元・悪女の教え

 リーダーと2人でミーティングルームを出た途端、周囲からバタバタッといくつかの足音が逃げていった。――聞かれたな、これは。

 私は振り向いて、後ろにいるリーダーに言った。

「明日、覚悟して下さいね」

「い、いや、そんなに返事は急がなくても」

「違う!」

 こいつ、いつまで色ボケしとるんじゃ!

「やべえくらい噂になってるぞって意味です!」

「あ? あ~。なんか照れるなぁ」

 だから頬を染めて笑うな、とんちんかん!

「もう帰ります また明日!」

「あっうん……あ、澤村!」

「何ですか!」

 リーダーは、はにかむように笑って言った。

「いい返事、待ってるから」

 今度は私が真っ赤になった。見物人が潜んでいる廊下で、そんな事言うバカいる!?


 私はリーダーに背を向け、小走りにエレベーターに向かって逃げた。しかし、角を曲がったところで思いっきりタックル……というか、抱き止められた。

「おとと」

 相手は唯ちゃん。ローヒールとはいえ、パンプスでよく踏ん張ったな。

「ねえ澤村さぁん?」

 ぎく。嫌な予感。

「リーダーと何があったんすかぁ?」

「ないないない特にない」

 てか、アンタ知ってるって顔してるやん!その上私から何を聞くの!?

「まっ、近くにいいカフェバーあるんで。行きましょうか」

「いやいや!あんた、旦那が家で待ってんじゃないの!?」

「旦那がいる女は、女友達ともお茶しちゃいけないんですかぁ?」

「そうじゃないけど、ちょっと、待って、待ってえ!」

 私は唯ちゃんにがっちり肩を掴まれ、下りのエレベーターに押し込まれた。




「えー、何それ。切ない……」

 カフェバーのボックス席で、唯ちゃんは複雑な顔をして呟いた。

 私は自分が転職する事と、それを知ったリーダーが暴走した事を話した。転職先は変に騒がれたくないので、『外資系』と誤魔化した。

「そりゃあリーダーも必死になりますよう。だって毎日近くで会ってた好きな人と、まったく会えなくなっちゃうんですから」

「だけど、この業界じゃ転職なんてしょっちゅうじゃん」

「そうですけど。でも私だって、澤村さんがいなくなるってすっごく寂しいですよ」

「すぐに代わりの人が来るって」

 私はソルティドッグを少し飲んだ。この店はカクテルが豊富だけど、甘くないのってこれくらいなのよね。

「いや、澤村さんってリーダー気質じゃないですか、下手したらリーダーよりも」

「それは知らんけど」

「いやそうなんですって。だから、澤村さんが抜けるとチームまとまらないと思いますよ。……だからって、澤村さんに辞めるなとは言えませんけど」

 唯ちゃんはスクリュードライバーを煽った。あ、それ一気に飲むとヤバイやつ。

「で、どうするんですか。リーダーのこと」

「イヤほんと、どうしようかなあって」

 どういうわけか、私はリーダーをばっさりと斬る覚悟ができずにいた。ずっとあの人の気持ちを知りつつ同僚をやっていたのもあるし、告白の真剣さに心が揺れたのもあるし。


「――あの色っぽい掠れ声とか、好みの筋肉質の体とか、立ち昇るフェロモンとか、肉薄したときに感じた熱とか……ああもう、性欲が思いっきり反応しちゃって理性がまだ戻ってこないの!」

「澤村さん、それ思いっきり答えが出てるじゃないですか」

「何がよ」

「とっとと『食っちまえ』」

「唯ちゃん、言い方」

 てか酔ってないか、あなた。


「あとは食ってから考えればいいんですよう。釣った魚に餌をやらないって奴なら捨てりゃあいいし、何度でも会ってくれる人ならキープしときゃいいしぃ。あ、今のダーリンは何度でも何度でも、いーぱい会って愛してくれた人なんですぅ」

 教訓ついでにノロけてるよ、この子。

「澤村さんは、どーせキープとかできないタイプでしょ。なら、二股とかするのは向こうだから! 安心して男を食っちゃえ☆」

「う、うん……考えとく……」


 いやあ、私は体から始まる恋が嫌なだけなんだけどな。でも、そういう考えもあるのか。いやでも、私があの人を愛してないとダメだろ。私、あの人の事を愛してるのかな? 何度かお世話は焼いたけど、私って誰にでも世話焼くしなぁ。


「澤村さぁん」

「へ?」

「悩むならまず体っ! なんならぁ、私と予行演習しますぅ?」

「いやいやいや! これいつもの流れなんだけど!」

「女同士ならぁ、旦那も浮気って思わないとおもうんですよぉ」

「思うわ! このご時世に性別とか関係ないわ! 待って、やめて、おちついてっ」


 この直後に唯ちゃんが思いっきり吐き、押し倒されていた私のブラウスが吐瀉物ゲロでドロドロになってしまったのは言うまでもない。……ああもう、サイアク。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る