第5話 騎士団長、いきなり帰る

 夜、王宮の一角、騎士団長室でアリアは書類に向かっていた。

 騎士団長ダニエルが出奔したところで彼女の仕事はそう変わらない。

 書類に目を通し、ダニエルに判を押してもらうところを指定する。

 それが普段の彼女の仕事であり、ダニエルに書類をきちんと読ませているのは情勢を頭にたたき込ませるためだった。

 そんな最中、ふわりと騎士団長室に風が吹いた。

 アリアがはてなと顔を上げると、窓枠にダニエルが腰掛けていた。

 ここは三階であるが、アリアはそんなことでは驚かない。

「お帰りなさいませ、団長。満足されましたか?」

「いや、また出掛ける。明日の朝までにはあっちに戻らないとな」

「はあ……」

 アリアはこれ見よがしにため息をついた。

「俺がいなくなって困ることは?」

「今のところありません。というかそれどころではなくなってしまい、あなたがいないことすらほぼバレていません」

「だろうな……ローザ姫が行方不明になったんだろう?」

「……何故、それを」

 アリアの顔に初めて驚きが浮かんだ。

 大事件とはいえ、ことがことだけに王宮内で処理しようと躍起になっている事柄を、何故出奔していた騎士団長が知っているのだろう。

「出奔先でお会いしたからだ」

「……何という偶然……」

 さすがのアリアも頭を抱えた。

 しかしすぐにキリリとした表情に戻る。

「まあ、団長が発見されたのなら、もう安心ですね。私はもうてっきり古風に騎士団長と姫が駆け落ちでもしたのかと思ってしまったくらいですが……」

「意外と少女趣味なところがあるよな、アリアは」

 ダニエルは笑いながら続けた。

「というわけで今から国王陛下にお会いしてくる」

「そうですね。とてもご心痛なようで寝込まれてしまっています。早く行って差し上げてください。あなたの仕事はいつも通り勝手にやっておきます」

「ありがとう、アリア」

「どういたしまして」


 ダニエルは王宮を進み、王の私室に向かう。

 途中、王宮の者何人かとすれ違ったが、その反応は確かにダニエル騎士団長の出奔に気付いていないようであった。

 王の私室の前では具合の悪い王への面会は侍従から難色を示された。しかしローザ姫のことで話があると言えば、その態度は軟化し、即座に王の私室に招かれた。

「おうダニエル騎士団長……すまないな、こんな姿で」

「いえ、どうぞそのままで」

 寝台に横たわり明らかに青ざめた顔をした王に、ダニエルはひざまずいた。

「陛下、ローザ姫を発見いたしました」

「ああ……さすがは余が直々に騎士団長に任命した男……! 昨日の今日でローザを見つけてくれるとは……!」

 王が感動に打ち震えるのを見ていると、さすがのダニエルも偶然とはどうにも言いがたかった。

「……姫様は三つ隣の町にて騎士団試験を受けておいででした。付き添いに茶髪茶目の少年もおりました」

「なんと……! 売り言葉に買い言葉をそのまま真に受けるとは……」

 王は頭を抱えた。

「親子喧嘩ですか?」

「うむ……ほら、元々お前を騎士団長に任命したのは騎士団内の権力闘争が原因だったであろう?」

「はい」

 ダニエルがこの若さで騎士団長に任命されたのは、王の鶴の一声である。

 二年前、ダニエルたちが国境戦を制した頃、騎士団は権力闘争のまっただ中であった。

 国が戦争で揺れているというのに、権力に固執し醜く争う騎士たちに王は大いに失望した。

 そして武勲を上げたばかりのダニエルを無理矢理に騎士団長へ据えることで、権力闘争に一端の終止符を打ったのであった。

 その権力闘争は未だにくすぶっており、ダニエルにはとばっちりの政敵も多い。

 そのあれこれはアリアがだいたい対処してくれているのでダニエルは承知しているがほとんど何もしていない。


 他を凌駕する剣と魔法の力を持って騎士団長に君臨する。

 それこそがダニエルに与えられた使命であり、細々として政争は関わるべきところではないのであった。

「そのことをな、ちょっと世間話のつもりでローザに愚痴ってしまってな」

 それは年頃の娘にするような世間話ではない。

 しかし王は王であり父である。仕事の話しか娘に出来ない哀れな父親なのである。

「そしたらローザの奴『わたくしが騎士団に入って腐敗をどうにかいたします!』とか言い出すから、『そんなこと出来るわけないだろ』って言ったら家出された……」

「う、うーん」

 なんというじゃじゃ馬娘。

 まさかあのかわいらしいお嬢様がそんな理由で騎士団試験に挑むとは。

「ま、まあ、騎士団試験の結果はかんばしくなかったので、諦めてお帰りになるかと……」

「そう思いたいのだが……ローザは王族の血筋のため、魔力だけはある。魔法を使いこなせないだけでその適正を見抜かれたら、合格してしまう気がする……」

「魔力量、ですか……」

 ダニエルは感知系には弱い。

 動きを見て、相手が『今』どれだけ戦えるかは見抜けるが、潜在能力、特に魔力量となると、お手上げである。

 手練れの魔法使いの中には、それを見抜ける者もいる。試験会場の試験官の中にそれに秀でたものが居たら、ローザが合格してしまうのではないかという王の懸念はもっともであった。

「ところでダニエル騎士団長、王都ならまだしも三つ隣の町の騎士試験なんかに何をしに……?」

 王が心底不思議そうに首をかしげた。

「え……あ、それは……し、視察です! 自分は若くして騎士団長になりました。故に下の者の苦労をあまり分かっていません! 故に騎士試験をもう一度下の者の立場から受けて、どうなっているか肌感覚で感じてみようかなあと! それで王都ではなく知り合いの居なさそうな三つ隣の町に行ってみたのです! それがたまたま家出した姫君のお考えと一致したのかと……!」

「すばらしい!」

 王は大声を出した。

「さすがダニエル! そんな殊勝なことを考えた騎士団長がこれまでにいたであろうか! いや、いない! すばらしいぞ!」

「お、お褒めにあずかり光栄です……」

 退屈を紛らわせるための言い訳を思いっきり褒められて、ダニエルは冷や汗をかく。

「そして偶然にもそこにローザがいる! これはもはや天啓! よし! 余、直々に認めよう。お前は騎士団訓練生たちの中に混じって、視察とローザの護衛を頼む! ただしローザが脱落したら連れて帰ってくるのだ! というかどうにか脱落するか、騎士の道を諦めるよう説得なり妨害なりしてくれ! いいな!」

「分かりました! 王に誓って!」

「因みにこれは極秘任務だ! 姫が警備の手薄な騎士団にいるなどと知られては何が起こるか分からぬからな!」

「はい!」

 ダニエルは威勢良く返事をした。

 こうしてダニエル騎士団長の気まぐれな出奔は王からの勅令任務となったのであった。

「……ところでローザ姫と一緒にいる少年ですが……」

「ああ、乳兄妹のジョセフだろう。あの子はなかなかローザには逆らえんからな……」

「身元の知れているものなのですね。では、警戒せずにおきます」

「うん、頼んだぞ、ダニエル」

「はっ」

 ダニエルはかしこまり、王の居室を退室した。


 夜の道を馬で駆けていく。いつもの愛馬ではない。あれはさすがに名が知れすぎていた。王宮騎士団から勝手に拝借してきた名馬で、ダニエルは王宮から試験会場まで戻っていった。

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