4 事情
伽倻子は華子の顔を見るなりいきなり、
「泥棒猫の娘が何しに来た!」
普段の伽倻子とはおよそ結びつきもしないような厳しい口調で台詞を吐いた。
「…伽倻子ちゃん、初対面の子にそれはないと思う」
茉莉江が華子をかばった。
「だって…私がこの町に来るきっかけを作った女の娘だよ?」
それを泥棒猫と言わずに何と言うの──伽倻子の剣幕は凄まじいもので、
「取り敢えず華子ちゃん、ちょっと別のところで話そう」
茉莉江は華子を連れて、部室の外へ出ようとした。
次の瞬間。
「理由は何であれ、普段から私情を挟むなって言うてる人が言うセリフやないやろ」
一穂が珍しく反論した。
「高梨くんは黙ってて!」
「ここは部室や。部室であるからには部長の俺に権限がある。ルール主義の関さんならそのぐらいは分かるはずや」
「それでもあの女は──」
伽倻子が言い返そうとした瞬間、一穂の手が伽倻子の頬に飛んだ。
すかさず伽倻子が、一穂をビンタしてメガネを飛ばした。
「…高梨くんのバカ!!」
伽倻子は部室を飛び出した。
綾乃が伽倻子をすぐさま追ってゆく。
「カズくん…」
麗がハンカチを差し出すと、
「関さんの気持ちも分からんではないし、俺が叩かれるのは別に構わん。せやが」
理由は別にして第三者を罵るのは、人としてどうかと思う──一穂は、気が抜けたのか麗に壊れたメガネを渡されると、その場にへたり込んだ。
伽倻子は、最上階にある図書室にいた。
綾乃が追いついたときには、頬を押さえて泣いていた。
「伽倻子ちゃん…」
「私…親にさえ、叩かれたことなかったから」
高梨くんも多分誰も叩いたことないと思う──伽倻子は綾乃を一瞥すると、
「だって叩き方が、ぎこちなかったもん」
「でもさっきのは悪いけど、高梨くんに理がある」
「それは分かってる。私が悪いのは知ってる。でもね…でもね──」
伽倻子は泣き崩れた。
「きっとね、罵るのは良くないって高梨くんなら言うと思う。それも分かってる。でもね…気持ちがおさまらなかったんだ」
「伽倻子ちゃん…」
伽倻子は涙が涸れるまで、図書室の隅で泣いていた。
綾乃は、なすすべがなかった。
一件があったあと、一穂は丸坊主で部室にあらわれた。
「目に見える形で責任を取ることにした」
えらく頭が涼しくなったわ──頭を自ら叩きながら一穂は苦笑したが、
「高梨くん…ごめん」
それを見て、伽倻子はしおらしく謝った。
「あの日メガネ潰れたことと相殺や」
一穂はあえて気にしないそぶりをし、しかしそれは伽倻子にすれば罪悪感そのもので、何日か伽倻子は部室にあらわれなかった。
心配した一穂が伽倻子の家へ行くと、伽倻子は自らの部屋へ一穂を入れた。
「あのね…高梨くんごめん。こんなことぐらいで許してもらえるなんて、到底思ってないけど」
伽倻子は一穂をハグするなり唇を自らの唇で塞ぐと、舌を一穂の歯へ這わせて来た。
何とか離れようとして一穂はもがき、
「…ちょ、…待たんかい!」
一穂は離れた。
「俺は別に伽倻子が憎くて叩いた訳やない。間違ってることは間違ってるって示したかっただけや」
初めて一穂に、呼び捨てで呼ばれたことに気づいた。
「…どうして?」
「どうしてって…伽倻子ちゃんのことを認めてるからかな」
二人だけのときに呼ぶ、ちゃん付けに戻った。
「認めてる? …こんな私を?」
「伽倻子ちゃん、ギターめっちゃ上手いやん。俺は楽器できんから、楽器できるってだけで尊敬するし、素直にすごいなぁって」
自分のこと卑下せんでええのと違うか──一穂は伽倻子の髪を撫でてから、
「俺はマネージャーやからね、あくまでも」
それだけを言うと一穂は、
「また部室にきーや。でないと3か年計画果たされへんで」
そう言い置いて一穂は帰って行った。
深夜、伽倻子から着信があったので出ると、
「今日はごめんね…あのね、伽倻子って呼び捨てにされて、ちょっと嬉しかったんだ」
「そう?」
「あのね…私」
「…それは、スクバン終わったら聞く」
今は聞いたらマイナスになる気がする──一穂は続け、
「何となく言いたいことは分かるような気がする。なぜなら多分似たような気持ちやからかも知れんから」
せやけどそれはスクバン終わらんとアカンような気がする──一穂は応えた。
「…分かった。それまで二人だけの内緒ね」
それでこそいつもの伽倻子ちゃんやがな──一穂はようやくいつもの明るい声になった。
それで、と伽倻子は、
「華子ちゃんの件なんだけど、華子ちゃん…私の母親違いの妹なんだよね」
話が長くなるし恥ずかしいけど──そう言うと伽倻子は、伽倻子の母親が離婚したあとに父親が再婚したのが華子の母親で、しかし華子の母親と伽倻子の父親が長らく不倫の関係にあったことを打ち明けた。
「それで、泥棒猫の娘…か」
「華子ちゃんに罪がないのは分かってるから、ちゃんと謝りたくて」
伽倻子はいつもの冷静な伽倻子に戻っているようである。
「じゃあ、今から華ちゃん連れて行くわ」
「えっ?」
「善は急げ…やからね」
言うが早いか一穂は通話を切ると、華子に事情を話して自転車で迎えに行き、その足で伽倻子の家まで急いだ。
しばらくして「着いたで」というLINEが入った。
伽倻子が窓から覗くと、見慣れた一穂の黄色の自転車がある。
伽倻子は出てきた。
「華子ちゃん…ごめんなさい」
すっかり元気をなくしている伽倻子を見て、華子は怒る気もなかったのか、
「…伽倻子さん、うちの母親がすみませんでした」
深々と頭を下げた。
伽倻子は華子を抱き締め、
「ごめん…私、バカ伽倻だ…ごめんなさい…」
華子の胸に顔を埋めると、リミッターの外れた幼子のように、泣きじゃくり初めてしまった。
「伽倻子さん、きっと凄くツラかったんだね…」
あれほど罵詈を浴びせられたはずの華子は、まるで聖母か観世音菩薩のような穏やかな眼差しで、泣き止むまで伽倻子をあやすように抱き締めていた。
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