第39話 「ダン」

「はあ……」

 ダニエルが騎士団長の執務室に戻るとアリアがこれ見よがしにため息をついた。

「た、ただいま~ちょっと休憩に散歩してました~」

「頼んでいたハンコは押してくださいましたか?」

「あ、はい、それはちゃんとやってから出ました。もちろんでございます、はい」

「まったく……騎士団長と姫君の逢瀬だなんて、世間にバレたらえらいことですよ。せっかくの陛下の信頼だって失われるかも知れませんよ」

「これはそんなんじゃないって……だいたい俺とローザ姫は十歳も年が離れてるんだぜ? せいぜい妹がいいところだろうが」

「……政略結婚でしたらそのくらいの年の差はありふれていますよ」

「政略結婚、か……」

 いつかローザ姫も政治的判断でどこかへ嫁いでいくのだろうか? ローザを溺愛している父王と、可愛がっている兄の王太子はローザ姫の望まない結婚はさせないだろうが、三方を他国に囲まれた国では、戦況次第ではそういうことになってもおかしくない。それをなるべく避けるためにも、騎士団長としてますますがんばらなければいけないとダニエルは決意を新たにした。

「……それに、あなたはそう思っていても、ローザ姫がどう思っているか……」

「えっ」

 その発想が一切なかったダニエルは思わず間の抜けた顔になる。

「えっ、ローザが俺のことを好きな可能性とか……あるのか……?」

「私はしりません」

「あ、はい」

 存外に冷たいアリアの返答にダニエルはしょぼんとうなずく。

「ところで、どうやら私達が留守にしている間に陛下から呼び出しがあったようですが」

 机の上のメモ書きに視線を落としてアリアがそう言った。

「それは早く言えよ!」

「急いで行ってさしあげてください」

「くそぉ!」

 ダニエルは執務室を走り出て、王の居室に向かった。そのひたむきでかわらない後ろ姿をアリアは苦笑とともに見送った。


 ダニエルは汗をかいて、息を切らしながら、王の居室に転がり込んだ。侍従が非難めいた目を向けるが、国王は嬉しそうに迎え入れた。

「お、お待たせしました! 陛下!」

「いやいや、こちらこそ、すまんな、ダニエル騎士団長。執務で忙しい君を急に呼び出したりして」

「いえいえ……」

 まさかローザ姫の部屋で遊んでいましたとは言えない。ダニエルはかぶりを振った。

 ローザが帰ってきて、国王はすっかり元気を取り戻していた。恰幅の良さが増している気がする。

「それで、わたくしに何のご用でしょうか!」

 ダニエルは大遅刻をごまかすようにハキハキと声を上げた。

「ああ、あのな、東部の大演習なのだが……」

 渋い顔で国王は語り出した。

「はい」

「脅迫状が届いた」

「はい?」

「王子を参加させるな、さもなくば王子が危ない目に遭うという脅迫状だ」

「……それは、不穏な」

 ダニエルは顔をしかめる。一難去ってまた一難。どうにも心配事の絶えない王家である。

「しかし、王子の東部大演習への参加はもう正式に公布してしまった。それを覆すわけにはいかない」

「ええ……そうですね」

 王家が脅しに屈した。たった一回でもその前例を作ることは、あまり好ましくない。

「王太子殿下ご自身はなんと?」

「あれもなかなか肝が据わっていてな。参加したいと言っている」

「ご立派です」

 ローザ姫と違い、王太子は戦争関連の式典にも参席することが多い。ダニエル騎士団長も式典で何度か顔を合わせ、会話をしたこともある。ハキハキとしていて、実直な印象を与える青年だった。王太子だというのに気取ったり鼻にかけたところもない。彼なら確かに脅しには屈しないだろう。

「それで、ダニエル騎士団長……いや、ダン!」

「はい!?」

 あの懐かしさすら覚える偽名を呼ばれてダニエルは背筋を伸ばす。

「『ダン』として東部大演習に潜入し、事の犯人を暴き出してはくれないだろうか!」

「……は、はあ」

 ダニエルは少し考える。王子への脅迫。それ自体は騎士団長として乗り出してもよい案件だ。しかし脅迫があったという事実を世の中に知らしめるのはあまりよくない。混乱の元となるかも知れない。

 そして今回の東部大演習には騎士団長は元々参加の予定はない。副団長が代理として司令官として参加する予定だった。

「と、東部大演習は……その、そこら辺の町と違って私の素性を知る者も大勢いますが……」

「それでも下っ端の一人として紛れれば、他人のそら似だと思われるのではないか?」

「ああ、それは、そうかもしれませんね……」

 髪でも切ってしまえば、案外バレないかも知れない。髪をくしゃりとかいてダニエルはそう思った。

「というわけで、頼む、騎士団長、脅迫状への対処、お前に任せたい」

「…………はい!」

 どうやらダンという名前とはしばらく付き合っていく必要があるようだ。

 そう思いながらダニエルは敬礼をした。

 それは綺麗な騎士の手本となるような敬礼だった。


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