ただいま。



 ローカル記事「行方不明の男子高校生を保護」


 …県警は△△日、昨年夏に**山中で遭難し行方不明となっていた男子高校生(17)を同山中で保護したと発表した。健康状態はおおむね良好だが、精密検査のため市内の病院に入院中とのこと。約1年の間どのように生き延びたかなど詳細は不明である。



 ***



 夏。


 昼下りの太陽は未だ力強く、深緑がまぶしい。校門へ伸びる緩やかな坂道が、陽炎かげろうに揺れている。いつも登下校する学生で賑わうこの大通りも、夏休みの今は人通りもまばらで、ひっそりとしている。


 静まり返った大通りを、瀬名駿せなしゅんは一人、校門へ向かっていた。


 むせるような猛暑の中汗一つかかず、懐かしげに辺りを見回しながら、ひときわゆっくりと歩みを進める。動きが自然と緩慢になるのは、1年前に比べ筋肉が付いて、着ている制服が少し窮屈になったせいだ。


 精密検査を終えて退院した駿は、約1年に及ぶで学業が停滞したこともあり、再び1年生のクラスに編入することになった。一方、学力が十分に認められれば途中から本来の2年生クラスに再編入を検討するということになったため、夏休みを返上して補講を受けている。


 午前中は病院に通う。当分の間、心身のケアのため通院をすることになっているからだ。


「駿」


 自分の名を呼ぶ、懐かしい声。足を止めて振り返った視線の先に佇む少女を見て、駿はその名を呟いた。


「彩花……」


 一色彩花ひいろさいか。少年のようなベリーショートだった髪は肩まで伸び、陸上や空手で鍛えた小麦色の肌は透き通るような白に変わっていた。かつて駿が誰よりも大切に想っていた恋人は、1年前の溌溂とした姿から可憐に変貌していた。


 佇む駿に歩み寄った彩花が、ほんの少し手前で立ち止まる。


「やあ……」

「駿、良かった……」


 駿はその中性的な顔をわずかに傾け、泣き笑いのような顔で声を詰まらせる彩花を見つめかえした。回想フラッシュバックしたのは1年前、あの村で皐月京介さつききょうすけ蘭堂凪らんどうなぎが、駿をばけものの囮に使ったときの冷酷な双眸である。


「うん」


 駿は曖昧に応える。そういえばあの場に彩花はいなかった。あの二人はあの時のことについて、彩花にどんな説明をしたのだろうか。


 もう一つ思い出したのは京介と口づけを交わす彩花の姿。彩花はきっと自分が浮気をしていたことをおれがのだろう……まとまらない思考に駿は思わず苦笑する。人を考察することをとても困難に感じている自分に気付いたからだ。


 あの廃村で駿が全身全霊を傾けたのは、わずかでも長く生き延びることだった。鍛錬と創意工夫、そして内省の日々。駿は孤独な生者サバイバーとして成長する一方で、共感や協調といった感性を著しく退化させてしまったようだった。


 あの異界を去るとき、駿が胸に抱いたのは安堵ではなく憤怒である。生存と順応に必死だった日々を嘲笑うように、世界に否定された日。


 駿は己のを己に求めるのをやめた。自分の価値は自分で定義付けるしかないのだ。世界中に転がっている諸々の基準ものさしは単なる参考であって、すがる対象ではない。


 ――駿。


 彩花の声に我に返る。逡巡の時間はわずかだったが、彩花は心配そうに駿の顔を覗き込んでいた。駿は回想を中断し、少女ひとに微笑みかける。彩花はすこし頬を上気させて微笑み返した。


「駿、かわったね」

「そうかな」

「うん、なんだろう、ワイルドになったっていうか。びっくりしちゃった」

「それ、ほめてくれてる?」

「もちろんだよ」

「ありがとう。彩花も……すごくきれいになったね」


 彩花は驚いたように大きく目を見開くと、俯きがちに「えへへ」と照れ笑いをした。そして俯いたまま頭を駿の胸に寄りかからせて言った。


「駿、おかえり」


 陽光きらめく群青コバルトブルーの夏空を背景に、二人は再び抱き合う。そして駿は、彩花を抱きしめたまま口の両端を吊り上げて。細くすぼめられた瞳孔が、遠く陽炎かげろうの向こう、未だ見ぬ何かを射抜いていた。


 真夏の光に寄り添う黒々とした影を。その影に潜むものたちを。


 思い出したように、駿がささやいた。


「ただいま。」

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