3 目標

 スクバン神奈川県予選第1次地区予選は、藤沢の体育館が会場であった。


「たまたま近場だったし助かったよね」


 地区予選の会場も神奈川県予選の場合は抽選であるため、運がないときには川崎から小田原まで移動──などというパターンもあったりするが、茅ヶ崎から藤沢なら隣である。


「真鶴農業だけは大変そうだけどね」


 愛甲高校は厚木にある。


 真鶴農業だけは箱根に近い湯河原から電車で藤沢まで来なければならない。


「他の県はどうなんだろうね?」


「なんか関西は違うみたいやけど…」


 かれん曰く、地元の京都予選は仕組みが違うらしい。


「前に聞いたのは、京都予選は団体の勝ち抜き戦やって言うてたかな」


 他にも兵庫はブロックごとの地区代表戦で決め、大阪はリーグ予選方式、奈良は対バンのトーナメント方式──などとそれぞれ違うらしい。


 それでいけば神奈川はリーグ予選方式なのであるが、大阪の場合すべて森之宮ホールというコンサートホールを借り切ってみな同じ場所で戦うのに対し、神奈川は各地に予選が散らばっている。


「じゃあ、うちらはまだ地の利が期待できるだけ恵まれてるってことかぁ」


 瑶子は言った。





 スクバン地区予選は真鶴農業高校〈真鶴ファーマーズ〉の演奏から始まった。


 初めて目にするスクバンの予選は、奏海にはある意味ショッキングであったらしく、〈真鶴ファーマーズ〉の演奏を見ただけで奏海はすっかり考え込んでしまっていた。


「私たちは何でスクバンを目指すのか、明確な目標がないとダメかもしれないね」


 というのも。


 真鶴農業の場合、統廃合の話がここ数年ずっと囁かれており、知名度を上げるためにスクールバンドを立ち上げていた──という成り立ちがある。


 それにひきかえ。


 茅商の場合はたまたま果林先生が立ち上げ、奏海たちは話に乗ったまでに過ぎない。


「せやから、勝とうって意識が薄いのかも」


 かれんもそこは考えていたらしい。


 そんなことを話しているうちに、2番目である茅商の出番が来た。


「それでは聴いてください、『セピア色になる前に』」


 かれんのギターから始まるミディアムナンバーである。





 演奏が終わって引き上げると、廊下で果林先生が茅工の生徒に囲まれて話しているのを奏海たちは目にした。


「それにしても、まさか星島先輩が茅商でスクールバンドの顧問をするなんて…まぁ裏切り者ですよね」


 廊下の物陰から見ていて、後輩であるはずの生徒たちから果林先生が投げかけられていたのは、衝撃的な単語であった。


「…まぁ、せいぜい頑張ってください」


 茅工のセーラー服を着た、リーダーと思しき生徒が立ち去ると、果林先生は奏海たちに気づいたようで、


「…聞いちゃったか」


 果林先生は照れ臭そうに舌を出し、苦笑いをしながら、


「まぁあの子たちからすれば、私は裏切り者扱いだよね…一応先輩だし」


 バツの悪そうな顔をした。





 予選は3位敗退であった。


「まぁ最下位じゃあなかったけど、私はこれで引退だしね」


 駅前のファミリーレストランでみなで食事を取りながら、瑶子は自分がこれでスクールバンド研究部を抜けることを指した。


「でも…果林先生は何で、茅商にスクールバンドを作る気になったの?」


 瑶子は物事をハッキリさせておきたかったらしい。


「それはね…あんまり言いたくない話なんだけど、茅工って工業科と普通科とあって、昔から派閥みたいなものがあるんだよね」


 果林先生は普通科出身でたまたま進学コースにいたが、


「それで、私が2年生のときに派閥抗争みたいのがあって、何もしてないはずなのに私なんか、普通科ってだけで軽音楽部を追い出されちゃって」


 果林先生は深く息をついた。


「それでもし教師になれたら、そんな争いのない部活を作りたくて」


 そうして前任校で作ろうとしたらしいが人数が集まらず、茅商に来て声をかけたのが奏海たちMercuriusのメンバーたちであったらしかった。





 奏海は果林先生が言い争うのを嫌うのは、そんなところに理由があるのかも知れないと感じていたようで、


「だからって、勝てない部活を作ったって意味はないと思います」


「それもそうよね。でもね奏海ちゃん、社会に出たら人は嫌でも争わなきゃならないし、世界はどこに行っても戦場しかないんだよね、結局は」


 果林先生は諭すように述べた。


「今なら分かるんだけどね…普通科は3年になったら受験対策とかあるけど、他の科は資格さえ取っちゃえばあとは就職試験だけで、卒業だって最低限の赤点さえクリアすれば何とかなるし」


 意識の違いが、抗争のきっかけになるようであった。


「でも…せめて部活は派閥とかとは関係なく過ごしたいじゃん」


 果林先生は苦い経験を活かして、良い学校生活を送らせることを考えていたようである。


「だからね…普通科とかどこの学科とか関係なく、ここの学校ならフラットに出来るのかなって」


「…確かに茅工ってうちより色んな実績あるから、私なんかも茅工の普通科受けたらって言われたけど、でも今思えば入ってたら違ってたかもしれない」


 奏海はドリンクバーへ立った。





 予選が終わって3年生の瑶子が引退すると、スクールバンド研究部は奏海とかれんの2人になったのであるが、程なく果林先生が一人の1年生の女子生徒を連れてきた。


「入学早々休学してた子なんだけど、ピアノできるから連れてきた」


 そう言って引き合わされたのは、星澤ほしざわ恵美里えみりという右眼の眼帯が印象的な女子生徒である。


「どうしたの?」


 奏海は問うたが、


「あ、ちょっとケガで…」


 とだけ小さく恵美里は答えた。


 試しにとピアノを演奏させてみると、とても左目だけとは思えない速さで、弾き慣れた様子でトルコ行進曲をスラスラ弾いてみせた。


「それで、たまたま動画で見たスクールバンド研究部を見て、これなら興味あるって話だったから」


 それで連れてきたらしい。


 恵美里はどうやら人見知りが強いらしく、あまり話そうとはしない。


 しかし奏海は無理に話させようとはせず、


「まぁ、弾きたくなったらおいでって」


 新しく部長になった奏海には、そうしたところがあるらしい。





 恵美里が加わって間もなく夏休みとなり、奏海の資格試験も片付いた7月の終わり、かれんと恵美里は奏海の家で何日間か合宿をすることとなった。


 奏海の家は宿泊施設があり、その一室を借りた形である。


 早速ぶつかったのは、バンドとして何を目指すかという方向性であった。


「私たちは何をしたいのか?」


 という、根本的な問題である。


 かれんは明快に、


「それはメジャーデビューでしょ」


 とのみ述べた。


「それは…悪いけど、私が目指すものじゃない」


 恵美里は単純に音楽が好きで、音楽に触れていられさえすれば、あとはどうでも良かったフシがある。


 奏海は黙ったまま、かれんと恵美里の言葉を聞いていた。





 かれんと恵美里は、


「…奏海先輩は?」


 ともに奏海の顔を凝視した。


 奏海はもだを貫いたまま、瞑目し、眉間にしわを寄せ、何やら考えていたが、


「…だったら、別にスクバンだけを目指す必要はないって私は思う」


 奏海は静かに述べた。


 沈默のあと、かれんと恵美里は瞠目し、


「──え、えぇっ!!」


 驚いたのも無理はなかった。


「だって…何か違うアプローチがあるなら、それでもいいのかなって」


 果林先生も、茅工も、スクバンだけにこだわるから、あれこれ諍いになるのである──というのが、奏海の偽らざる本音であったらしい。


「それなら、他とは違う道を歩いたって私はいいと思う」


「じゃあどうやって…?」


 かれんは問うた。


 奏海は得たりとばかりに身を乗り出してみせた。


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