希少価値

 開発リーダーという役職柄、俺にも付き合いというものはある。

 今日は先方の担当者と、2人で飲みに行くことになった。聞くと、前から興味があるものの、一人では生きづらい雰囲気の店だそうだ。

「すみませんね、付き合わせて」

「いや、それは別に。……確かに凄いところですね」


 その店は、新しく出来たビルの1階テラスに作られていた。わざと崩れたように積まれたレンガと、西洋の塀に使われていそうな黒い鉄柵。扉も重そうな鉄製で、確かに客を拒む雰囲気がある。

「ここ、ウイスキー専門店なんですよ。趣あるでしょ」

「なるほど」

 俺の脳裏には、新しい物好きのカップルと、通ぶる同年代が溢れた息苦しい店内が思い浮かんだ。実際に店内に入っても、やっぱりイメージ通りであった。

「いい雰囲気ですね」

 などと言いつつも、俺の心は荒んでいた。ウイスキーには全く興味がない。というより飲んだこともない。ビールとハイボール以外の酒を、俺は飲んだ事がないし、飲みたいとも思わない。


 ふと、俺は視線の先にいる一人の客に目が留まった。それは女性だった。最近は女性の一人客も増えたとはいえ、何かがとても気になった。席を案内され、彼女の方へと近づくうちに、俺の中の疑問は確信に変わった。


 いつもはひっつめてる髪を、緩やかに背中に流し。

 基本モノトーンの服を、清楚なファッションに着替えて。

 化粧っ気のない顔に、ほんのりと紅を差し。

 美味しそうに、幸せそうに、琥珀色の液体をゆっくりと堪能する横顔。


「澤村」

 嘘だろ。お前って、こんなに美人だったっけ?

「リーダー? あの、お疲れ様です」

 その気まずそうな感じ、いつものツンが抜けてギャップ萌えなんだけど!?


「お知合いですか?」

 先方さんの声に、俺ではなく彼女が立ち上がってお辞儀をした。

「お久しぶりでございます。以前、鈴木と共にお伺いいたしました、澤村と申します」

「え? あの澤村さん!?」

 先方さんも驚いている。確かにあのミーティングでは、澤村ってキツイ事連発していたもんなあ。

「今日はそんなにオシャレされて、デートですか?」

 先方さんがからかうように言うと、澤村の顔が引きつった。

「今日はオフだったので、一人を満喫していたんですよ。――もう帰りますけど」

 副音声で、『おめえらのせいでな』というのが聞こえた気がする。やべ、先方さんもカチンときてるっぽいぞ。うわぁやばい、これは仕事に響く!

「さ、澤村! 俺らと一緒に飲まねえ!?」

「は?」

「いや俺、ウイスキーとか全然知らなくて! ――ね、どうでしょう、彼女、この店詳しそうだし!」

 先方さんに目いっぱいの笑顔を向けると、向こうも我に返ったのか気まずそうにうなずいた。

「そうですね。よければその、ご一緒にどうですか。『一杯くらい驕りますんで』」

 途端。澤村の顔が輝いた。

「一杯、ですね? よろしいですよ?」

 彼女の何か企んだ笑みに、俺は嫌な予感がした。




「一杯が800円(税別)って!」

「そういう約束ですからね」

 いつも通り傲慢になった澤村は、先方さんに遠慮なく微笑んだ。彼女はカウンターから離れ、俺たちと一緒にソファー席に座っている。

「ああ、いいですよ! 約束だから驕ります!」

 先方さんはもう自棄である。そりゃそうだ、800円でも安い方だったんだよ、この店じゃ。

「申し訳ないから、フードは私が驕りますよ」

 ゆったり微笑む澤村は、いつもよりくつろいで見えた。もしかして酔っているのか?

「お前、俺らが来る前に何杯飲んだんだよ」

「『響』、一杯だけですけど」

 メニューを見て、俺は「げっ」と呟いた。ロック一杯1200円也。

「なんでこんなに高いの? 高級品?」

「高級で括らないで下さい」

 澤村は、渋い顔で額を抑えた。

「味がいい上に、数が少ないんです。世界的にも注目されているから、余計に高値になるんですよ」

 俺と同時に、先方さんも感心したように頷いた。

「澤村さん、詳しいんですね」

「酒は好きですから」

 その時、ウエイターが席に酒を運んできた。

「こちら『角』ハイボールと、『ジョニーウォーカー』のロック2つでございます」

 俺だけが炭酸の入ったおなじみのグラスで、二人は高さの低いロックグラス。だってやっぱり、濃い酒は怖いじゃないか。ぶっ飛びそうで。

「リーダー、いつものようにガブ飲みしないで下さいよ? お酒は、濃度が低い方が酔いやすいんですから」

 澤村のお小言に、俺は苦笑した。

「お前の方が気をつけろよ、度数40って異常だろ」

 俺はいつものように酒を煽り、――それからしばらく、記憶が飛んだ。




 遠くの方から声が聞こえる。

「本当にすみません、うちの鈴木が」

「いえいえ。お酒弱かったんですね」

「飲み方が悪いんですよ。――さんは、私と同じで平気でしょ?」

「そうですね。その理由が浸透圧とはねぇ。中学で習った事も忘れてましたよ」

 二人が楽しそうに笑っている。

「そうだ。澤村さんを、個人的に誘ってもいいですか。貴女とはいい友人になれそうで」

「友人という事であれば。私も楽しかったですから」


 記憶が飛んだ間に、何があったのだろう。

 先方さんは澤村と打ち解け、しかも気に入ってしまったようだ。


 澤村の良さが広がっていく。あいつの価値が上がっていく。

 上司として喜ばなきゃいけないのに、今の自分にはただただ嫌だ。

 素面なら見ないように出来たことが、理性が外れて直視してしまう。


 あの雨の日までは、俺はあいつを意識していなかったのに。

 あのまま食われておけば、きっと今こんな気持ちにならなかったのに。


「リーダー、いつまで寝てるんですか」

 気配が俺に近づく。ふわっと爽やかな香りが広がって、店内の甘い香りと混ざりあう。ヤバいなこれ。理性飛びそう。

「もう先方さん帰りましたよ。リーダーも帰りましょうよ」

「やだ」

「やだって」

「一緒にいたい」

 急に澤村が静かになった。見上げたら、頬を赤くしている。

「俺の事、食ってくんない?」

 澤村は、右手で顔を覆いうつむいた。照れているのか。悩んでいるのか。

「くっそ、もったいねえ……」

「は?」

「今のエロい声、録音しとけば良かった……!」

 なんだそれ、と尋ねる前に、俺の意識は再び遠のいた。

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