カドケウスの逆襲─茅ヶ崎商業高校編─

1 騎靴

 スクバンことスクールバンド選手権大会の歴代優勝校の一つに、神奈川県立茅ヶ崎工業高校という高校がある。


 文字通り工業高校で、しかし〈team tecnica〉9人のメンバーは全員が女子生徒、しかもテクノポップにストリングスという編成で生み出された音楽であれよあれよと勝ち上がり、7年ぶり2度目の出場で優勝を成し遂げた。


 この茅ヶ崎工業高校と市内で並び称されるのが、神奈川県立茅ヶ崎商業高校である。


 ──しょう


 と古くから地元では呼ばれ、就職率も高いところから人気はあるのだが、こうこと茅ヶ崎工業高校と決定的に違うのは部活動の弱さであった。


 この両校、毎年定期戦が組まれ毎年5月に行なわれるのであるが、野球やサッカー、バレーボールやバスケットボールなどあらゆる部活動で、どうしたことか茅工に勝てないのである。


 体力的の問題という理由も考えにくく、指導に問題がある訳でもなさそうであるが、勝てない。


 まれに勝つことはあるが、それは顧問が茅工から来たり、あるいは茅工のチームに欠員が出たり──などと、何らかの理由があるときぐらいで、この年も負けてとうとう9連敗まで来てしまったのであるから、重症というより他はない。





 そんな茅商こと茅ヶ崎商業高校に新しくスクールバンド研究部なるものが出来たのは、茅工の卒業生であった星島果林かりんという、うら若い女性教諭が赴任して来たことによるものであった。


 この果林先生、茅工から地元の工業大学へ進み、情報処理を専攻し、ついでながらプログラミングはプロ並みでもある。


 新任のときに人が少ないと楽だから…というような安直な動機で相模湖に近い田舎の県立高校に着任し、今回が2校目である。


 ともあれ。


 果林先生が早速始めたのは部員探しであった。


 さっそく目をつけた…というより目についた生徒が、商業科の2年生・春藤しゅんどう奏海かなみである。


 もともと整った顔立ちにストレートヘアという華があるところに来て、最大の見た目は登下校時の、サッチェルバッグを背負いジョッキーブーツをいつも履いている…という姿であった。


 しかも使い込まれているらしく、常に磨かれてある。


 どうやら単なるファッションでもなさそうで、のちに分かったところでは、


 ──学校のない日は乗馬をしている。


 といい、それで履いている…との由であった。





 春藤奏海には逸話がある。


 そのジョッキーブーツを生活指導の教師に一度咎められたことがあったのであるが、


「うちの実家は乗馬クラブなんですけど、じゃあ先生は乗馬クラブの人間は茅ヶ崎商業に来るなってことで、よろしいんですね?」


 とやり返し、例外的に認めさせた──という経緯である。


 余談ながら春藤家の乗馬クラブはもともと馬専門の牧場で、戦前には馬を陸軍や宮家に納入していたこともあって、地元では名家として名前もとおっている。


 その娘である奏海はベースギターが弾けた。


 父親がカントリーミュージック好きで、のべつギターを鳴らしていたのが起因らしい。


 それで果林先生は奏海に入部を打診してみたのであったが、


「目的も理由も分からないのではちょっと…」


 そこは奏海の言うとおりであろう。





 が、しかしである。


「奏海…それもったいないって」


 そう言って勧めてきたのが、奏海とは保育園からの幼なじみであった、ドラムの経験がある情報学科3年生の児玉瑶子ようこである。


「瑶子ちゃん…そんな簡単に言わないで」


 奏海にすれば不安しかない。


 ところが瑶子は違う視点であったようで、


「何か部活やっといたら、就職率上がるかもよ」


 確かにそれまで奏海は部活らしい部活には所属していなかった。


「私なんかはほら、実家サラリーマンだから関係ないかも知れないけど、奏海んは乗馬クラブじゃん? どのみち社会経験積むのに、就職しなきゃなんないよね?」


 それはある。


 言われてみればその通りで、家業のようなバックボーンがあれば働くには困らないかも知れないが、それでもきょう日あたり、若者の就職は簡単ではない。


「…まぁ、何もやらないよりはマシか」


 最終的に奏海と瑶子は、一緒にスクールバンド研究部へと来ることになったのである。





 果林先生にすれば奏海の他に瑶子まで入ってきて、望外の驚きであり僥倖でもあったのであるが、ただここで問題があった。


 奏海はベースが弾けたし、瑶子は父親がアマチュアバンドのドラム担当で家にドラムセットがあり、たまにユニコーンやスピッツの譜面で叩いていたりもしたので良かったのであるが、ギター担当がいないのである。


「パパのバンドのメンバーの子が、普通科にいるから訊いてみる?」


 昼休みに瑶子は奏海を連れ立って、普通科の1年生の教室まで来ると、


「かれん、いる?」


 呼ばわられて出てきたのはくすのきかれんという縁なしのメガネをかけた小柄な女子生徒で、


「あ、ようちゃん…どないしたん?」


 かれんは関西弁で答えた。





 このときの瑶子は実に手早かったものか、


「かれん、確かギター弾けたよね?」


「うん」


「今度うちの学校にスクールバンド研究部ってのが出来るから、かれん良かったら一緒にやらない?」


「…うーん、今決めなアカン?」


「まぁ結論は…早いほうがいいかな」


 奏海が何気なく言った。


 しばし考え込んでいたが、かれんはやがて、


「…じゃあ、取り敢えずやってみる」


 なんか楽しそうやし──かれんのアクティブな面が、ここでは幸いしたようであった。






 3人のいわゆるスリーピースバンドとして始まったスクールバンド研究部は、まずオリジナル曲を作るところから始まった。


「こんなの作ってみた」


 奏海は弾き語りをするので、オリジナル曲を何曲か持っていたらしい。


 その中の『FLAG』というナンバーを聴いた瑶子は、


「良いねぇ」


 まずはコレで予選だね──エントリーすることを決めたスクバン予選での曲に決めたらしい。


 が。


 その前にバンド名を決めなければならない。





 しばし皆、考え込んでいたが浮かぶ訳でもない。


 もう諦めかけたときにかれんがふと、


Mercuriusメルクリウスってのはどう?」


 ギリシャ神話にも出てくる商業の神・マーキュリーを、ラテン語でメルクリウスというところから思いついたらしい。


「Mercurius…」


「何か、かっこいいね」


 瑶子が気に入ったらしく、奏海も特段の異論はなかった。


「今日から私たちはMercuriusだね」


 そのようにして本格的な活動は始まった。



 

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