書籍発売記念・番外編

番外編 エミリア別れの前の一仕事

「仕事が多すぎる」


 エミリアが顔をしかめてそう言うの、エミリアの補佐オリバーは黙って聞いていた。


「ただでさえ隊長代理を務めているのに、さらにこの上、ハロルド指導教官の代理もやれって……。ちょっと王都の騎士団は横暴すぎない? 人材不足なの? ハロルド指導教官の部下どもは何してんの? 木偶の坊なの? いや、答えなくていいわ。知ってますとも、一人残らずハロルド指導教官に巻き込まれて取調中だってことは」


 エミリアがここまで不機嫌なのも珍しい。

 あの横柄なウィーヴァーの下で、いつも含みのある作り笑いをしていたエミリアの姿を知っているオリバーはそう思う。


 王都から少し離れた田舎町で起こった大規模な騒乱。

 その結果、町の騎士隊を任されていたウィーヴァー元隊長は失脚、この町で訓練生の指導教官を担当していたハロルドも王都へ去って行った。


 それのみならず、この田舎町に騎士のトップであるダニエル騎士団長、果てはテラメリタ王国の王女であるローザ姫まで集結しているのだから、とんでもない事態である。

 オリバーは早々に理解を放棄し、エミリアと王都から来た騎士の命令に粛々と従うことにした。


「……これ絶対、私に絶え間なく仕事を振って、忙しさのあまり逃亡できないようにするつもりよ……」


 エミリアの逃亡。

 ただでさえめちゃくちゃな状況のところに、そのようなことが起これば、もう手に負えない。

 しかし、他ならぬオリバー自身も王都から来た騎士にその可能性を示唆されていた。


『エミリア隊長代理が逃亡しないよう、隊で見張っていてください』


 エミリアとは正反対の表情に乏しい顔で、騎士団長補佐と名乗ったアリアという女はそう言った。


『王都からの騎士はどうしてもローザ姫の護衛に人員を割きたいので、あなた方に頼ります。エミリア隊長代理の逃亡を阻止してください』

『……了解しました』


 エミリアが逃亡する動機は知らされなかった。

 何故、彼女が逃亡などする必要があるのだろう?

 釈然としないものを感じながらも、オリバーはそれを了承した。

 考えることを、放棄した。




「さあて、それじゃあ、最初のお仕事ですっと」


 なんだかんだ文句を言いながら、エミリアはその扉を押し開いた。


「はい、おはようございまーす!」


 その先は、ずいぶんと見慣れてしまった場所、訓練生の食堂だった。

 その中には、これまた見慣れた訓練生達。

 しかし、その顔は一様に暗い。


「元気ないな!」


 エミリアはこれ見よがしに叫ぶと、そのまま言葉を続けた。


「はい、本日付で指導教官代理に任命されたエミリアです。よろしくねー」

「…………」


 エミリアの明るい声に対して、食堂内は相も変わらず重苦しい。

 指導教官は去り、同期の内、二名が入院中。

 二名の内一人が実は騎士団長。

 さらに入院こそしていないが、訓練生の中にはこの国の王女までいた。


 混乱と疑念が渦巻く中、訓練生たちは何も説明されていない。

 微妙な空気が漂うのは無理もない。


 そしてオリバーはそんな訓練生の中で、ひときわ背の高い男に睨まれているのに気付いた。


「あはは、威勢の良いのがいる」


 エミリアもめざとく気付く。


「そこの目付きの悪い訓練生くん、お名前は?」

「……フレッドです」


 フレッドに睨まれるのも致し方ない。

 これまでオリバーが訓練生、主にダニエル騎士団長に取ってきた態度は褒められたものではなかった。

 しかもオリバーはローザ姫にまで暴言を吐いていた。

 そのことを思い出すとオリバーの胃はきりきりと痛んでくる。


「君の名前ならダニエルから聞いてるよ。仲良くしてたんだって?」

「…………」


 フレッドの顔はエミリアの言葉にさらに険しくなる。


「『ダニエル』なんて人は知りません」


 ダニエル騎士団長がここで名乗っていた名前は、ダン、だったか。


「そっかそっか」


 エミリアは苦笑いでうなずいた。


「よし、とりあえず外に出よっか」


 エミリアの指示に訓練生達はノロノロと立ち上がった。


 ハロルドであったなら、そしてオリバーでも、こういうときはキビキビ歩けと厳しく指導するだろう。

 しかし、エミリアはそういう上官ではない。

 彼女が一人でスタスタと歩いていくのを、オリバーは足早に追いかけた。

 後ろに続く訓練生達に苛立ちながら、彼はエミリアに従って何も言わなかった。




「じゃ、フレッドくん、うちのオリバーと木剣で打ち合おうぜ!」

「は?」


 間抜けな声を漏らしたのはオリバーの方だった。

 いきなり何を言い出すのだこの上官は。

 フレッドの顔をうかがうと、険しい顔のまま困惑した顔になっていた。


「男が揉めてたら殴り合いで語り合わせればいいんだって、酒場のおっちゃんも言っていた……」

「騎士ともあろうお方が誰とも知れない酔っ払いの言葉を真に受けないでください……」

「上官命令だ、語り合いたまえ」

「そんな乱暴な命令あります……?」

「へい、彼女たち、木剣どこー?」

「あ、持ってきます」


 エミリアはオリバーのぼやきを無視して訓練生に声をかけた。

 女子二人――リリィとキャサリンが木剣を取りに倉庫へと向かう。


 手渡された二本の木剣を、エミリアは両手に持ってブンブンと振った。


「うんうん。はい」


 そして彼女は木剣を、オリバーとフレッドに同時に投げつけた。

 オリバーはキャッチし、フレッドは唐突な投擲に戸惑い、取り落とした。


「はい、よーい!」


 自分はともかく、訓練生には準備くらいさせてやれ、と心中毒づきながら、オリバーは構える。

 フレッドは剣を拾う。


「はじめ!」


 オリバーは、フレッドを待った。

 フレッドは剣を握り締め、しばし、硬直していたが、何か思い直したのか、剣をしっかりと握り、オリバーに向かってきた。

 まだ荒削り、しかし短い間にハロルドに鍛え上げられたことがよくわかる構えと突進だった。


(惜しい教官を、失った)


 フレッドの振りかぶる剣を注視しながら、オリバーはそう思う。


「ああああ!」


 フレッドは鬼気迫る勢いで、剣を振るう。

 この恵まれた体格から振り下ろされた剣を喰らえば、いかに鍛えている騎士とは言え、ひとたまりもないだろう。

 もっとも、訓練生の剣を喰らうような鍛え方は、オリバーの方だってしていない。


 フレッドが剣を振り回し、オリバーはそれを避ける。

 およそ殴り合いとは言いがたい攻防がしばらく続いた。


「はい、やめ!」


 エミリアがそう声をかける頃には、オリバーとフレッドの息は上がりきっていた。

 汗が服の中を濡らして気持ちが悪い。


「どう? 少しはすっきりした?」


 エミリアはさらりとフレッドに問いかける。


「……いえ、全然」

「そっかー」


 フレッドの返答に、エミリアは空を仰いだ。


「うーん、そうだなあ……あのね、ダニエル……いや、ダン訓練生のこと、まあ、許さなくて全然いいんだけど、最後に苦笑いでもいいから、笑って送ってあげて」

「…………」

「あいつ、傷が治ったらすぐ王都に戻っちゃうから、君たちが次、いつ会えるかわかんないから」


 エミリアの顔はいつもの何を考えているのか分からない笑顔。


「お別れは、笑顔の方がいいと私は思うなー。よし、じゃあ、まともな訓練始めましょー」


 エミリアはそう言うと今までのことがなかったかのように、テキパキと適切な訓練指示を飛ばし始めた。


 フレッドはしばらく肩で息をしていたが、やがてエミリアの指示に従う同期の輪の中へと入っていった。

 その顔に今までとはどこか違う表情を浮かべながら。


「オリバー、駄目じゃない、あんなあからさまに攻め気ゼロとか」

「……申し訳ありません」


 オリバーは素直に謝った。


「しっかりしてよね。私、その内いなくなるんだから」

「……あからさまに逃亡宣言ですか……」

「ん? ああ、違う違う」


 エミリアは笑顔で手を横に振った。


「上からの命令で、多分私王都に配属になるから。王都から来ている騎士連中もローザ姫に合わせてほとんど帰るだろうし……そうしたら、あなたに命令を下す人間がいなくなっちゃうんだからね」

「……はい」


 エミリアの言っていることが、オリバーにはよくわからない。

 オリバーは考えることを放棄した。

 しかしエミリアがそう言うのなら、オリバーはしっかりしなくてはならない。


「……ちゃんと隊員一同、あなたを笑顔で送り出しますよ」


 疲労のせいで上手く笑えていないのを自覚しながら、オリバーは頬を笑みの形に歪めた。


「ふふふ」


 それを聞いて、エミリアは嬉しそうに笑った。彼女の含みのない笑顔を、オリバーは初めて見た気がした。




 そしてエミリアは町を去り、オリバーの上には結局、新しい上司がやって来た。

 上司のことを、オリバーはまだ何も知らない。

 この上司が良き騎士であるように、オリバーは願った。

 エミリアが自分たちにとってそうであったように。

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新入りは騎士団長! 狭倉朏 @Hazakura_Mikaduki

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