宣戦布告

 翌日、私とリーダーの噂が広まる事はなかった。

 私が退職するという発表の方が、チームにとって衝撃だったからである。


 何故か一番動揺していたのは、宮田さんだった。

「えっ、なんで?なんで辞めちゃうの?」

「まあ色々と」

「ええー、また2人で飲みに行きたかったのに!」

「ありましたねえ、そんな事」

 あなたが私を飲ませて落とそうとした、アレだな。

「辞めた後でもいいから、また行こう? だから連絡先教えて?」

「それはごめんなさい」

 私はにっこり微笑んでおいた。退職したらすぐ渡米するから、そんな暇ないけどね。



 職場は、別の意味で多忙を極めた。

 お客様に提出する設計書や定義書の作成、私の代わりに入る派遣社員の募集と面接。新しい端末の準備。

 ――ああ、思ったより大ダメージ。

 私は休憩室でぐったりしていた。家に帰ったら荷造りもあるし、秀斗に頼んだ向こうの物件を検討しなくてはいけない。ほかにもお役所手続きがたくさんで、もう疲労困憊。

「お疲れ様です」

 声をかけてきたのは、葉月さんだった。

「本当に疲れてる」

 私はおどけてソファに倒れ込んで見せた。彼女は小さく笑いながら、私の正面に座った。

「次は、どこに行かれるんですか」

「んー、まあ、外資系」

 私はそう答えた。超有名企業なんで、社名を軽々しくは言えない。特に、大学院にまで行くほどこの仕事に情熱を持つ彼女には。

「ベンチャーですか?」

「まあね」

 社内ベンチャーだって話だから、あながち間違ってはいない。

「なんか凄いですね、澤村さんって」

「そんなことはない」

 私は笑ってブラックコーヒーを飲んだ。ストレスのせいか、胃がしくしく痛む。

 葉月さんはしばらく微笑んでいたが、小さく口を開いた。

「リーダーと、お付き合いしてるんですか」

「いやいや!」

 私はあの日を思い出し、即座に手を振った。

「してないしてない! 色々誤解あるかもだけど、付き合ってないから」

 いや、告白はされたけども。なんかドキドキする事もあったけども。

「そうですか、じゃあ」

 葉月さんは笑みを消して、音がしそうな感じで唾をのんだ。

「私が、告白してもいいですか」

 怖いほど真剣な目で、彼女はこちらを伺っていた。いや違う、これは宣戦布告だ。あの人を奪ってやるぞという宣言。


 私の脳裏に、あの日の熱と薫りが蘇る。激しく押し倒された怖い顔も、『待ってる』と言った時の優しく甘い笑みも。どれもどれも、強く強烈に、匂い立つように。


「――いいんじゃない」

 私はまたコーヒーをすすった。胃の痛みが更に辛い。

「お似合いなんじゃない? ガンガンやっちゃいな」

 私はいつものように笑って、紙コップを持ったまま外に出た。そのままトイレに向かって、残っていたコーヒーを洗面台に捨てる。

 顔を上げると、やけにボロボロになった自分の顔が映っている。

 なんで私、こんなにショックを受けているんだろう。

 あの二人がくっつけば、身軽になって渡米できるっていうのに。


 いつの間にか、私はあの人に恋していたんだろうか。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る