新学期1 犀久馬伍(さくまとも)

 新学期の教室。


 生徒たちがお互いに夏休みの「思い出」を披露している。海水浴、買い物…よく聞けば話の大半はいつもの日常と変わりない。


 それでも「夏休み」という言葉のフィルターを通すと、なんだかいつもより眩しい記憶に感じるのだ。


 それぞれが思い思いに、虚実を織り交ぜて自身の青春の充実ぶりを披露する。だが今年は少し様子が違った。


 ニュースでも話題になった、行方不明生徒が自分たちのクラスに編入することになったからだ。


「瀬名駿です。よろしくお願いします」


 ――山の中で1年も遭難してたんだって。

 ――どうやって生き延びたんだろ。

 ――蛇とか食べたりとか?

 ――きもっ

 ――でもさ、なんか、

 ――なに?なに?

 ――えー…言うよ?あの、ちょっとかっこいいと思うんだけど。

 ――あー、実はわたしもそう思ってた。

 ――背、高い


 ――どうせネットカフェにでも籠もってたんだろ

 ――注目してほしかっただけだって絶対

 ――でもニュースとかでやってたし

 ――警察とかもきてたじゃん

 ――…知らんし


 周囲からの、好奇のまなざし。だが当の本人はその雰囲気に気付いていないのか、まるでため息をついた瞬間で時が止まったような、わずかに口を開けたなんともぼんやりとした顔で、どこに焦点を合わせるともなく正面に顔を向けて突っ立っている。


 授業が始まっても授業が終わっても、駿は心ここにあらずといった冴えない調子で、昼休みになるとさっさと筆記用具を持って、そそくさと教室を出て行ってしまった。何となくもっと・・・刺激的な展開を期待していたクラスメイト達は、どうにも期待外れの、肩透かしを喰ったような気になったのだった。



 ***



 昼休みが、終わりに近づく。


 駿は図書室から教室に戻ろうとしていた。学年遅れの駿はいつも、図書室で学校から出題された課題をこなすのが日課である。


「センパーイ」


 言葉とは裏腹の、侮蔑を含んだ声。最初駿は、自分に向けられた声だと気づかなかった。自分の周りをぐるりと囲まれるまでは。


「センパイ、ずっとしてたんですよね?」


 ニコニコと笑いかけながら、話しかける生徒。彼の周囲の取り巻きの中には、駿と同じクラスの生徒もいる。駿はあいまいな表情で「うん」と応えると「ごめん、教室戻るんで・・・」と言いながら、彼らの間をすり抜けようとした。


「いやいや待ってくださいよ、おれ、センパイの話ききたいなぁ。山の話」


 間を抜けようとした駿を遮って、生徒がしつこく絡んでくる。取り巻き達もニヤニヤ笑っている。に言いがかりを付けたくて仕方ない様子だ。


「いや、別に何も話す事は…」

「は?話聞かせろって言ってんだろ」


 俯きがちに応える駿に、態度が豹変する生徒。駿の弱気に見える態度に勢いづいたようだった。


「ツラ貸せよ。ね?話聞かせてよ話、ね」


 生徒が駿を追いやるようにどん、と拳で駿の肩を突いた。よろめいた駿をさらに追いつめるように取り巻き達が立ちはだかる。


「あ、いたいた!おーい瀬名くん、先生せんせーが探してたよー!」


 突然の大声。


 ぎょっとした生徒たちが振り返ると、背の低い癖っ毛の男子が、やたらに明るい大声でわあわあと騒いでいる。駿はその男子に見覚えがあった。同じ学級クラスの生徒だ。


「あ、取り込み中だった?先生せんせーに後にしてくれって言ってこようか?」

「…ちっ、行こうぜ」


 駿を取り囲んでいた連中が去っていく。最後に駿に因縁をつけてきた学生がわざとらしく、くせ毛男子の肩にぶつかりながら廊下の角を曲がって行った。


「へ!根性なしどもめ。おい、大丈夫か?」


 自分よりも大柄な生徒たちに睨まれながら、彼は全く臆する様子もなかった。腰に手を当て薄い胸を反らした堂々とした態度で、クルクルとした頭髪を揺らして笑う。


「うん、ええと…ありがとう」

「いいってことよ!あ、先生せんせーが呼んでるってのはウソな」


 礼を言う駿に、男子は手をひらひらさせながら応えた。


「あいつ宇多野うだのっていうんだ。おれは『ウザ野』って呼んでるけど!いじめ大好きな、いわゆる不良クンだよ。瀬名みたいな…なんつうか目立つ奴をイジりたいのさ」


 元気いっぱいに笑顔で応える男子。駿も思わず微笑んだ。


「きみは…」

「ああ、おれ?おれは犀久馬さくまだよ。犀久馬さくまとも。よろしくな!」


 ともは手を差し出す。駿がつられるように反対の手を差し出すと、伍は半ば強引に手を握りぶんぶんと握手をすると、「んじゃ、教室戻ろうぜ」と言ってにかっと笑った。



 ***



 放課後。


 放課後、駿は鈴音と一緒に校門から続く坂道を下っていた。あの夏休みの事件以来、二人はなんとなく一緒に帰宅するようになっていた。人見知りの二人はお互い、特に会話が弾む様子もない。時折一言二言、言葉を交わすのみである。


 ふと駿が立ち止まる。その視線は、メイン通りから外れた路地に向けられていた。昼休みに絡まれた不良たちが、クラスメイトのともを路地に引きずり込むのが見えたからだ。


「駿君、知り合い?」

「うーん…」


 駿はあいまいに応えながらも、路地裏に消えていく学生たちをずっと見つめ続けている。しばらくして、駿が鈴音に話しかけた。


「鈴、ごめん。ちょっと行ってくるよ」

「うん」


 短いやり取り。鈴音は気にした風もなくちょっと微笑んだ。


「気を付けてね」

「ありがとう」


 駿は鈴音にやんわりと微笑み返すと、学生たちの後を追って路地裏に向かう。その背中に、鈴音が声を掛けた。


「駿君」

「ん?」

「…ん」


 鈴音の念押しの真意に気付いたのか、駿は苦笑いにも似た笑顔を鈴音に返した。駿の本性を知っている鈴音としては、駿がケガをすることよりも、駿が殺人犯になってしまわなかいか、というほうがよっぽど心配なのだった。


 

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