、駅を出ようと改札口前にある人の列の中に僕も入った。


 列が動くのを待っている間、僕は駅構内をざっと見渡してみる。幸いなことに身長は高いほうだったため、周りを見るのは楽だった。

 駅舎やプラットホームは全体的に木で作られていて、コンクリートは基礎以外にほとんど使われていない。プラットホームの柱も木造で、駅舎の壁に貼られているポスターはもう何十年も張られているのか、ほとんど色あせていて何が書いてあるのか判別できないほどだった。それに、電子機器が一切ない。近頃の普通の駅なら電光掲示板があり、自動券売機や自動改札があるはずだ。しかしそのようなものは一切なく、改札は二個あるのだが、双方とも全て人力で行われていた。昔学校かどこかで見させられた資料映像で見るような光景が今まさに僕の目の前に広がっていた。今は機械が勝手にやってくれているような作業をすべて駅員が手作業で行っていた。まるで、戦前か戦後数年しかたっていないの田舎のような風景だった。


「すみません! お客様! そこのお客さま!」

 駅員が誰かを呼んでいる。この列車の乗客は老年の人が多かったから、たぶんその中の一人なのだろう。人間、老化には今のところ勝つことはできないから。

 そう勝手に自己完結して駅の様子を探っていると、不意に後ろからとんとんと背中を叩かれた。後ろを振り向くと、おそらく同年代であろう、黒髪を腰あたりまで伸ばした女の子がいた。彼女はどこかで見覚えのある顔をしていた。

「え、な、何かあった?」

「前。列、進んでる。」

 改札口を指差し名からその女の子は僕に進むようにと言った。一度改札のほうを見てみる。それですべてを理解した。駅員の言う「そこのお客様」というのは僕の事だったらしい。教えてくれた女の子に「ありがとう。」と感謝をし、改札へ向かった。

 そして、謎の見覚えは彼女の声を聴いてはっきりとした。さっき声をかけてくれた女の子、それは僕の近所に住む中学の先輩だった。


「すみません。ご迷惑を……」

「切符を」

謝罪の意を示しているのに、駅員がそう言って手を出してくる。何とも不愛想な駅員だ。「いえいえ」のような言葉をかけてほしかった。そう思いながら切符を渡すと、「切符を食べちゃうぞ!」と言わんばかりにぱちぱちと大きな音を立てながら開閉されていた改札鋏の動きが止まる。

「硬券切符じゃない……」

そう呟いた駅員はまじまじと僕の渡した切符を眺め、少し驚いたような表情を浮かべていた。いったい何が不思議なのかよくわからない。当の駅員は何か訝しげに切符をくるくると回し、観察している。そして駅員は

「お客様、少々お待ちください」

そう言って、隣の改札にいる駅員に何か耳打ちしてから僕の渡した切符を持ったまま走り出した。

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