うすよごれたメモ 9

 おかしい。


 魚が釣れた。ふつうのさかな。いつもなら人面魚が釣れるのに。


 おかしい。


 霧が薄い。明るい朝日で、小鳥のさえずりで目を覚ますなんて、どれくらいぶりだろう。濃い霧に包まれた曇天の村なのに。


 夜眠るとき、いつもきこえるばけものたちのうなり声。最近はめっきり静かになり、スズムシの涼やかな音しか聞こえない。落ち着かない。


 村役場の屋上から、双眼鏡で辺りを見回してみた。山肌に道路が走っているのが見えた。県道だろうか。これまで霧で隠れていたのに。



 ***



 今夜も眠れなかった。あれほど求めた安眠だったはずなのに。膝を抱えていると、いつのまにかお兄さんがそばに佇んでいた。半透明の、引き裂かれた顔面をゆがめて、ぼくをみていた。付き合いが長いせいか、表情が読めてしまう。あの顔は悲しみだ。ぼくを憐れんでいるんだ。



 ***



 お兄さんに促されて、夜の村を歩いた。かつてなら夜中に出歩くなんて考えられなかったが、いまのぼくにとってはただの散歩だ。このあたりの「ベテラン」は狩り尽くしてしまったし、無限に湧いて出てくる雑魚どもは今や、息をひそめて姿を現そうともしない。


 たどり着いたのは古い神社。以前寝床にしていた場所だ。うながされるまま床を剥ぐと、布に包まれた日本刀が出てきた。お兄さんの話によると、蘭堂家の家宝の一つ「童子切」なんだそうだ。まるで吸い付くように柄が手に納まる。居合なんてもちろんやったことなかったけど、2,3回振るとピュンと空気を斬る感覚が身体に染みついてしまった。



 ***



 壁さんと話した。「童子切」で壁さんを斬れば、壁さんを成仏させられるかもしれないと話した。そんな確信があった。


 壁さんはぼくの師匠だ。壁さんと別れたくなくて、ぼくは泣いた。わんわん泣いた。壁さんはぐちゅぐちゅの肉塊を動かして精一杯声を出して、辛抱強くぼくを励ましてくれた。それからある住所を教えてくれた。もし元の世界に戻れたら、一度顔を出してみてくれと言われた。流しの祓い屋拝み屋の集合場所の一つなんだそうだ。


 ぼくは壁さんを斬った。壁さんが壁ごと斜めにずれて、崩れていくのを見守った。


 壁さんは消え去る直前、ぼくにありがとうと言った。ぼくはまた泣いた。



 ***


 霧はいよいよ薄くなっている。


 わかってる。この村は、。ぼくが目障りなんだ。


 また、拒まれる。

 みんなが、みんながぼくを拒む。

 ばけものでさえ、ぼくを拒むんだ。


 もういやだ、もうたくさんだ。どいつもこいつも好きにするがいい。もうだれかの、なにかの顔色をうかがって生きるのはやめだ。ぼくは、おれは自分の居場所を自分で作る。やれるもんならやってみるがいい。じゃまするやつは木っ端みじんに破壊してやる。みなごろしだ。

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