第11話 新入りと魔犬

 森の中は一本道だ。迷うことはない。

 それに隊商が逃げ惑うときについたわだちが地面に残っていた。

 ダンは轍をたどって馬を懸命に走らせる。

(いた!)

 車輪の壊された荷車が目の前に現れた。

 その周囲に血を流して倒れている人間がいる。

 火をおこしてなんとか魔獣を遠ざけようとしている者がいる。

 魔獣の群れがそれを取り巻いている。

「しっかりしろ! 助けに来た!」

 魔獣が、いままさに一人の男の腕を噛みちぎろうとしていた。

「火の精よ、我に力を!」

 呪文を唱える。魔獣の目を焼く。

 魔獣は獲物から口を離してのけぞった。

 魔獣は大型犬のような見た目をしていたが、手足が発光していて、明らかに普通の犬とは違った。

「魔獣は魔獣でも魔犬か! 真面目にやってればまず人里には近付かないタイプの魔獣じゃねえかよ、おい!」

 容赦なく罵りながら、馬から飛び降りる。

 魔犬は縄張り意識が強い。

 騎士隊が定期的に道の魔獣狩りをしていれば、森の道は人間の縄張りだと認識し、近付かないはずだ。

 これは明らかに騎士隊の怠慢が招いた結果だ。

「……ウィーヴァー隊とやら……覚えておけよ」

 呟いて、ダンは構える。

 剣がないのは心許なかったが、仕方ない。

「隊商! 一所ひとところに固まれ! 俺が守る! 動けない者はいるか!?」

「あ、足をやられた奴があそこに……」

「よし!」

 荷車の向こうにぐったりと倒れ伏している男が見えた。

 ダンは大地を蹴って、そちらに向かう。

 男の周りにはひときわ多くの魔獣が集まっていた。

(五匹! 各個撃破よりここは……!)

「四大精霊よ、目覚めたまえ。風の精よ、我に力を!」

 強風で男に向かおうとしていた魔獣を吹き飛ばす。

 魔獣たちは転がりながら、ダンを見据えた。その眼光は鋭い。

「そうだ! お前らの敵は俺だ! 俺に来い! 全員でかかれば勝てるかもな!」

 ダンは挑発する。

 魔犬の知能はそこそこ高い。人間で言うところの七歳児くらいはある。

 ダンの言葉に含まれる自信と敵意くらいは理解できるだろう。

 魔犬たちはまんまと集まってきた。

 その数およそ十匹。

「相手にとって不足なし! そもそも騎士見習いになったのもこれが目的だったからな!」

 暴れてやる。ダンは決意を固めた。


 三匹が同時にダンに襲いかかった。

 右、左、正面。三方向からの攻撃。

「賢い犬っころだ!」

 右手を広げる。左手で拳を作る。

「火の精よ、我に力を!」

 右手から火の玉が飛ぶ。

 右手側の魔犬が肉の焼ける匂いとともに転がっていく。

 それと同時に左手の拳で正面側の魔犬の横っ面をぶん殴る。

 正面の魔犬は左手側の魔犬を巻き込みながら吹き飛んだ。

「三匹撃破! 次ぃ!」

 ダンが構える魔犬たちは敵意に満ちたうなり声を上げた。


 一方、その頃、ローザは街道を馬で走り続けていた。

 人馬一体。まるで己の手足のように馬を操る姿は見る者が見れば熟練の乗り手であると分かっただろう。

(ダンはどうして私が馬に乗れるって分かったのかしら……。立ち振る舞いを見ただけでそれほどの才能が見抜けるというの……? 恐ろしい男)

 何にせよローザは馬に乗れる。そしてそれは誰かを助けられる。それが今はすべてだった。

 王家にとって馬は神聖かつ身近なものだ。

 建国神話によれば馬は神がこの国を作り上げるにあたって王族に遣わしたものだとも言われている。

 ローザにとって馬は半身のようなものだった。

「見えてきた……詰め所!」

 門番が戸惑いながら前に出てくる。

「おい! 訓練生! 何を……!」

 ローザは無視して、低い柵でしかない門を飛び越えた。

「ごめんあそばせ! 急いでいますの!」

 ローザはそのまま訓練場を馬で走って行った。

 目指すはハロルド教官。ダンがスパイだとしても魔獣に殺されるのでは目覚めが悪い。助けられるものは助けてやりたかった。


 一方その頃、森の中でダンは魔犬七匹を戦闘不能にしていた。

 肉の焼ける匂いが辺りに漂う。

 しかしまだ元気で無傷な魔犬が残り三匹。

 ダンは炎魔法の熱気に汗を拭う。

 彼は怪我一つない。

 守るべきものがあるという少しばかりのプレッシャーと、それよりも大きな使命感を抱きながら、ダンは魔犬を倒し続けていた。

 魔犬はダンから大きく距離を取っていた。

 隊商はダンが守っている間に互いを助け合い、一カ所に集まっていた。

「……逃げられるか!?」

「あ、ああ! なんとか!」

「よし、逃げろ! 俺のことはいい! 見ての通り魔犬の一匹や十匹敵じゃないからな!」

「ありがとう……!」

「ああ……お礼を言われるってのは、いいもんだ」

 別に礼を言われたくて騎士をやっていたわけでもない。

 しかし、騎士団長になり、すっかり偉くなった昨今では、こうして助けた誰かに礼を言われる機会などそうそうなかった。

 投げかけられる言葉と言えば、政敵からの蔑みや嫌味ばかり。

「ああ、いいものだ」

 ダンはしみじみと呟いて、魔犬三匹を見据えた。

 生き残っている魔犬は炎魔法を避けられた魔犬たちだ。

 簡単な魔法では追い払えないだろうし、大魔法では森への被害が甚大になる。

 剣がほしい。木剣でもいいから剣がほしかった。リーチのある武器がほしいのだ。

「騎士様!」

 隊商の一人が後ろから叫んだ。

「どうした!?」

 新手かと振り向いたダンの目に入ってきたのは、荷台から剣を引き抜く白髪の男の姿だった。

「使いますか!?」

「使う!」

 ダンは剣に向かって手を伸ばした。

「風の精よ、我に力を!」

 強い風が吹く。

 剣が男の手から離れ、風に乗ってダンの元に届く。

 装飾過多な鞘に収まった片手剣を引き抜く。

「騎士様! 魔犬が!」

「おう!」

 剣を構える。魔犬の気配は耳で気取っていた。

 振り向きざまに剣を横になぐ。

 剣は魔犬の一匹の腹を切り裂き、もう一匹に向かう。

「終わりだ!」

 剣が魔犬の首を飛ばした。

「ふう……」

 額の汗を拭く。

 腹を切り裂いた魔犬はヒクヒクと痙攣しながら、うなり声を上げていた。

「……とどめ、刺すぞ」

 ダンはポツリと呟いて、刃を魔犬の首に落とした。魔犬の四肢から力が抜けていく。

「……まったく」

 騎士団がしっかり巡回していれば、こんなことにはならなかったというのに。

「これは、色々と後処理が面倒だな……」

 鞘を拾い上げながら、ダンはため息をついた。

 鞘には騎士団の隊長だけが使うことの許される剣と蔦の紋章が刻まれていた。

「……なあ、この剣って……」

「あ、ウィーヴァー隊長の注文品……」

 男の顔が青ざめた。

 ウィーヴァー隊、たしかこの地域の担当だったはずだ。

「まあ、なんだ、俺に預けておけ」

「し、しかし、ウィーヴァー隊長の気性の荒さは有名で……こんな新品で特注の剣が他人に使われたと知ったら……」

「大丈夫、大丈夫」

 そう言いながら、ダンは鞘に収めた剣を制服に差し込んだ。訓練生のものとは言え、騎士団の制服だ。剣を差すところはある。ついでに鞘に適当に布を巻き付け、紋章を隠す。

「さあ、それより、すぐに移動しよう……と、その前に」

 ダンは魔犬の死体を積み上げた。

「四大精霊よ、目覚めたまえ。火の精よ、我に力を。燃やし、焦がせ。対象を、焼き尽くせ。魔力解放、全開放出!」

 第五小節詠唱。全力の魔力で魔犬を骨まで燃やし尽くした。

「死骸を求めてどんな魔獣が寄ってくるか分かったもんじゃないからな。念のためだ」

「あ、ああ……すごい魔力に剣術だな、あんた……何者だ?」

「俺はダン」

 怪我をした隊商の人間が荷台に乗り込むのに手を貸してやりながらダンは微笑んだ。

「騎士団の……ただの新入りだよ」

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