第30話 訓練生の混乱

「ただいまー、飯できてるー?」

 訓練場に戻り、つとめて軽い声で食堂に入ったダンは、自分が何かを間違えたことに即座に気付いた。

 食堂の中の雰囲気は最悪だった。

 キャサリンがシクシク泣いているのを、リリィなだめている。

「え、ええと、なんかあった?」

「あ、ダン……それが、ローザちゃんがどこにもいないの……」

 リリィが困ったような顔でそう言った。

 ダンは慌ててジョセフを探す。ジョセフは食堂の中にはいなかった。

「ジョセフは!?」

「ジョセフくんはフレッド達といっしょにローザちゃんを探しに行ったわ。ふたりと他何人かは訓練場内を、アベルとベンジャミンたちは訓練場を出て町まで探しに行ったし……」

「ローザの最後の足取りは!?」

「お皿を洗うって井戸に行ったんだけど、そのお皿が井戸のところに割れて落ちてたの……」

 リリィの顔が暗くなった。

「井戸を覗き込んだけど、さすがにそこに落ちてはいなそうだった。でも……心配よね、お皿が割れてる状態でいなくなるなんて……」

「あ、ああ……」

(ローザ姫……! 俺がいない隙にまさかこんなことに……! エミリアとサミュエルに助けを求めるしかないか……?)

「は、ハロルド教官には報告したのか?」

「それが、教官室にいないのよ……」

「……そうか、出掛けているのか?」

 まだダンはハロルド教官を疑うまでには至らない。

 エミリアと違ってウィーヴァー隊のことをダンはほとんど何も知らない。

 エミリアがウィーヴァー隊の中に裏切り者がいないのではないかと疑い始めていたことを、ダンは知らなかった。

 そんな中、食堂の裏口から訓練生数人が戻ってきた。

「ジョセフくん! フレッド!」

 リリィが彼らに声をかける。

 ジョセフは顔が真っ青だった。

 フレッドが頭を横に振りながら、口を開いた。

「見当たらない……んだが、ちょっとおかしなところを見つけた」

「どこだ!?」

 ダンは即座に食いつく。

「武器庫なんだが……どうも鍵が壊された形跡があるんだ。その後、乱暴に直した跡もあった」

「武器庫……」

 ローザ姫が何故そのようなところに行くのだろう?

 何か落とし物でもしたのだろうか。しかし、鍵を強引に壊すとは考えがたい。ローザならハロルド教官に素直に申し出るだろう。それが言えないものだとしたら、たとえば王家にまつわる何かを落としたのだとしたら、言わずに探しに行くかもしれない。

「……いや、それでも鍵を壊すのはローザの行動らしくないな……」

 ふと、エミリアの顔が浮かんだ。エミリアならそういうことをしかねないが、しかし今度はエミリアが訓練場の武器庫に用がある理由がない。

「…………」

 ジョセフは顔を真っ青にしたまま、空中を見た。

「……ローザ様……」

 この状況、一番困っているのは彼だろう。

 彼はダン達がローザの正体を知っていることを知らない。

 ひとりで姫君が行方不明だという事実を抱え込んでいる。

 ダンはいっそここでローザの正体を知っていることを明かすべきかと思案した。

 しかし人前で言うのも問題がある。

「……ジョセフ、ローザの出自について何だが……」

 ジョセフは弾かれたようにこちらを見た。その目には戸惑いが浮かんでいる。

「……人前では言いづらい、外で話そう」

「おい」

 フレッドが止めに入った。

「いい加減、話してくれても良いんじゃないか。こうなったら、別にローザの正体が何でも俺たち驚かないし、言わねえよ!」

「フレッドさん……」

 ジョセフが迷う。

 ダンも困る。これは言う言わないの問題ではないのだ。

(お姫様がこんなところで身分を隠して騎士の訓練なんぞに明け暮れていた。それを知られたら……王家への信頼だってどうなるか……)

 そこにさらなる混乱の種がやって来た。

「失礼する!」

 勢いよく食堂の表から入ってきたのはオリバー副隊長補佐だった。カールとキドニアを連れている。

「また何の用だ!」

 フレッドが即座に牙を剥く。

「危急の用だ! エミリア副隊長を見なかったか?」

 見なかったか? と言われても訓練生のほとんどはエミリア副隊長の顔など知らない。地元民であるアベルやベンジャミンなら知っていたかもしれないが、今は外に出ている。

 唯一知っているダンが大声を上げた。

「エミリアも行方不明なのか!?」

「な、なんだ貴様、エミリア副隊長に対して馴れ馴れしいぞ」

 オリバー副隊長補佐はダンの勢いに戸惑いながらもそう言った。

「ん? エミリア『も』と言ったか? 他に誰か行方不明なのか?」

「それが……訓練生のローザが行方不明だ。あんたがからかったあの女の子だ」

「あ、ああ、あの生意気な……。お前ら見たか?」

 問われたカールとキドニアが頭を横に振る。

「あ、あと、サミュエル監査官と行き会わなかったか?」

「それならすれ違った。盗賊団のアジトに監査に行かれるそうだ」

「そうか……」

 今から追いかけて探させるのはいささか骨が折れそうだった。

 そうしているうちに外はどんどんと暗くなっていく。

(くそっ、何からだ。何から手をつければいい? エミリアの行方不明とローザ姫の行方不明は同じ問題か? 別問題か? どこから……ああ、こんなときにアリアがいれば……!)

 アリアは入り組んだ問題を整理するのがとてもうまい。ダンの苦手な頭脳労働は彼女が一手に担っていると言っていい。

「……あの!」

 ジョセフが意を決して声を上げた。

(言うのか……ジョセフ)

 ダンは彼に任せた。ローザのことを何より知っているだろう彼がバラすのなら、それは任せる他ない。

 そう思った。まさか、ジョセフの続く言葉がそれとはまったく違うことであるなど想像もせずに。

「ローザ様は! そこのダンが他国のスパイであることを見抜いておられました! そのせいでそいつにさらわれたのかもしれません!」

「はあ!?」

 思いもがけない疑いに、ダンは大声を上げた。

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