アカシアの樹の下で─傳教館高校編─

1 藩校


 兵庫県立傳教館でんきょうかん高校が記念で編んだ学校史の資料をひもとくと、前身である旧藩校の傳教館は、当初はくすのき蕃庵ばんあんという一人の学者が開いた郷学ごうがくであった──とされる。


 街道の交差する要衝でありながら、一万五千石という見逃してしまいそうな小藩であった福崎ふくさき藩に、楠蕃庵が郷学の傳教館を開いたのは幕威の盛んであった享和元年で、はじめは地元の富商たちが資金を出し合って工面し、陣屋のそばの寺の一隅に、小屋同然の小さな学び舎を建てたところから始まった。


 やがて。


 藩侯が代替わりをして程なかった文化元年、藩で運営する形になり、正式な藩学としてスタートしている。


 そのため公立高校でありながら創立者がある──という、現今では風変わりな学校になったのであるが、実のところ明治の御一新ののち一度、傳教館の名は消えた。


 ところが。


 地元の商家たちが合力して出来た小さな私学に、再び傳教館という名をつけ、大正期の学制変更で町立学校となり、さらに戦後の学制改革で現在の県立傳教館高校という校名となった。





 ところで。


 県立高校ながら長らく男子校であった傳教館高校が男女共学となったのは開学200年の節目となった2003年で、しかし男子校の気風が簡単に変わることはなく、女子生徒の募集はいつも定員割れで、男子だけのクラスを意味する、


 ──だんクラ。


 というクラスまであらわれる始末であった。


 そんな男子だらけの高校に、関伽倻子かやこというバレッタリボンが印象的な、都会的な雰囲気の女子高校生が入学してきた当時のことを、


「まるで掃き溜めに鶴やで」


 と他日、クラスメイトとなった高梨一穂かずほは述べているのであるが、もしかすると彼女があらわれたことが、彼が巻き込まれたの発端であったのかもわからない。


 というのも。


 そもそも傳教館高校には、軽音楽部どころか吹奏楽部もなく、文化部は囲碁将棋部と美術部ぐらいのものである。


 しかも。


 女子に人気があったのは袴姿で稽古をする薙刀部で、てっきり関伽倻子も薙刀部あたりにでも入るものであろう…と、高梨一穂も決めてかかっていたところはあったらしい。





 が、しかしである。


 隣のクラスとなっていた一穂とは小学校からの幼馴染みである礒貝うららという女子が、


「あのさ…ちょっと相談があるんやけど」


 と、放課後に声をかけてきた。


 麗の礒貝家と一穂の高梨家は同じ町内の同じブロックで、互いに親同士も行き来をしている家族ぐるみの付き合いでもある。


 半ば親戚のような麗は一穂を図書室に呼び出すと、


「うちの母親が、民生委員しているのは知ってるよね?」


「それは知っとる」


「でね、カズくんのクラスの関伽倻子ちゃんって子、ちょっと複雑な家らしくて…私も協力するから、少し気にしてやってくれんやろかって」


「そんなもん、言うたら麗が気にしたらええやないか」


「だって…私クラス違うから中々タイミングが」


 見た目がそこそこ可愛い麗がメガネ姿の一穂を呼び出して何やら話し込んでいる姿だけで、男子の多い校内では噂が立つ。


「まぁ…ちょっとやるだけやってみるわ」


 早く話を切り上げたかった一穂は、適当にあしらってその場は話を終えた。





 その夜。


 麗のスマートフォンに、一穂からのLINEが入った。


「麗、確かお前ピアノできたよな?」


「うん」


「それで…関伽倻子って確か、ギター弾けるって聞いたんやけど」


「なんかね、弾けるらしいよ」


「よっしゃ、それなら軽音楽部作れば何とかできるかも知れん」


「…バンド?!」


「お前、私も協力するからって言うたやないか」


 麗は言質を取られた。


「ほんなら、決まりやな。あと2人集めたら部活動の申請できるから、互いに1人ずつノルマな」


 こんな形で、全ては始まった。





 麗のノルマは意外にもあっさり決まった。


「うちね、麗ちゃんが一緒やったら別にえぇよ」


 そう言ってくれたのは、中学の頃から仲の良かった實平さねひら茉莉江まりえという、少しふくよかな愛嬌のある女子で、


「できれば高梨くんも参加してくれるといいなぁ」


 どうやらほのかな想いを、一穂に抱いているようである。


 他方で。


 一穂は関伽倻子に話しかけることすら難渋していた。


 席の並びの関係で伽倻子の後ろが一穂なのであるが、これがなかなか話しかけるには難しい。


 ところがアレルギー持ちの一穂が授業中に、派手にくしゃみをしてしまい、


「あっ…関さん、ごめんなさい!!」


 真正面にあった伽倻子の背中に、ツバがかかってしまったのである。


「…高梨くん」


「ホンマにごめんなさい…わぁ、どないしょ…クリーニング屋知らんし…」


 顔を真っ赤にして必死に謝る一穂を見て可笑しくなったのか、伽倻子はコロコロと笑い出してしまい、


「そんなに謝らなくたって大丈夫だから」


「ホンマにごめんなさい…」


 泣きそうな一穂に、


「じゃあ…ちょっとあとで、ついてきてくれる?」


 言うこと聞いてもらうから──伽倻子はいたずらっぽくウィンクしてみせた。





 一穂が連れてこられたのは、郊外にある伽倻子の家である。


「さ、入って」


「お…お邪魔します」


 緊張状態の中、門を抜けると通路があって、しかもそこそこ広い。


 自転車でここまで来るだけでも中々の距離で、そこへ来ていわゆる豪邸であるから、緊張するなというほうが無理であろう。


「ただいまー、友達連れて来た」


 出迎えたのは母親らしい。


「あ、はじめまして…高梨一穂です」


 一穂は汗をかきながら丁寧な挨拶をした。


「あら…伽倻子がボーイフレンドなんか連れてくるなんて珍しいわね」


「あの…いや、伽倻子さんとは単に同じクラスなもので」


「まぁ立ち話も何だから、気にしないで上がって」


 話し言葉から、伽倻子も母親も標準語なだけに地元ではないらしかった。





 リビングでソファに促されると、


「座っていいよ、気にしないで」


 とは伽倻子は言うものの、一穂は何とも落ち着かない。


「取り敢えずお菓子とお茶出すね」


 そこでようやく一穂はリュックを下ろした。


「私ね…あんまり人付き合い得意じゃないんだ」


 でも高梨くんは他の人と違うみたいだから──それで家に上げたらしい。


「でさ、何か私のこと色々聞き回ってるのがいるみたいだけど…聞いたことある?」


 それが本題らしい。


 一穂はここで嘘をついても仕方ないと思ったのか、名前は伏せたが友達の母親の民生委員から伽倻子のことを気にかけて欲しいと頼まれていることを素直に話した。


「そうだったんだ…」


「でも別に何か関さんを付け回すみたいで、俺はそんなん嫌やったし」


「高梨くん、ありがとう」


 やっぱり高梨くんで良かった──伽倻子は向かいから一穂の隣へ座り直した。


「あのね…」


 伽倻子は一穂がかけていたメガネを外した。


「…高梨くんって、メガネ外したらイケメンなのになぁって思ってたんだ」


 伽倻子は一穂の顔を覗き込んだ。





 それでね、と伽倻子は、


「噂で聞いたんだけど、今度軽音楽部出来るってホント?」


「あ、それは聞いたことある」


「私ね…バンドやってみたいんだ。それで高梨くん…一緒に入ってくれないかなって」


「俺は別にえぇけど、楽器でけへんし…マネージャーならえぇかなって」


 それに部を作るには5人揃えんとあかんから──一穂は述べた。


「で、今はどのぐらいいるのかな?」


「聞いた話では2人かな」


「2人かぁ…じゃあ高梨くんと私と、あと1人来ればいいんだ?」


「まぁそういう理屈にはなるわな」


「心当たりがあるから、週末まで待ってもらっていい?」


 伽倻子には優しい面があるらしかった。


 夕方帰り際に、


「今日はありがと」


 伽倻子は言うが早いか、一穂の頬に軽くキスをした。


「え…えぇーっ?!」


「勘違いさせたらごめんね、挨拶みたいなものだから」


 そう言うと伽倻子は、そそくさ家へ入ってしまったのであるが、一穂は自転車で夕暮れの風を浴びながら、なるだけ考えないようにして、家路を急いだのであった。


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