汝、汝を愛せよ

「嫌です!」

 澤村さんが、また反抗している。

「いやでもさ? お客さんが、直せって言うんだしさ?」

 荒れ狂う駄馬を宥めるが如く、ゆうキュンが優しく説得している。

 

 あ、ゆうキュンってのはチームリーダーの鈴木祐介さん。スマートで背が高くて垂れ目が素敵な、欠点ゼロな私の好きな人。

 澤村さんは同じチームの社員さん。結構かわいい系で男子にも人気あるんだけど、性格がかわいくなくて、めっちゃ頑固。偉い人にもお客様にも、こっちが焦っちゃうくらい『NO!』を連発する。今日も何が気に入らないのか、私のゆうキュンに噛みついている。


「リーダーだって、共通関数なんて直したらヤバイって分かってるはずでしょ。下手したらシステム全部止まるんですよ。てか、なんで先方の営業がそんな所に文句付けるんですか。工数追加してくれるんですか!?」

「いやまあ……そこは、サービスなんだけどさ……」

 仕事なんだから、多少の我慢は当然でしょうに。てか、私のゆうキュンを困らせないでよね。大人になりなさいよ。


 ――そうか。私が大人になればいいじゃない。


 私こと葉月絵里奈はそっと二人に近づき、ゆうキュンに向かって声をかけた。

「それ、私がやりましょうか?」

 思いっきり優し気な笑顔を作ってみせると、何故かゆうキュンは困った顔をした。

「いやあ……派遣さんには、ちょっと……」

「いえ、今の作業もう終わりますから! 次のテスト工程まで、ちょっと空きますし!」

 ゆうキュンは揺らいでいた。怖い澤村さんが口を開いて、何が追撃しようとする。

 ――やばい! 止めなきゃ!

「だっ、大丈夫ですから! ちゃんと時間内にやれますし!」

 慌てて加勢したのに、ゆうキュンはますます困った顔をした。あれ? 喜んでくれないの?


「やってもらったらどうですか」

 どういうわけか、澤村さんが私を援護した。

「まあ、問題があるのは確かですから? 私より有能な葉月さんがやってくれれば、問題の度合いもはっきりしますよ」

 言葉選びは嫌味な気もするけれど、澤村さんの口調は冷静だった。ゆうキュンはさっきよりもずっとずっと激しく頭を掻いた。

「じゃあ、お願い、するかなあ……」

 イヤイヤなのが見え見えな態度に傷つきながら、私は全てを笑顔で包んで「ハイ」と明るく答えてみせた。






 そして3日後。

「脳が……腐る……」

 私はフロアで一人、机につっぷしたまま唸っていた。

 時間はもう夜10時を過ぎている。それでも、ゆうキュンから頼まれた修正が終わらない。

「こんなん、マジ無理……」

 修正しているプログラムは、処理自体は単純だった。利用日を取得するとか、顧客の名前を取得するとか。初心者でも半日でできるような内容だ。

 なのに、このプログラムはやたらと無駄な処理を注ぎ込み、何故かシステム本体の情報まで書き換えていたりで、サクっと直せるレベルじゃない。しかもこれは、メインのプログラムで使いまわす『共通関数』だ。修正を間違えると、全システムを直さねばならない。


 だけど、ゆうキュンに褒めてもらいたいから。

「疑ってごめん、絵里奈って頼れるね」って言われたいから。

 そして澤村さんに、勝者の笑みを向けてやりたいから。

「頑張んなきゃ……」

 そう思うけど、もう脳が働いてくれない。なんでよ。どうしてよ。


 助けて欲しいのに誰もいない。

 狂いそうなのに誰もいない。


 唐突に、ガチャっとドアの開く音がした。びっくりして机から顔を上げると、そこには苦い顔をした澤村さんがいた。

「おーい。もう帰るよ、支度しな」

「いえ! 大丈夫ですから!」

 なんでアンタに命令されなきゃいけないのよ、ムカつく!!

「『大丈夫じゃない』ですってよ、リーダー」

 予想外の言葉に飛び上がると、澤村さんの後からゆうキュンが入ってきた。

「おっまえ、性格悪いな」

「実際に見なきゃ理解できない、アンタが悪い」

 澤村さんに冷たくあしらわれ、ゆうキュンがうな垂れている。

「とにかく。共通関数の修正は、空き時間にできるレベルじゃない。そういう事だね」

 ゆうキュンの言葉に、私は慌てて首を振った。

「いえ! できます、頑張ればできます!」

「いや、誰にもできないの分かってるから。分かってるのに、『NO』って言えなかったリーダーが悪いの」

 澤村さんは、頭が痛そうに額を抑えた。リーダーは、その場で小さくなって顔を背けている。

 澤村さんは、腕組みの状態でリーダーを睨んだ。

「それ作ったヤツさ、色々問題ありだったんだよ。自分の有能さを見せつけようと、独りよがりなコードをあっちこっちに仕掛けたり。自分は優性種だとか言って、職場の女子にちょっかいかけたり。まあよく分からん精神病にかかったとかで? 最近退職してくれたけどね」

 なるほど。あんなサイコなコード作るなんて、狂ってるの分かるわ。

「それと。今日の分の残業申請は、こっちで出しといたから」

「いえ、結構ですっ!」

 私は派遣社員だ。派遣元から『残業は極力しないように』と注意を受けているのに、残業がバレたら怒られちゃう!

「いや、サビ残バレたら国から怒られるの、俺たち会社だから。昨日の分までは時間が把握できないから、出してなくてごめんね?」

 ああ、ゆうキュンが私をかばってくれてる。ゆうキュンってやっぱ優しい……。

「法律違反でしょうが単純に」

 澤村さん、言い方冷たい。

 突然、澤村さんがにやけたかと思うと、口を押えてうつむいた。肩を震わせて、どうやら必死で笑いをこらえている。

「どったの?」

 ゆうキュンが聞くと、澤村さんは顔から手だけ外してゆうキュンを振り向いた。

「ごめん、私帰るわ。じゃ、『あとは若い二人で』」

「おまっ、そのネタ言いたいだけだろ! おい、マジで帰るんか、おい!!」

 澤村さんは、何やら楽しそうにスキップしながら帰っていった。

 え? 何? あの人、気を利かせてくれた、とか?



「じゃあ、帰ろうか」

「ハイ」

 ゆうキュンにエスコートされて、私はビルから出た。

 胸がどきどきしている。遠くから眺めていただけの人が、私のすぐ隣にいる。ちらりと見上げたら直ぐに気づいて、微笑まれるのが辛い。

 遅い時間だから、通りにはほとんど人がいない。だけどちらほらとすれ違う人はいるわけで、その人から見ると私とゆうキュンはカップルに見えちゃうんじゃないだろうか。

 辛い、嬉しすぎて辛い!こんな素敵な人を独占するなんて無理!

 澤村さん帰ってきて、まだ二人っきりは早かったです!!

 夜風が心地良すぎるくらい、頬があっつい! 全身もあっつい!


「帰りの電車、大丈夫?」

「え? あ、はい。全然大丈夫デス」

 カチコチになった私を見て、ゆうキュンは困ったように黙ってしまった。どうしよう、お話が続かない。

「ごめん俺、女の子と話すの苦手でさぁ」

「そ、そうなんですね」

 ゆうキュンが、無難な話題を振ってくれた。でも、私が続けられそうにないけど。

「普通に話せる子って、澤村さんくらいなもんなんだよね」

「……はあ」

 うわぁ。別の女との仲良しアピールとかされると、テンション下がる。

「つっても、あいつは女の子って柄じゃないけど。中身は男みたいだし――てか男か、あれは。性欲に忠実だしなあ」

「性欲?」

「そ。俺なんて、あいつに襲われたし」

「は!?」

 え、それってどういう事なの。告白? セクハラ?!

 セクハラでしょ、そうじゃないと困る!

「えと、セクハラ、ですか?」

「いやいや、そういうんじゃないよ。あいつが筋肉フェチで、俺の筋肉見て暴走しただけ。未遂だしね」

 ゆうキュンはおかしそうに笑っているが、やっぱりそれはセクハラか、暴走は暴走でも『恋の暴走』ってやつでしょ!

 暗くて私の表情が見えないせいか、ゆうキュンはご機嫌で話し続けた。

「あいつの口癖がさ。『愛と恋と性欲は別』なんだよ。あいつは俺を見てムラムラっとはしたけど、愛情はないらしくて」

 そこで口を閉じたゆうキュンは、少し鼻で笑った。

「そう言い切られるとね、もう恋愛には発展しようがないわな。最近はお見合いも受けてるらしいし」

「そう、ですねえ……」

 浮足立っていた私の頭が、嫌な方に冷めていく。だって気づいてしまったもの、ゆうキュン――リーダーが、澤村さんを好きだってことに。愛と恋と性欲が別っていうなら、はっきりと恋してるって分かってしまったもの。


 私は、愛も恋も性欲も、全部一緒だと思うけど。

 あなたを慕って、あなたに焦がれて、あなたに好かれるなら何でもしたい。

 この気持ちに、名前も区分も付けたくない。


「でもその考え方のおかげで、今日は葉月さんを止められたんだけどね」

「はい?」

 私の頭がもやもやした。愛と恋と性欲で、私の何が分かったの?

「澤村さんがね、『葉月さんは愛の人だから、自分を犠牲にしかねない』って。『を愛しているからこそ、きっと限界まで頼らない』、だから俺が助けてやれって。……いや、俺もさ。まさか派遣さんが、ここまで頑張るなんて思ってなくてさ。澤村さんに飯屋連行されて、戻ってきたら本当に残って作業してて。いやもう、気づけなくて本当に申し訳ないよ」


 澤村さんが伏せた意味に気づき、何もかも見透かされていた事に気づく。

 見透かしたうえで、あの人は私にリーダーを譲り渡した。

 いやもしかしたら、リーダーの気持ちまでも見えていた?

 だから私たちを二人にしたの?


 それならば、乗ってやろうじゃないか。

 貴女に負けっぱなしなんて悔し過ぎる。


「リーダー」

「ん?」

「私、あなたが好きです」

 沈黙が流れて、リーダーが苦しそうに言った。

「ごめん」

 かっとなって、私は疑問をぶちまける。

「澤村さんが、好きだからですか」

 リーダーは立ち止まった。私の告白のときは、歩いたままだったのに。

「分からないんだよ。これが、愛なのか恋なのか」

 私はイラっとした。そんな分類はいらない、好きなら好きでいいじゃないと口を開こうとしたとき。

「ただ、あいつを縛りたくない。自分一人の物にしようとしたら、あいつはきっと窒息する」

 私の負けが決定した。くすぶった恋心が、胸の中でじくじくと痛む。

 だけど悔しいから、一言だけ言い返した。

「それ、愛じゃないですか」


 自己犠牲の人。

 黙って耐える人。

 あなたは私とおんなじ、報われない人なんだよ。

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