第38話 騎士と姫
厩舎から私室に戻ったローザを侍女が待ち構えていた。
「姫様、お手紙です」
「あら、誰からかしら」
「ええと、サミュエル殿……ですね」
「ああ!」
ローザ姫は侍女の手から手紙を受け取ると嬉しそうに開いた。その中には入院中のサミュエルから、退院の目処が立った旨と、教師として正式に任命を受けたことが書かれていた。
「……よかった」
ポツリと呟き手紙を横に置き、返事をしたためる。侍女は邪魔にならないように退室した。少し迷いながら便箋に文字を埋めていると、ノックもなしに人の気配が部屋の中にした。
「……もう、また、こそ泥のように入ってきて……バレたら大騒ぎですよ、ダニエル騎士団長」
ため息をつきながら、ローザはダニエルを迎え入れた。
「ただでさえ、私とあなたが駆け落ちして連れ戻されたという噂はまことしやかに囁かれているのですから」
ダニエルの出奔は当初はバレていなかったものの、さすがに時間が経つと騎士団長の不在はごまかしきれるものではなかった。国王が不問にしていたのと、アリアのおかげで業務に差し支えがなかったのとで表面上は問題になっていないが、同時期に行方不明になっていた姫君というかっこうの材料のおかげで、ふたりはすっかり駆け落ちをしたのが諸々の理由でごまかされている、と噂になっていた。
「お兄様からもすっかりからかわれてしまいましたわ」
「ははは」
ダニエルは笑いながら、ローザの部屋のソファに腰掛ける。お姫様の部屋のソファはこれ以上ない座り心地であった。
「……もう、本当、失礼してしまう」
小さくローザはつぶやいて、頬を赤らめた。
「未婚の姫様にそのような噂が立ってはいろいろと差し支えがありますもんねえ」
「…………そうね」
少し、含みのある声でローザはダニエルを見た。きょとんとダニエルが首をかしげるのに、ローザはため息をついたが、すぐに持ち直した。
「ああ、そうだ。サミュエル監査官から手紙が届きましたわ。だいぶ動けるようになったようです。そろそろ退院だとか。確かダニエル騎士団長とは戦友でいらっしゃいましたよね、あの方」
「ああ、そうか、サミュエルも退院か、これで大体元通り、かな……」
元には戻らないものもたくさんある。それでもダニエルは満足げにうなずいた。
「あら、その剣、結局飾りを直させたのね」
ローザはめざとくダニエルが腰から提げる剣に気付いた。
ウィーヴァーから奪い取る形になってしまった剣は、すっかり騎士団長の紋章――馬と剣とリボンでできた紋章に彩られていた。
「ああ、なんだかすっかり馴染んでしまいましてね。この剣は……大事な思い出の証です。お譲りしましょうか、姫様」
「私にはいささか重たすぎるでしょう。それに……あの服がありますから、私には」
ローザはいたずらっぽく笑った。あの休みの日に町で買ったささやかな服は、彼女の宝物として衣装部屋ではなく私室の棚の中にひっそりと飾られている。
「……あれで街に出たければ、護衛しますよ、お姫様」
「そうね、今以上に息が詰まることがあれば、お願いするわ、ダン」
ローザは心底嬉しそうに笑ってそう言った。
ダニエルはうなずく。ローザがダニエルの正面に腰掛けて、手ずからお茶を煎れる。
「ダンの方こそ、私にしてほしいこととかないのかしら。……あの時の、転んでしまったときの恩、そういえば、まだ返せていないわ、私」
「そんなこともあったな……」
出会ったあの日のことを思い出す。思いっきりこけてダンの腕の中に転がり込んできたローザ。なんだかずいぶんと懐かしかった。お互い、ただの訓練生として出会ったあの時のふたり。
「……いや、ないな。君が……君が俺たちのいろんな事に興味を持ってくれてることが、一番嬉しい」
ダニエルはそう言って微笑んだ。
「それで、今日は何のお話をしましょうか、ローザ姫。アリアやサミュエルと違って、俺は勉強になるようなことは言えませんが、生の体験ならいくらでもお話しできますよ。伊達に若い頃から戦場をくぐってきていません」
「今でも若いじゃない……ええと、ではそうですね、今度予定されている東部大演習、あれに、ダニエル騎士団長は参加されたことがあって?」
「俺が新兵の頃に西部の方でも大演習がありましてね、そのときのお話ならできます」
「では、ぜひ聞かせてくださいな。お兄様は騎士見習いとして参加するのに、わたくしは見学も駄目と言われたの。お父様ったらひどいわ」
ぷんぷんと頬を膨らませながら、ローザはねだる。ダニエルはゆっくりうなずいて口を開いた。
「あれは俺がまだ二年目の頃でした――」
ダニエルは語り出す。彼の冒険譚を。ローザは耳を傾ける。知らなかった騎士の世界の話を。
その時間はとても穏やかで、血湧き肉躍り、まるで魔法飛び交い、剣戟鳴り響く音が聞こえてくるようであった。
「あー! またダンが来ている!」
ダニエルが語り終える頃にジョセフ少年は魔法研究所から帰ってきて、大声を上げた。
その顔には噛みつかんばかりの表情が浮かんでいる。
「よう、ジョセフ、アリアも帰ってるか?」
「いつも通りいっしょに帰ってきましたよ! というかそろそろアリアさんに言いつけますよ!」
「だそうだ、ローザ」
ダニエルはジョセフと真っ向から喧嘩をするのを避けて、ローザにパスを回した。
「ジョセフ……ダニエル騎士団長の話はとても面白くてタメになるの……バラさないで?」
「うう、卑怯だ。姫様を盾にするなんて卑怯者だ……」
ジョセフはがっくりと膝をつく。
「くそう……」
「あはは」
ダニエルは笑って、ジョセフの背を叩いた。少年の背は相変わらず小さかったが、すこしずつたくましくなっているような気がした。
「じゃあ、アリアに叱られる前に騎士団長の執務室に戻るか、またな、ローザ、ジョセフ」
「姫様と呼べ! この無礼者!」
「あはは」
笑いながらダニエルはローザの部屋を後にした。
「まったく、あの不審者騎士団長め……」
「ほらほら、ジョセフ、今日はどんな訓練をしたの? 聞かせて?」
「あ、はい……」
ダニエルが去った方向を険しく睨みつけていたジョセフだったが、ローザの言葉に素直にうなずいた。「ええとですね……魔力のコントロールで……」
こうして様々な人から様々なことを見聞きすること、それがローザの趣味になっていた。
これからもこうしていきたい。まだ出会ったことのない人たちとも。ローザは密かにそう願った。
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