泣きなよベイベ

 私が指摘した途端、村上氏は小刻みに震え、目から透明な液体を流し出した。

「やっぱり、そうですかね。他社様でも、そんなこと、言われましてっ」

「いや、私も勘で言っただけで! だから、あてずっぽうなんですけど!」

 しゃくり上げだした彼を見て、私は慌てて背中をさすった。村上氏は嗚咽を少し漏らした直後、大声を上げて泣き始めた。


 まるで、耐えてきた辛さが決壊したかのようだ。

 どうしようと課長を見ると、痛々し気な顔で首を横に振っている。

 ――やめなさい。してあげられる事は、何もないよ。


 私は抵抗しようとして、ぐっと奥歯を噛んだ。

 そうだ。これはこの人の問題だ。とても同情しているけれど、心が強く痛むけど、他人がどんなに動いたところで、この人を救うなんてことはできない。結果に責任が持てない。


 だけどさ、これくらいは許してよ。


「課長。あの」

「ん?」

 私は村上氏を置いて、課長の横に行き耳打ちをした。

「あの人、もう少し置いてあげていいですか」

「はぁ?」

「泣かせてあげたいんです」

 課長はなんとも変な顔になり、頭を変に斜めに傾け天井を向いた。

「それよりは、一緒に行って送ってやんなよ」

「はあ」

「お見合いした相手だし、気になるんでしょ? 定時までに戻ってくりゃいいから」

「え? いや、まあ。ありがとう、ございます?」

 そういう訳じゃねえよ。いや、ありがたいからついでにサボらせて貰うけど。

 あと、リーダーの方は見ないでおこう。なんか察しがつく。



 結局、私と村上氏は黙ったまんま駅まで来てしまった。

「すみません、でした」

 駅舎の手前で、村上氏は消え入りそうな声で謝った。

「意地になって、こんなところまで来て。しかも、あんなに泣いて、迷惑かけて」

「泣くことは迷惑じゃないですよ」

 辛い時、悲しい時は、思いっきり泣いた方がいいのだ。その方が心の澱が流されて、前を向く力が蘇る。

「喜怒哀楽は、思いっきり出した方がいいです。あの田舎だと、泣くなとか、怒るなとか言われますけど、それは間違ってます」

 大学進学で田舎から出た私は、笑えないせいで孤立した。泣けないせいで心を病んだ。

「私は感情を知りたくて、劇場でアルバイトしてたんです。場内監視ってポジションがあって、会場で撮影してる人を注意したりとか、舞台に邪魔が入らないか監視する仕事なんですけど」

 その中に、いくつか魂を揺さぶる舞台があった。そんなときのお客様の顔は、涙が反射して輝いていた。

「舞台を見て泣いたお客様って、最後には必ず笑顔で拍手をするんです。すごくいい笑顔なんですよね。だから私も、まずは思いっきり泣いてみたんです。泣くことを許したら、ちょっとずつ明るくなれたっていうか」


 泣いたことが、私を解放したのかは分からない。だけど、お客様の笑顔を守ろう、涙を見守ろうと働いたことで、私の中で何かが変わった。


「上手く言えませんけど、感情は大切です。我慢しないで下さい、一人の時だけでもいいから、自分に優しくしてあげてください」

 村上氏の顔を見上げたら、またまた目が潤んでいた。小さな子供が必死で涙を我慢しているようで、かわいらしくて少し微笑ましい。

「村上さん。今だって、泣いてもいいんですよ?」

「いや、さすがに。都会のど真ん中で」

 私はたまらず噴き出した。

「ここはまだ都会じゃないですよ。東京はもっとゴミゴミしてますから」

「そうですね」

 村上氏は泣き笑いしていた。夕方前の日差しに照らされて、ほんのりと顔がオレンジに輝いている。良かった。どこか吹っ切れた顔をしてる。

「実は昨日、なんとか依頼を受けてほしくて澤村さんに電話したんですけど。繋がらなくて、すごく不安になってしまって」

 私の笑顔が固まった。そうだ! この人、うちの母から私の個人情報聞いてるんだった!

「お母様から住所もお聞きしていたんで、家に押し掛けようかって思っちゃったりして。――それは我慢したけど、とにかくそれくらい怖かったんです。後がないって、思ってしまって」

「あ、あはははは……」

 電話番号変えた事とか、引っ越し先探してる事とか黙っとこう。多分、この人とうちの母はツーカーだ。


「えっとー、今日は地元に帰られるんですか?」

「いえ。実は有給2日取って来てるんで、今日はゆっくりして明日帰ります」

「……有給て……」

 取らされたんだとしたら、完全にパワハラ確定だな。

「じゃあ、今日はホテルにご宿泊ですか」

「ええ。中心街にある○○ホテルに」

 私の顔から、さーっと血の気が引くのを感じた。おい待て。そこ、今私も泊ってるんだけど!!

「澤村さん? 顔色悪いですけど、大丈夫ですか?」

「だ、大丈夫デス。……そこ、ビジホとは思えない立派な温泉があるので、楽しんでください……」

「そうなんですね! ありがとうございます、ゆっくり浸かってきます」

 その場で私は村上氏と別れた。見送った後も、駅舎を見たまま呆然としていた。


 どうしよう。

 今日、帰るところないんだけど!!


















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