刺客
3日も休みがあったはずなのに、私はへろへろに疲れていた。
原因はもちろん母だ。前からヤバイヤバイと思っていたが、まさか娘の部屋によく知りもせぬ男を手引きするような真似をしようとは。
たしかあの男、地方銀行の営業だったよな。田舎のステータスに目が眩んだとかアホか。全国規模で考えたら、下から数えた方が早い銀行だぞ。行政指定だから生き残っていられるけど、あの田舎は貧乏県で有名なんだから。
ボーっとした頭で電車に揺られていたら、誰かが私の肩を叩いた。
「うげ」
リーダーだ。マジか、この路線使ってんのかよ。
「『うげ』ってなんだよ。まずオハヨウだろうが」
「色々と気まずいもので」
酔ったアンタが、私への恋心をダダ洩れにしてたなんて言えない。
「お前、家の方向逆じゃなかったっけ」
「ああ、その話!ちょうどいいので聞いてくれます!?」
私は新しい電話番号を教えるついでに、私がいつもと違う電車に揺られている事情を思いっきり愚痴った。
「あー……そりゃ、オカンがアウトだわ」
「もうさすがに無理。これを機会に、実家とは縁を切りますわ」
「それは行き過ぎだろ。お父さんはどうするんだよ」
「父は母の虜ですから。『お母さんが言うなら正しい!』しか言いません」
「妻への愛が深すぎる……」
「子供にも分けろやと言いたい」
私も愛を求めているが、盲目的な愛はごめんだ。
「新しい住所が決まったら、きちんと報告しますね」
「おう」
リーダーが、そこで急に黙り込んだ。何やら考え込んでいる。
「どうしました?」
「いや……俺がお前の個人情報を聞くのは、いいのかなーって」
「電話番号は急病の報告に必要だし、住所はあなたじゃなくて会社に報告するんですが?」
「……あ。そっか。そうだよな、うん」
なんだよ、その微妙に口が緩んだがっかり顔は。俺は特別とかじゃないのかーとか、でもこれはこれで役得だなとか、考えている事丸見えだってえの。
「あー、暇すぎて嫌だー」
私はぶつくさ文句を言いながら、持ってきた情報処理試験の問題をめくっていた。
システムエンジニアというのは、常に忙しいわけではない。納期が終わり、次の案件が来るまでの間、何も仕事がない時期もある。そういう時は、各々が自己研鑽に時間を充てるのだ。たかだか数日なので、遊んでいる人もわりといるけど。
「澤村さん、次何受けるんですか?」
唯ちゃんが、モニタの奥からひょっこり顔を出す。
「まだ基本」
「嘘! 学生の間に取らなかったんですか!?」
そんなに驚く事か? あ、驚く事なのか。唯ちゃん専門卒だから、学校で資格取るもんね。
「私は工学部でも応用化学科だから、IT系の資格は必須じゃなかったの」
「へー! そうなんだー」
「代わりに、毒物劇物取扱者と危険物取扱者乙種4類ならある」
「うわぁ、使えねー……」
ええ、まったく。
「おい、澤村」
「はい?」
振り向くと、渋い顔をしたリーダーが廊下から手招きしている。私は席を立って駆け寄った。
「なんでしょう」
「新しい案件の申し込みにお客さんが来てるんだが、費用と期日が合わなくてさ。課長が説明に手間取っているから、手伝ってくれだって」
「いいですよ」
たまにいるんだよね、安い金で働かせようとする人。技術はタダじゃございません。
「あー、ところでさ」
「はい?」
なんだ、もったいぶって。
「その前に――この名刺、見覚えないか」
リーダーが差し出したのは、お堅い感じの名刺だった。懐かしい郷里の名前を冠した銀行名。そして、その地方によくある『村上』の文字――。
「あの、その人、変なメガネかけてませんでしたか」
「浮いた黒ぶちな? かけてる」
「そのくせスーツはビシッとしてて」
「それは知らんけど、首から下は妙に新品」
私の背筋が凍った。寒くもないのに、思わず両手で腕をさする。
「多分、例の見合い相手です……」
「うわぁ……ちょっと怖いんだけど……」
こっちで仕事って、うちの会社かよ!!マジで勘弁してくれよ!!
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