絵の中の窓2 旧校舎

 旧校舎の、死んだような静寂が好きだ。


 ウソだ。


 だれかが椅子を引く音。だれかが歩く音。だれかの息遣い。だれかの笑い合う声。教室を満たすあらゆる生活音ノイズが、そこから置き去りにされたわたしの心をさいなみ続ける。無人の静寂はわたしに残された最後の安全地帯で、ここよりな場所というだけだ。


 お昼休みの時間。逃げるように教室を出る。背後の、聞き取れそうで聞き取れないクラスメイトたちのざわめきが、わたしをあざけっているように感じる。


 だれもいない旧校舎の敷地。廊下から、夏の強い日差しで白飛びした中庭が見える。ぐるぐると舎内を歩き回ったあと、中庭を通って離れの平屋に入る。美術の教室だったらしく、何も掛かっていない空のキャンバススタンドがたくさん教室の隅に片付けられていて、人に似た何かが身を寄せ合っているように見えた。かすかな絵の具の匂いが鼻をつく。教室に取り残された古びた椅子にハンカチを敷き、そこに座ってわたしは本を読む。


 死んだような静寂。


 かすかなかび臭さ。乾ききった何かの薬剤の匂い。何色だったのかもわからなくなった絵の具の跡。この教室を漂うあらゆる情報は、ついさっきまで私を悩ませた日常の喧騒とは真反対のものなのに、それがわたしを慰めることはなかった。人を疎ましく思う一方で孤独を恐れるわたしは、逃げ込んだはずのこの教室の無人無音の中にさえ馴染むことができなかった。


 死んだような静寂。


 ふいに、ノートに窓を描く。窓を塗りつぶす。顔を上げると、窓の向こうが仄暗く濁っていた。ガラスのすぐ外は白チョークの腹で雑に擦ったみたいに不鮮明で、まるでノートに描いた窓の中に自分がいるような錯覚を覚える。窓の外に、窓の外は、


 霧だ。


 いつの間に。

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