彼の事情

 ノックは、リーダーがしてくれた。

「失礼します」

 リーダーがミーティングルームのドアを開け、私をエスコートしてくれた。私は小さく頭を下げて、覚悟を決めて前を見る。

(あいつだよ!)

 真っ白な部屋の真っ白な会議卓の向こうに、いつぞやの奴がいた。あの日のまんまの浮いてるメガネ、スタイリッシュな隙のないスーツ。

 私はちらっとリーダーを振り返り、目配せをした。おい、顔引きつってるぞ。あんたが動揺してどうする。


 私は大きく深呼吸した。今は仕事だ、気合いを入れねば。

「お久しぶりでございます。システム開発部二課、澤村でございます」

 きっちりと頭を下げると、奴――村上氏が立ち上がった。

「こちらこそお久しぶりです、あの、お元気、でしたか」

「はい。おかげさまで」

 極めてにこやかに挨拶していると、中年太りの課長が不思議そうに口を挟んだ。

「何、二人知り合い?」

 村上氏がおろおろと口を開く。

「あ、まぁ……そう、ですね……」

 意味ありげな気配に、課長の目が輝いている。ああもう、めんどくせえ。

「見合いの相手です」

 ずばっと言うと、課長は「ぇえ!」と仰け反った。

「こっちの不手際で、成立しませんでしたが」

「何それ、気になるんだけど!」

「後で話してあげますよ~」

 にっこり笑って視線を戻すと、村上氏は呆然としていた。あんたの恥じゃあるまいし、何をショック受けてんだか。そして私の左に座ったそこのリーダー、笑いを堪えてるんじゃない。

 私は席につき、村上氏を真っ直ぐ見据えた。

「本日は、当社にお越し下さりありがとうございます」

 こちらが頭を下げると、向こうも頭を下げる。ふむ、浮ついた気配はない。全身が強ばっていて、むしろ必死な印象だ。

「差し支えなければ、こちらにご依頼をお持ち下さった理由をお伺いしてよろしいですか?」

「実は、地元のシステム管理会社をいくつか当たったんですが、断られまして。それで…」

 村上氏は、私をちらっと見た。

「澤村さんのご職業を思い出し、頂いた名刺を頼りにこちらに参った次第です」

 原因は私かい!

 左からすんごい視線を感じる!ごめんなさい、気軽に渡しちゃった私の責任です!

「わ、分かりました!では、依頼内容を確認してもよろしいですか?」

 私は村上氏に許可を取り、課長から書類を受け取った。

(おや?)

 ページをめくってくたび違和感を覚える。このシステム、書いてあるほど修正が必要なのだろうか。確かに技術は古いけど、使えないわけじゃないし。

「書類を見ただけじゃ正確な事は言えませんが、このシステムを一新する必要はないように思いますが」

「いえ、それが、使われている言語というのが相当に古い物でして。なるべく最新のものにしたいと」

 ん? なんだ、今の語尾の違和感。まるで自分の意見じゃないような。

「どなたのご意見か、お聞かせ願えますか」

「えと、うちのシステム部です」

「システム部の、どなたですか」

「部長です。……実は、頭取のお孫さんでして……」

 分かってくれるよね? という顔に、私は冷静に返した。

「不要なものは不要です」

「そこをなんとか!」

「ですから。そちらでもう一度再考を」

「お願いです、友達のよしみとして!」

 その時になって、私はこの人から『友人として付き合いたい』というメールを受け取ったのを思い出した。なるほど、それはこういう意味か。

「使えるものは、なんでも使うと」

「すみません、だけど契約を取ってこないと、私の立場がなくて!」

 立場という言葉に、私の怒りは沸点を超えた。

 そんなもののために、友達を犠牲にするんじゃない!

「仕事を舐めないで下さい」

「は?」

 私は口調だけ気を付けて、怒りをそのまま言葉に載せた。

「仕事はお客様のためにやるものです。社内の偉い人のためにやるものではありません。しかもこの工数でこの金額。足元を見ないでくれますか」

 リーダーと課長は青白い顔で固まったまま、私をとりなしもしない。なるほどな、私を利用したくて呼んだのか。

「他社でも同じ理由で断られたのでしょう、ならばうちも同じです。私に決定権はありませんが、現場の人間としてこの仕事は受けたくない」

 村上氏はうつむいて、全身に力を入れて震えている。――しまった、言い過ぎたか。


「澤村さん、もういいよ」

 課長がそこに割って入った。

「村上さん。我々がさっきから繰り返しお断りしていた内容も、澤村が言った事と同じです。御社のシステムには、現在直すところが見当たりません。お引き取り願えますか」

「――いや、でも」

 なんでこんなに粘るんだ、この人。この違和感の原因はなんなんだ。

「そういや私、村上さんの名刺を頂いていませんが」

「ああ、失礼しました」

 村上氏は立ち上がり、スーツの内ポケットから名刺入れを取り出した。

「これが、私の名刺です」

 差し出す手が何故か震えている。それを受け取り、内容を見た。

【○○銀行 金融部 営業課 住宅ローン担当】

 システムの営業じゃない? どういう事?

「システム部の部長、直々の命令でして」

 張り付いた笑顔に、私は全てを察した。

「パワハラ。いじめなんじゃないですか、これ」

 村上氏は、曖昧な笑顔のまま固まった。リーダーと課長は腰を浮かし、部屋の空気が一変した。

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