5 決心

 奏海が参加を判断した理由は、


「明らかに前と置かれている状況が違う」


 という一事に尽きた。


「少なくとも前とは変わってるしね」


 約3ヶ月もの間およそ15本近いライブを毎週末に実戦でこなし、経験値が上がっているぶん互角に戦える──そう踏んだらしい。


「だから前のような惨事にはならない」


 ライブでついた自信はそう容易く萎えたりなんかしない、むしろするものか──というようなところが奏海にはあったようで、


「だから恵美里ちゃん、大丈夫だよ」


 不安げな顔を隠さなかった恵美里の手を握ると、奏海はそう述べてみせた。


「奏海先輩、でも茅工には1回も勝ったことないじゃないですか」


 かれんの心配に奏海は、


「でもこれからもずっと勝てないなんてことはないよね?」


 これからは勝つかも知れない──奏海は昂然と言った。


「未来を変えるのも変えないのも私たち次第なんだしさ」


 奏海の前向きな言葉に、かれんは愁眉をようやく開いてみせたのであった。






 合同リハーサルの日。


 会場はインターチェンジに近い茅ヶ崎湘陵高校の体育館であった。


「香川駅からタクシー拾えば行けるよ」


 教えてくれたのは恵美里で、


「入試の下見に来たことがあって」


 恵美里は過去を語りたがらないが、それでも奏海とかれんにだけは時折、経験談を織り交ぜて打ち明けてくれるときもある。


 茅ヶ崎湘陵高校の正門に着くと、キーボードやギター、ベースをタクシーのリアキャリアから下ろし、玄関脇にある受付へ向かった。


 そこで受付の手続きをしていると、


「あ、恵美里ちゃん?」


 一人の女子生徒が近づいてきた。


「…あっ」


 恵美里は無言でお辞儀をした。


「茅ヶ崎商業高校のみなさんですか?」


「はい」


「茅ヶ崎湘陵高校生徒会の星澤千砂都ちさとと言います、はじめまして」


 千砂都は折り目正しく挨拶をした。





 千砂都は案内をしながら恵美里とはイトコどうしであること、恵美里のほうが1学年下であること、恵美里のピアノの演奏が好きなこと──などを歩きながら語った。


「でも人見知りの激しい恵美里がバンド活動をするなんて…おそらく居心地が良いバンドなのかなって」


「ありがとうございます」


 奏海は礼を返した。


「ちょっと色々あったんで少し気難しいところもあるけど、根は優しくて穏やかな子なんで、どうかよろしくお願いします」


 千砂都は楽屋として用意された音楽室まで案内すると、深々と一礼して辞去していった。


「…千砂都お姉ちゃん、変わってなかった」


 恵美里は小さく述べた。


「でも湘陵にいるってことは、なんか部活してるのかな?」


「いや、千砂都お姉ちゃんは生徒会だよ」


 恵美里は答えた。


 かれんは湘陵こと茅ヶ崎湘陵高校が部活の強い高校であることを知っている。


「野球とかサッカーとかも、吹奏楽も、みんな全国レベルやもんねぇ」


 私学が強い神奈川の部活動にあって、


 ──公立の星。


 という異名すらある。





 恵美里は何やら観念したようで、


「ホントは私も湘陵に入る予定でいたんだけど…」


 中学1年生のときに父親が事故で他界し、2年生のときに母の再婚で新しくやって来た義父が酒乱気味で、訳も分からず殴られたりはしょっちゅうであったらしい。


「ひどいときなんか、お風呂覗かれたりとかあって」


 当然ながら進路も湘陵のような普通高校には行かせてもらえず、


 ──すぐ稼げるように茅工か茅商に行け。


 それで女子の募集枠が多かった茅商に来たらしかった。


「じゃあ…もしかしてその眼帯も?」


「うん」


 投げ付けられた皿の破片が右目を直撃し、失明してしまった──という。


「それがたまたま入学式の日の夕方で、だから手術と治療でずっと休んでたって訳で…」


 それでも実家にあった縦型のピアノは、義父が飲み歩いている時間帯に必死になって動画などを見ながら、ほぼ独学で身に着けた──恵美里は気持ちがスッキリしたのか、少しだけ明るい顔をした。


「だから、ピアノを上手になって早く一人前になって、ピアノ教室を開きたくて」


 それで母親に早く楽をさせたい──恵美里は穏やかに言った。





 演奏は茅ヶ崎一高から始まり茅商、茅工、湘陵と続いて、最後に4組合同でのパフォーマンスとなる。


 最後に全員で弾くのは『Thank you』という曲である。


「確かロサ・ルゴサのナンバーだったよね」


 スクールバンドブームの立役者とされた北海道・神居別かむいべつ高校のスクールバンド、ロサ・ルゴサはわずか1年の活動ながら鮮烈な足跡を残し、この頃には伝説のスクールバンドとなっていた。


 そのロサ・ルゴサ最大のヒット曲が『Thank you』で、アニメやドラマ、劇場版でも使われ、今ではスクールバンドの練習曲にすらなっている。


 その前に茅商が披露するのは『未来ゆめは輝いているか?』という、かれんの作詞作曲によるナンバーで、


「これがいい曲なんだよねー」


 奏海は言った。





 茅工の〈team tecnica〉のリハーサルが終わって入れ替えがあり、


「茅ヶ崎商業のみなさん、準備を開始して下さい」


 千砂都がMercuriusにそう告げに来ると、


「分かりました」


 簡潔に奏海は答えた。


 Mercuriusの準備は早い。


 ベースの奏海と、ギターボーカルのかれんは手持ちの小型アンプに繋いで、恵美里はポータブルのキーボードを組み立てて、それぞれ電源に接続すれば終わる。


 わずか4分余りである。


 ドラムラインはキーボードに打ち込んであるから気にすることもない。


 これを見ていた茅ヶ崎一高や湘陵のメンバーたちは、


「…あれだけかよ?!」


 目を丸くしたのも、無理からぬことであろう。


 ここまで無駄がないバンドも、そう数はあるまいかと思われた。


「それじゃ、音合わせ行きまーす!」


 かれんの合図に合わせてリハーサルは始まった。





 Mercuriusのリハーサルは実に短く、パートごとに細かくチェックを入れたのち通しでさらったあと、


「じゃあサウンドテストやってから最後OKでーす!」


 それだけで早々と終わってしまった。


 これには茅ヶ崎湘陵〈湘南音楽隊〉のリーダーであった池辺千陽ちはるがあまりの短さに驚き、


「あんなに削ぎ落とされたリハーサルは見たことがない」


 相当な時間を使って弾き込んでモノにしている感じだった──と述べている。


 生徒会としてリハーサルを見ていた千砂都も、


「あれなら合同演奏でも大丈夫そうね」


 と、場合によっては茅商を外すことを考えていたのが翻ったようで、


「…それにしても、恵美里が無事に演奏できて良かった」


 内心、心配は杞憂に終わったらしかった。





 リハーサルが終わり、合同演奏のための打ち合わせでバンドリーダーが集まった席で奏海は、


「あなたが茅商のリーダー?」


 声の主は茅工のセーラー服を着た背の高い女子生徒で、ギターケースを担いでいた。


「定期戦以来ね」


 セーラー服の長身は佐藤百合亜ゆりあといい、茅工の〈team tecnica〉を率いるリーダーであった。


「果林先生は?」


「今日は会議で来ていません」


「そう…じゃあよろしく伝えておいてね」


 佐藤百合亜はそのまま振り返ることもなく去った。


 そこへかれんが迎えに来た。


「奏海先輩! ベースギター忘れたらアカンでし…って、何かあったん?」


「うぅん、何でもない。かれんちゃん、ありがと」


 かれんが奏海の目線の先を見ると、佐藤百合亜の背中が小さく見える。


「あっ…あのときの」


「…うん。でもね、きっと何かあるんだって思う」


 例えばプライドみたいなものとか──奏海にだけは、何か伝わったものがあったのかもわからない。


「さ、帰ろ」


 奏海はかれんからベースギターを受け取ると、玄関を目指した。


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