愛を壊すカーリー

 翌日、私は3連休の最終日を静かに過ごすつもりだった。

 私はイラストを描くのが趣味だ。画材は問わないが、手軽なのでよく色鉛筆を使う。スキャナで取り込んで加工すると、変わった味が出るのも楽しい。


 最近はずっと、インド神話の神々を描いている。

 筋肉好きだから男神は楽に描けるんだけど、練習のために今日は女神。ほぼ裸体のカーリーを描いている。破壊神シヴァの妻であり、怒りと狂気を露わに暴れる軍神でもある。

 女性なのに軍神って、なんだか素敵。


 色合いを計算しながら少し赤を足していると、スマホの振動音が響いた。実家からだ。私は少しイライラしながら通話ボタンをタッチした。

『もしもし、美春ちゃん!? 今何かしよる!?』

 母の、耳に刺さる声が響く。

「何の用」

『今、何かしよるかって聞いてんの!』

「だから何!」

 何をしていようがバカにするのがアンタだろ!だからとっとと用事を言え!

『あんた、村上さんて覚えてるやろ?』

「どこの村上さんよ」

 そっちの地方、村上姓ばっかじゃん。

「お見合いした人よ、もう忘れたの!」

 ああ、あのメガネは村上っていうのか。あれからメール来ないから、すっかり忘れてた。

『そっちでお仕事あるらしいから、あんたの電話番号と住所、教えといたから』

「……は?」

 おい待て。

 他人に、

 母は実に得意気に、偉そうに妄言を垂れ始めた。

『お母さんが作ってあげたチャンスなんだから! 絶対にモノにしなさいよ!』

「いやアンタ、何をやって」

『あれはきっと女知らんでな。アンタ程度の顔でも部屋に連れ込んで、色仕掛けの1つや2つくらいやれば一回くらいは――』

「黙れクソババア!!」

 母が全て言い切る前に、私はブチ切れた。

「自分が言っている事が分かってんのか! 15年前から脳内お花畑かバカが!!」

 私は子供時代から、何年もストーカーに狙われていた。当然母にも報告した、しかし母は助けてくれなかった。お前に隙があったんじゃないのと鼻で笑い、時には自業自得だと怒鳴り立てた。

 その時の友人誰もが、間違っているのは母だと守ってくれた。だから私は自分を責めず、卑下する事もなく、胸を張ってここまで生きてこれた。


 なのに、男に住所と電話番号を渡しただと?

 しかも部屋に連れ込んで、既成事実を作れって言ってんのか!!


『美春ちゃん駄目よ、親に向かってクソババアなんて。お母さんは貴女の事を考えて』

 穏やかに嗜めようとする母に、私はまた吠えた。

「てめえは二度と親を名乗るな!」

 母は、私に愛など抱いてはいない、ただの道具だ。

 結婚させたいのも、孫を抱いて幸せアピールして、周囲にマウントを取りたいだけだ。親だからそれも許してきたが、もう限界だ!


 私は更に怒鳴ろうとした。

 しかしすぐに、スマホの電源を落とした。

 荷物をまとめ、ビジネスホテルを予約し、家を出た。

 キャリアショップに行き、電話番号を変更した。


 母には一生分かるまい。

 私があの頃、どれだけ怯えて生きていたかを。

 どれだけ母に助けて欲しかったかを。

 否定されるたび、責められるたび、死にたくなるほど孤独だったことを。

 母の冷たい一言を消すために、どれだけの人の励ましと、どれだけの年数が必要だったか。


 怒りや恨みじゃ済まされぬ。

 カーリーのように首を刎ねて踏みつけにして、塵になるまで刻んでもなお収まらぬ。

 宥めてくれるシヴァなどいらない。永遠に、母だけを切り刻みたい。


 だけどそれは、人間の私には許されないから。

 母とは一生関わるまい。

 母の中には愛などない、ならば私も愛さない。

「さて次は――また引っ越しか」

 親子の縁も今日までだ。私の新しい住所は、実家には伝えない。

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