5 誤算
新年度、玖浦高校に入学生の声はなかった。
「ホンマに休校になってまうんやね…」
萌香がつぶやいた。
他所より早く咲き、早く散り始めた宇和島の桜を窓から眺めながら、海風に舞い散ってゆく花吹雪を、みな何の感懐も抱けずに見るより他なかったらしい。
それはあまりにも寂しく、花や萌香には感じられたようである。
菜々は特に、自分の下に後輩がいないことが重く心を支配していたようで、
「…絶対にスクバン勝ってやる!」
強い覚悟を決めて練習に励んでいた。
5月の連休も、6月の学校祭明けの休みのときにも弛まずに練習を続けていたメンバーたち7人は、夏休みに入ると伊予吉田の聖良の実家に集まって合宿を開いた。
「たまたま作業用の家が空いてて」
伊予吉田の駅から少し離れた小高い坂の上にあった聖良の家からは、わずかであるが宇和海をのぞむことができる。
「ここはね、夜は星が綺麗なんよね」
周りはみかんの段々畑で、昼間は暑かったが夕方になると風が出て心地よかった。
「イギリスはミカンありません」
ケイトいわく、段々畑もないらしい。
「まぁ愛媛のミカン言うたら日本でも有数の産地やからね」
聖良が伸び伸び育った理由が、何となくではあったが萌香は分かったような気がした。
演奏しながらの練習が始まると、
「ここのパートはこうしたほうがえぇんやなかろか?」
などと皆で意見を出し合いながら、次第にメロディーを詰めてゆく。
特に間奏の聖良のパートは見どころとして確認を他念なくやっていたが、
「ここさ…もうちょっと何か足りなくない?」
「うーん…日向子ちゃんのギターと絡めてみる?」
最上級生となっていた萌香は日向子と打ち合わせて試してみたが、何かが違う。
「…ケイトちゃんのバイオリン合わせてみる?」
菜々の意見をもとにケイトが軽快に合わせてみると、意外なほどきれいなサウンドに仕上がった。
「これだ!」
バイオリンのパートを増やして愛に歌ってもらったものを録音したデータで聴いてみると、音の重なりが増えて格段に良くなっている。
「これなら他のサウンドと違って厚みが増したから、松山外語にも互角に渡り合えるかも知れない」
こうして音を作り上げ、何とか合宿は成功に終わった。
8月のお盆休みが明けて程なく、愛媛県予選が始まった。
各都道府県ごとに予選の形は違い、兵庫や北海道のようにブロック予選から本予選に入る地域と、大阪や鹿児島のように総当たりで何日かかけて一発勝負の本予選で決める地域もある。
ちなみに。
愛媛県予選は66校の参加で、1次予選は東予地区と西予地区、南予地区に分かれているものの、2次予選からは総当たりで、本予選は毎年松山市で開かれる。
このうち南予地区予選を3位で突破した玖浦高校は、2次予選も3位で通過し、いよいよ9月の本予選へと進むこととなった。
「ここまで、まだ松山外語に当たっとらんからね…」
萌香が指摘したのは最大の強豪・松山外語大高校のことである。
最大の特長は全員が留学生で歌詞も英語という個性的なバンドで、全国大会にはここまで5回出場し、最高成績は準決勝進出である。
「本予選に当たる前に見ときたかったけど…」
しかも動画で見る限り、今年はボーカルの
そこで。
「ね…愛ちゃんは英語で歌える?」
萌香は何と逆に松山外語のお株を奪う手を繰り出す計画を披露した。
「さすがにそれは…」
愛が尻込みをすると、
「じゃあ、私が歌えばいいのですか?」
ケイトがプランを出した。
ケイトによると、ケイトが英訳した歌詞を歌って、愛は違う楽器で参加すればいい──というのである。
「愛ちゃん、楽器って何できる?」
「ギターなら出来るけど…」
ところがここで問題が起きた。
「私…レフティなんですよ」
つまり左利きなのだというのである。
「でも取り敢えず弾いてみて?」
花が促すと、何と日向子のギターをそのまま、弦の張り替えもなく手首を返して
「すごいね…」
これには日向子が驚いたが、
「でもそれが出来るなら、私の予備のギター貸せばリードとサブでギター揃えられるってことよね」
これは良い意味での誤算であったかもしれない。
本予選当日。
14校いたはずの本予選進出のチームは、なぜか10校しかいなかった。
「どうして…?!」
花は解せなかったが、やがて仔細は明らかになってきた。
この過去しばらく、3出制度で1度だけ休みであった以外すべて松山外語が連続で優勝しており、
──どうせまた松山外語やから。
と、棄権したチームが何と4校も出たのである。
こうした傾向は強豪チームが少ない地域でときに見られ、この場合の松山外語も今年出れば、来年は3出制度で休みとなる。
「つまり、来年に備えて今年は出ないってことね…」
この日向子の一言で闘志に火がついたのは菜々である。
「よそは来年があるけど、うちには来年はないかも知れないんよ!」
菜々にすれば、特に今年は休校を前にしたラストチャンスに近い。
「それを棄権なんてうちらは出来ないし、まして出たくて出られんかったところもある」
だから戦う──意外にも菜々には勝ち気な地金があるらしい。
本予選が始まると、にわかに観客席はざわつき始めた。
前半の5チームが終わった段階で、勝てないと踏んだチームが早々と帰り始めたのである。
玖浦高校は、後半のラスト10校目。
8校目は、松山外語。
「すでに勝負は決まったようなものってみんな思ってるんやね…」
聖良は少し寂しい気もしたが、それが世の中の現実なのかも知れない──そう悟ると、
「どこまでできるか分からないけど、やれるだけのことはやろう!」
メンバーは奮い立った。
昼休憩を挟んで後半が始まると、控室は次第に数が減ってゆく。
「…大丈夫です! 当たってくじけろです!」
「ケイトちゃん、そこ砕けろね」
日向子が関西仕込みのツッコミを入れると、
「うちらは大丈夫かも知れんね」
花が言った。
「だって普段どおりやもん」
これには、メンバー全員がストンと気持ちがおさまったのか、ざわついていたのが落ち着いた。
無事にパフォーマンスが終わり、花が観客席を眺めると、やはり少しスカスカになった客席に、自分たちは出来る限りのことをやった──花は勝ち負けを抜きにして、出せるものを出し尽くした感のほうが強かった。
結果発表が始まり、上位3校以外のところに玖浦高校の名前はなく、取り敢えず3位以上までは確定した。
「ベスト3だなんて…すごいね」
これで胸張って宇和島に帰れ──言いかけたところでドラムロールが鳴り、暗転したあとステージが明るくなった。
「今年の県代表は…」
みな目を閉じている。
「…私立玖浦高校軽音楽部、潮風SEVENのみなさんです!」
一瞬、思考が止まった。
見た。
紛れもなく1位である。
「うちら…勝っちゃったよ?!」
花が隣の聖良と手を握りあった。
表彰式が終わり、記念撮影が終わっても実感がわかなかったらしく、あらためて花に実感がわいたのは、宇和島駅に着いて出迎えを受けたときであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます