第16話 お姫様と騎士隊

「訓練はここまで! 昼食に移れ!」

 ハロルド教官の号令に、訓練生の間に弛緩した空気が流れた。

「午後は午前の様子から判定した魔法技量を元にチームを分けるので、そのつもりで!」

「はい!」

 ワイワイとざわめきながら訓練生は食堂への道を戻る。

「ふー、骨が折れた」

 いつの間にやらダンの隣にはフレッドが来ていた。

「わかっちゃいたけど、俺、魔力量最下位だったよ」

 笑ってこそいたが、ダンの目にはフレッドは少し落ち込んでいるようにも見えた。

「お疲れさん」

「魔法技量もまあ大したことなさそうだし……馬にも乗れねーし、剣技に賭けるしかないなあ」

「そういや、昨日の午前中は剣技だったな。どうだった?」

「ハロルド教官が相手してくれたよ。突きって怖いな」

 フレッドの感想は端的だったが、ダンにはその気持ちがよくわかった。

 何しろ自分もハロルド教官の突きに襲われた身である。

 しかし、ハロルド教官直々に相手をしたということは、単純に相手がいなかったというのもあるだろうが、それだけ期待されているということでもあるだろう。

 誇っていいはずだ。

 それをフレッドに伝えてやりながら、ダンは調理場への道を行った。


 ダンは今日も今日とてお前は何もやるなと調理場ではローザとふたりで隅に追いやられた。

 皿を磨くのも手慣れてきて、素早く終えてしまい、食堂の机を拭いていると食堂に何者かが入ってきた。

「ダンはいるか?」

 その声はお世辞にも好意的とは言えなかった。

 敵愾心に満ちた声にダンとローザは入り口を振り返った。

 騎士隊の格好をした男が三人食堂に入ってくるところだった。胸元の章からウィーヴァー隊であることがわかる。

「はい、俺がダンです」

 これは面倒なことになるな、そう思いながらダンは手を上げた。

「……お前がダンか……」

「うっす」

 男はしばしダンを上から下まで眺めた。

 ダンも男を観察する。二十代後半。ほどよくついた筋肉。隙のない立ち振る舞い。

 それなりにやりそうな騎士だった。

「……俺はオリバー、ウィーヴァー隊の副隊長補佐だ」

「なるほど?」

「……今回の件でウィーヴァー隊長がいなくなり、人手が足りなくなった。聞けばお前はなかなか優秀な訓練生だそうじゃないか。……人手を借りたいのだが?」

「馬鹿な!」

 ローザが叫んだ。

「隊長一人いなくなったくらいで指揮系統が麻痺するならともかく、下っ端を駆り出すほど人手が足りなくなるわけないでしょう!」

「まあまあ」

 ダンはにこやかにローザを振り返りなだめる。

「話だけでも聞きますよ。何に駆り出されるんでしょう、俺」

「盗賊団の討伐だ」

「なるほどそれは……放っておけませんねえ」

「……ダン!」

 ローザが叱責の声を飛ばす。

「……訓練生がそのようなことに参加するのはおかしいです。前回の魔獣討伐は人命がかかっていましたし、緊急事態でしたが、本来あれも越権行為ですわ!」

「うるさい女だな」

 オリバー副隊長補佐はうっとうしそうにローザに吐き捨てた。

 ダンの顔はやや引きつる。

 知らぬこととは言えお姫様相手に「うるさい女」はまずい。非常にまずい。

「うるさくもさせてもらいます! 大体なんですかあなたたち連れ立ってわざわざ! まず訓練生を駆り出したいのならハロルド教官を通すのが筋ではありませんか!」

 ローザは「うるさい女」扱いには怒らなかったし、吐いた言葉も正論であった。

 意外にも規律には厳しく聡いお姫様だった。

 その頃には昼食の準備も整い、調理場から訓練生たちが顔を出し始めていた。

 ローザの大声と見知らぬ訪問者に困惑した顔をしている。

「えーっと……昼食並べていいですか?」

 ジョセフがパンのカゴを持ったまま困ったようにそう言った。

 この反応、ローザへの暴言は耳に入っていないらしい。

 火種が増えないことにダンはホッとする。

「ああ、だが、このダンって男は借りていくぜ」

「せめてお昼はとらせてほしいものですが……まあいいか」

 一食二食抜くくらいは問題はない。

「ダン!」

 ローザが咎めるように声を上げる。

「なんだ、うるさい女、ずいぶんと心配性だな。お前の女か? 顔はかわいいな。これで性格がかわいかったら粉かけてたのになあ」

 オリバー副隊長補佐の言葉に付き従っていた後ろのふたりがゲラゲラと笑い声を上げる。

 ダンとローザが何か反応するより先に、ジョセフの顔が怒りに歪んだ。

「……このお方を誰と心得るか、貴様!」

 パンカゴをテーブルに置くと、ジョセフはオリバーに殴りかかった。

「あ、こら!」

 ダンは慌てて間に割り入った。

 気持ちはわかるが、いくらなんでも訓練生が正式な騎士に殴りかかるのは隊律違反だ。

 ジョセフの拳が、ダンの顔を捉えた。

「ぐえっ」

 まだまだ素人のパンチだ。割り込んできたダンの芯を捉えてはいない。

 しかしダンはよろけ、そしてオリバーの足を踏んづけ、そのままいっしょにその場に倒れた。

「き、貴様ぁ!」

 オリバーは自分に倒れ込んだダンをはねのけ、立ち上がると、腰の剣を抜いた。

「あ、あの」

「オリバーさん、それはいくら何でも……!」

 背後で控えていた騎士がおろおろと止めにかかる。

「うるさい! ここまでこけにされて黙っていられるか……!」

 状況が飲み込めていなかったが、ことの重大さに気付き始めた訓練生たちが各々動き出す。

 オリバーたちを止めるためにフレッドと数人の男達がオリバーたちに走り寄った。

 そして、ダンは床に座り込んだままオリバーの足首を掴んだ。

「離せ、貴様!」

「離さない」

 きっぱりとダンはそう言って、オリバーを見上げる。

 オリバーは足を蹴ってダンの手を振りほどこうとしたが、ことのほか強い握力に振りほどき損ねた。

「…………だったら、貴様の腕から切り落とす!」

「ほう」

 ダンはニヤリと笑った。

「やれるもんならやってみ……」

「何をしている!」


 雷が、落ちた。


 気付けばハロルド教官が食堂の入り口に立っていた。その後ろには買い出しから帰ってきたアベルたちがいた。

「……どういうことですかな、オリバー副隊長補佐。何故、訓練生の前で剣を抜いていらっしゃるのですか?」

「……ハロルド、殿」

 オリバーの顔が歪む。

 いくら副隊長補佐とはいえベテラン相手である、どう考えてもハロルド教官の方が立場は上だろう。

「そもそも、何故あなたがわざわざこちらに? 魔法騎士のお迎えでしたら午後までお貸しいただけるお約束のはずですが?」

「…………魔犬を倒した訓練生とやらが、どれほどのものか見に来ただけです」

「それが何故剣を抜くことになるのです」

 ハロルド教官は激しく怒っていた。額に青筋が立っている。

「…………」

 オリバーは沈黙しか返せないでいた。

「そ、その男! ダンを連れていこうとしましたわ! 盗賊団の討伐がどうのこうの言っていました!」

 ローザが声を上げた。

「ほう、ローザ訓練生の言うことは本当ですか、オリバー副隊長補佐?」

「…………」

 オリバーは何も答えない。

「俺の頭を飛び越えて訓練生を連れ出そうとはいい度胸だな」

 ハロルド教官の声音が一段と低くなった。

「今回は不問にしてやるからさっさと立ち去れ」

「はい……」

 オリバーは剣をしまい、立ち去ろうとして、その足をまだダンが掴んでいることに気付いた。

「……おい、貴様……」

「ダン、何をしている」

「ハロルド教官、頭を飛び越えなければいいのですよね?」

 ようやくオリバーの足から手を離し、立ち上がりながらダンはニヤリと笑った。

「では、オリバー副隊長補佐殿、ここで正式にハロルド教官を通してぜひ俺に命令してください。その盗賊団の討伐とやらを」

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