3 新星

 新学期を前にした入試の数日前、一穂が帰ろうとしたときのことである。


 見慣れない、明らかに違う街から来たと思しき、違う中学の制服を着た女子中学生が校門の脇に植わっている針槐樹ニセアカシアの木の下にいた。


 ついでながら傳教館高校は校舎が戦前に建てられた、当時にしては珍しかった鉄筋コンクリート構造で、校門は一時期、殿様の菩提寺に移されていた藩校時代の薬医門が復原されて、現在も使われている。


 ともに空襲にも遭わなかったことからそのまま使われているが、夏は蒸し暑く冬は底冷えがすることから、


 ──京町家みたいな校舎。


 などと揶揄をする者すらある。


 しかし時計塔のついた校舎は町では高い部類で、遠くからでもチャイムが聞こえることから、農作業の目安にすらなっていた。


 話を戻す。


 一穂はそのまま帰ろうとした。


「あの…すみません」


 その女子中学生に一穂は声をかけられた。


 余談ながら一穂はよく他人から声をかけられることが多々あって、のちに野暮用があって東京へ赴いた際にも、見知らぬ女性からよく声をかけられることが多かったという。


 声をかけやすい雰囲気であったかのかも分からない。





 とにかくも。


 一穂はそのまま無視をすることもできず、


「どうしましたか?」


「試験で傳教館高校を受験するので下見に来た」


 というのである。


 一穂は女子中学生を連れて玄関まできびすを返すと、事務室に事情を説明した。


 事務室では平常時の見学扱いということで、


「高梨くん、案内してあげなさい」


 已むなく一穂は、案内係をすることとなった。





 恐縮そうに女子中学生は、


「なんかすみません…急いでるみたいだったのに」


「いや…まぁこういう日もあるやろって」


 苦笑いを浮かべながら校舎を案内していると、茉莉江と遭遇した。


「…お客さん?」


「何か受験の下見に来たらしくて、事務室から案内せぇって言われてしとる」


 事実なのだから仕方がない、というような言い方をした。


「でも言葉が標準語よね」


「それは俺も気づいとったけど、敢えてスルーしとった」


「実は東京から来まして」


「…東京?!」


 思わず茉莉江と一穂がハモった。





 彼女は酒井華子はなこと名乗った。


「この街に親戚がいて、それで春から私がこっちに来るので受験をしに来た」


 というのである。


「それでうちの高校を?」


「はい」


 茉莉江と一穂がひとしきり校舎を案内し終えると、


「何か色々お世話になりました。ありがとうございます」


 酒井華子はとても礼儀のきっちりとした折り目の正しい佇まいで、


「ああいう子、受かると良いね」


 茉莉江は一穂と一緒にいられたこともあって、すこぶる機嫌が良かった。





 新年度になり、一穂たちは2年生へと進級。


 入学式も終わり、それぞれの部活動は競って勧誘を始めたのであるが、軽音楽部は初めてのことなので勝手も分からず苦戦を強いられていたが、


「あの…」


 玄関でパンフレットを配っていた一穂は声をかけられた。


 振り向くと酒井華子がいる。


「先輩…軽音楽部だったんですね」


 確かに華子から見れば一穂は先輩だから間違いではない。


「軽音楽部ってどんなことをしてるんですか?」


「要はバンド活動かなぁ。今うちボーカルおらんから、もし酒井さんが来たらボーカルなれるかも知らんで」


「歌うのは好きなんで興味はあります」


「じゃあ、今度見学してみ」


「はい」


 華子は笑顔でパンフレットを受け取ると、教室へ戻っていった。






 放課後、部室に酒井華子が来ると、


「あ、こないだの」


 茉莉江は華子に気づいた。


「この前はお世話になりました」


「合格してよかったね」


「ありがとうございます」


 華子は素直な気性であるらしく、その場にいた麗にもすぐ気に入られて、華子も居心地の良さを気に入ったのか、入る気で届けに記名をしていた。


 一穂が遅れてやって来ると、


「ほら、高梨部長。新しく入ることになった──」


「さっき聞いた。酒井華子ちゃんやろ?」


 華子は一穂が部長であることに驚いた様子であったが、


「でもうちの部長、楽器できないんだよね」


「せやから交渉ごとからマネジメントからやっとるやないか」


 笑いながら言い返すと、


「それで、あとは保護者のハンコだけもらってきてもらえたら、あとはこっちで手続きするんで、ご両親のどちらかのハンコだけもらってきてや」


 この次の瞬間、華子は顔が曇った。





 一瞬で何か悟ったらしい一穂は、


「あ、もし親が単身赴任とかで、おばあちゃんとか親戚と同居なら、その同居してる人からハンコもらえたら大丈夫やから」


 華子は一穂の言葉に安堵したようで、


「それなら良かったぁ」


 うち、お祖母ちゃんと同居してるので──華子はようやくホッとした様子であった。


 そこへ綾乃が来た。


「あ、華ちゃん久しぶり!」


「綾乃ちゃん、久しぶりだねー」


「綾乃ちゃん知ってるの?」


 麗が問うた。


「うん。親戚だからね」


「綾乃ちゃんとは血は繋がってないけど」


 綾乃と親戚ということは、伽倻子とも親戚ということになる──一穂は気づいたが口にはせず、


「世の中広いようで狭いもんやねぇ」


 などと、一穂はいつもののどかな口調で言った。





 綾乃によると華子の両親は再婚同士で、ともに連れ子であったらしく、


「それで親が転勤で海外に行くって話になって、それで父親の地元のこっちに来たって訳で」


 これがアメリカやヨーロッパなら華子を連れて行ったらしいのであるが、


「何しろインドだから、アジア人とはいえ年頃の娘を連れて行くには、性暴力とかのリスクがあるからって弟だけ連れてって」


 それで来たのであるから、大変といえば大変であろう。


 それでも東京の高校を選ばなかったのは、


「向こうはちょっとしたことですぐイジメとかあるけど、こっちはほとんどないって聞いたから」


 華子は華子なりに事情が複雑であるらしかった。


 そこに。


 掃除当番で遅れた伽倻子がやって来た。




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