第28話 ローザ姫
ダンとサミュエルがウェアウルフを森の奥へと追い回している間に、日は暮れていった。
「ふー……」
一方、訓練場。訓練生たちは汗を拭く。
剣の訓練は思いのほか、労力を使うものだった。
真剣、触れれば切れる剣。
包丁くらいならだいたいの訓練生が使ったことはあるが、それが剣となってくると度合いが違う。
人に当たれば、打撲では済まない。
「訓練以上! 片付けに入れ!」
「はい!」
それぞれが訓練に使って切られた木の棒を回収する。
「使い物にならないものはゴミ集積所! 剣はこちらに一旦集めて倉庫へ!」
「はい!」
ハロルド教官の指示の元、キビキビと統率の取れた動きで片付けに入る。
訓練生もだいぶ足並みが揃うようになってきたなとハロルド教官はどこか感慨深いものを覚えていた。
ダンはまだ帰ってこないが、ハロルド教官はあまり心配していなかった。
サミュエルもいっしょだったし、ウェアウルフ程度に
今日の夕食作りでローザはひとりだった。
いつもならダンといっしょに皿を拭いているのだが、ひとり。
それが寂しい自分がいるのにふと気付いてしまい、ローザは苦笑いをした。
スパイであると疑いをかけた男がいないのが寂しい、なんてずいぶんとバカバカしい話である。
いい加減、ローザもダンがスパイであるという予測は馬鹿げているのではないかと思い始めていた。
最初こそ、その能力の高さに驚かされたが、話してみれば悪い人間ではない。
「あら」
そう考えながら皿を拭いていると、拭い落とせない汚れに出会った。
「お皿が汚れているので、水で流してきますわ」
一応、厨房に立つ仲間に声をかけてから、ローザは皿を持って外に出た。ジョセフには聞こえない声で告げた。きっとジョセフが聞いたら何もかも放り出して付いてきてしまうだろうから。
ジョセフはすっかり厨房の戦力として中心に立っていた。ローザはそれを誇らしく思っている。
井戸に到着。井戸水をがんばってくみ上げ、皿に水をかける。
そんなローザに声をかけるものがあった。
「あら、あなた……」
女性の声、しかも聞き覚えがない。
誰だろうと顔を上げると騎士の制服を着た女性がいた。それはエミリア副隊長だったが、ローザはそれを知らなかった。
真っ先に胸元の紋章に目をやる。
ウィーヴァーの下、そして訓練で見かけたことはない、となれば元ウィーヴァー隊の副隊長といったところだろうかとローザは当たりをつけた。
「こ、こんばんは。訓練生のローザであります」
敬礼をするとエミリア副隊長は微笑んだ。
「元ウィーヴァー隊の暫定隊長エミリアです。皿洗いお疲れ様です、ローザ姫」
「…………っ!」
ローザの身に一気に緊張が走った。
正体がバレている。こちらからあちらに見覚えはない。女性騎士がローザの護衛につくことはままあったが、護衛についてもらっていた騎士の顔はさすがに覚えている。
それにそもそも女性騎士は少ない。いくら王宮に出入りする騎士が多かろうと、女性騎士なら面識があれば、覚えているはずだ。
「そう、警戒しないでくださいませ。ちょっとした筋からの情報があっただけです」
「…………?」
「これはカマかけですよ。カマかけ。あなたは動揺さえしなければ人違いでは? でごまかせたはずです。我々は初対面です」
「……ちょっとした筋……?」
「ああ、いけないいけない今日は口が滑る日ですね……少し気が高ぶっているのかも」
エミリア副隊長はそう言って笑った。何を考えているのかよくわからない、好意的なのか敵対的なのかすらわからない笑顔だった。
「……騎士隊の暫定隊長が、訓練場に何のご用事ですか?」
「捜し物です。ダン訓練生はいますか?」
「……サミュエル監視官に連れ出されましたが……」
「あら、先を越された。じゃああなたでいいです。訓練生用の武器庫の場所を教えていただけます? 私、ここの訓練場出身じゃないから土地勘がなくって」
「…………」
本来、訓練生は騎士の命令系統には組み込まれていない。だから明らかに立場は上でも騎士の命令を聞く筋合いはない。ハロルド教官の指示を仰ぐ必要がある。
そもそも、このエミリア副隊長はローザが姫だと知っているのだ。それを考慮すれば、立場はローザの方が上だ。
しかしローザの脳が警鐘を鳴らしていた。
この女に逆らってはいけない。何をしてもおかしくない。
「……こちらですわ」
ローザはおとなしくエミリア副隊長を武器庫へと導いた。
どうせ武器庫に鍵はかかっている。連れて行くだけ連れて行けばいい。ローザはまだそう考えていた。
エミリア副隊長の真髄を彼女はしらなかった。
「こちらです」
先程、剣をしまった武器庫にローザは戻ってきた。
人気のない奥まった場所に武器庫はあった。
「ありがとう」
そう言うや否やエミリア副隊長は剣を振り上げ、武器庫の扉をたたき割った。
「なっ……!?」
ローザはさすがに絶句した。
「木を隠すなら森の中とはよく言ったものよね……。武器を隠すなら武器庫の中、未熟者を隠すなら訓練生の中、裏切り者を隠すなら……騎士隊の中……? いいえ、それはどうかしら。愚か者ならともかく裏切り者は……本当に騎士隊にいるのかしら……?」
「あ、あの……」
自分はとんでもない女をここに連れてきてしまったのではないか。
ローザはそれに気付き始めた。
「大丈夫ですよ、ローザ姫。あなたは私が守りますからね」
「え、ええ……?」
それなら守られたいと思えるような行動を取ってほしい。
これではまるで騎士ではない。押し入り強盗だ。
混乱するローザをよそにエミリア副隊長はずんずんと武器庫の中に入っていく。ローザはその後に続いていた。
さすがにこれを放置することはできなかった。
「さてさて……ああ、あるある」
武器庫の奥にその棚はあった。
一見すると何の変哲もない武器の数々が置かれている。中には長銃も含まれていたが、銃全般がまだまだ精度が悪いし、コストもかかる。
遠距離攻撃であれば、魔法を使った方が遙かに効率がいい。
「そう、騎士団でも一部の部隊にしか配備されていない実験武器、それが銃……」
実際に銃の一丁を手に取りながら、エミリア副隊長は言い放つ。
「そんなものが何故、こんなところに?」
「…………」
そんなこと考えもしなかった。
「あいつがいればこんなの即バレた……。でも折良く連れ出された……。うふふ、綱渡りねえ。悪運が強いとでも言いましょうか」
「あ、あの……つまり、その、どういうことですか……?」
「簡単な話よね? 武器庫を管理しているのは誰? こんな物騒な武器を蓄えておく必要はどこ?」
「管理しているのは……ハロルド教官で……蓄えておく必要は……」
頭をよぎるのは、ダンが駆り出されたという盗賊団の討伐。
「わ、悪いことに使う?」
「単純だけど明快な答えね。そう、つまり……」
「うっ!」
エミリア副隊長が何かを言う前に、ローザは首を押さえた。
「ローザ姫!?」
さすがのエミリア副隊長も焦って振り返る。
首を押さえ、苦しみながら倒れていくローザの向こうに、人影があった。
「……やられた」
そうつぶやくと、エミリア副隊長もその場に倒れ込んだ。
ふたりは風魔法で空気を奪われ、その場に失神した。
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