第8話 新入りと朝食

 一方、調理場。

「よーし! スープには鶏を投入! ブイヨンスープだ!」

 ダンはそう言って鶏肉を水の張った鍋に

 バシャッと水が跳ねた。

 調理場の床が水浸しになる。

「……………………」

 フレッドは無言でダンを見た。

「な、なんだフレッド、その目は」

「……何をしてるダン」

「な、何って鶏を入れたんだ、鍋に」

「何故投げ込んだ」

「え、えっと物事は勢いが大事かなって……」

「そうか……ダン、お前は外で野菜を洗うのを手伝ってこい」

 フレッドの声は優しかった。

 ダンは水浸しになった調理場からすごすごと出て行った。

「……あいつ、おおざっぱだな?」

 そう言いながらフレッドは意外にも繊細な手つきで残りの鶏を鍋に入れていった。


 調理場から出てきて無言で野菜を洗うのを手伝うダンにローザは少し驚いた。

 しかし、自分がダンをスパイだとみなしていることをバラすわけにはいかない。ローザは沈黙を選んだ。

 ダンに泥のついた野菜を回してやりながら、彼らは無言で野菜を洗った。

 黙々と野菜を洗い終え、彼らは各々野菜を持ち上げた。

 ジョセフが号令を出す。

「それじゃあ、調理場に戻りましょう。レタスとトマトは生のままサラダに、ジャガイモとタマネギとニンジンは切ってスープに入れましょう」

「うん、そうだな」

 ダンは自信たっぷりにうなずいた。


 鶏を入れた鍋はちょうど煮立ってきたところであった。

 ダンはジャガイモをまるごと鍋に

 お湯が跳ね、そこに居た何人かにかかった。

「ダン!」

 フレッドは今度ばかりは叫んでいた。

「ジャガイモは皮を剥いて、さいの目に切れ! そしてお前は鍋に何でもかんでも投げ入れるのをやめろ!」

 お玉でダンの投げ込んだジャガイモを救出しながら、フレッドは叫んだ。

 大男の調理姿は意外と様になっていた。

「わ、分かった、すまない。皮を剥く。そして切り刻む」

「さいの目だ! 切り刻むな! もういい! お前は隅で皿の枚数でも数えてろ!」

「はい……」

 もしかして自分は入団時と何も成長していないのか? ダンはなんだか不安になってきた。

「ローザお嬢様、フレッドさんって意外と家庭的な方なんですね。人は見かけによりませんね」

「わわわわたくしに、ははは話しかけないで」

 ローザは包丁を掴みながらガタガタと震えてトマトに向き合っていた。

「お嬢様ー!?」

「とととトマト、なんか、ややややわらかいくせに切れないの……りょりょりょ両手で力を込めればあるいは……?」

「お嬢様! 切るのは良いです! お嬢様にはまだ早いです! ちょっと隅でお皿の枚数でも数えていてください!」

「はい……」

 ローザは落ち込んだ顔をしたが、おとなしく包丁から手を離した。


 ダンとローザは隅でお皿の枚数を数えだした。

「…………」

「…………」

 スープの皿、オムレツと野菜の皿、そしてパンの皿を取り出す。

 ホコリは溜まっていなかったが、念のため渇いた布巾で拭いていく。

「……皿は投げないんですのね」

 思わずローザはダンにそう言っていた。

「ん? ああ、だって水じゃないところに投げたら皿は割れるだろう?」

「……そういう常識はあるのですね……」

 ローザはちょっと呆れた。

 自分が野菜を切れなかったのは経験不足だからである。

 しかしスープに鶏肉やジャガイモを投げ込むのは何かが違う気がする。

 スパイというわりには常識が抜けているスパイのようだ。

 どれだけ抜けたことをしでかしてもダンがスパイであるという仮定は、ローザの中ではまったく崩れなかった。思い込みとは恐ろしいものである。

「ところでローザお嬢様」

「呼び捨てで構いませんわ。同期ですし、ジョセフは物心ついた時からわたくしに仕えているのでどうしてもお嬢様と呼びたがるのですけど……」

「じゃあ、ローザ。ローザはどうして騎士になろうと?」

「それはお父様が……ああ、いや……」

 ローザは困った。まさか父王が騎士団の腐敗を嘆いていたから、とは言えない。

 少し考えて、ローザは言い訳を思い付いた。

「……騎士団長に憧れてますの」

「なっ……」

 ダンは目を白黒させた。

 何か問題でもあっただろうか? 騎士団長という護国の英雄に恐れおののいたのだろうか? ローザは怪訝に思いながらも、続ける

「お姿こそ見たことこそありませんけど、その武功は耳に届いていますから。二年前の国境戦で国を救った護国の英雄……きっと素敵な方なんだわ。お目にかかってみたいと常々思っていましたの」

「そ、そうでしたか……」

 ダンはダラダラと汗をかき始めた。

 ローザはますます疑念を深める。

 なんだろう。もしやこの男、敵として騎士団長と剣を交えたことでもあるのだろうか。

 騎士団長はとてつもなく強い男だと聞いている。

 ダンが騎士団試験で見せた実力は大したものだったが、騎士団長との戦いとなれば、無事ではいられなかっただろう。

 その恐怖が心と体に刻まれているのかもしれない。

「ダン、あなたも騎士になったくらいですもの、目指すはもちろん騎士団長でしょう?」

「え、あ、まあ……うん……そうだな……」

 やはりダンは騎士団長という言葉に複雑な顔をしている。

「ひ……お嬢様、お皿の準備ご苦労様です!」

 ジョセフが二人に寄ってきた。

「きれいにしましたわ!」

 ローザは胸を張る。

「ああ……じゃあ、盛り付けよろしく。俺はおとなしくしておく……」

 そう言ってフラフラとダンは二人から離れた。

(ま、まさかローザ姫が自分に憧れを持っていたとは……!!)

 ダンは心の中で頭を抱えた。

(いや、方便かもしれないが……しかしめっちゃ褒められてしまった……その男がこんなところにいると知られたらどう思われるか……)

 ダン、いやダニエル騎士団長とローザ姫は正式に会ったことはない。

 ダニエル騎士団長が参加するような血なまぐさい戦争関連の式典にローザ姫は列席したことがない。

 ローザ姫はどちらかというと音楽家や画家などを招いた文化的な式典に列席することが多かった。それはローザに甘い父王の意向であった。

 ダニエル騎士団長がローザを見かけたのはたまたま、何かの式典で王宮の警備に当たっているときに移動しているのを遠くから見かけただけだ。

 交流は一切なく、さすがに騎士団長という存在こそ知られていたものの、ローザはダニエル騎士団長の実情など知らなかった。

(しかし騎士団長の話題が出て挙動不審になるというのは良くないな。気を付けよう)

 そう考えながら調理場をフラフラしているとフレッドに捕まった。

「おい、ダン、何をしている……」

 その目は警戒に満ちていた。

「あ、いや、えーっと……皿を数え終えたからどうしようかと……」

「……………………悪いことは言わない、おとなしく食堂に座っていろ」

「はい……」

 長い黙考の後に導き出されたフレッドの結論に、ダンはおとなしく従った。


 朝食の食卓は整った。

 アベルが焼き加減を確かめたパンも、キャサリンが作り方を指示したオムレツも、フレッドがかき混ぜたスープも、ジョセフが切ったサラダも、きれいに整っていた。

 訓練生たちは席に着く。

 ハロルド教官が、手を組んだ。

「それでは、食事への感謝を。神の恵みに、国の繁栄に、王の統治に、感謝を捧げます」

「感謝を捧げます」

 訓練生たちは唱和した。

「うまい! うまいなフレッド!」

「ああ……なんとか整ったよ……」

 ダンが目を輝かせて朝食をかっ込む。フレッドは少し疲れた顔をしていた。

「……ふむ、なかなか、悪くありませんわね。質素ですがちゃんと味があります。これが庶民の食事というものなのですね」

「大丈夫ですか? ローザお嬢様、量は足りますか? 僕のパンを食べても良いですからね」

「ありがとう、大丈夫よ、ジョセフ」

 美味しい、とまでは言わなかったが、ローザもよどみなく食事を口に運んだ。

「ああ、そうだ、ジョセフ。わたくし、騎士を目指したのは騎士団長に憧れたから、ということにしましたから、話を合わせてね」

「え!?」

「あら、何か驚くことがあって?」

「いえ、あの、ひ……お嬢様が騎士団長に憧れていたとは知らなかったもので……」

「あら、方便よ」

「そ、そうでしたか! よかった!」

「お目にかかったこともないもの。憧れる以前の問題だわ。護国の英雄として尊敬はもちろんしているけれど……ん? 何がよかったの?」

「えっと……いえ、あの、その、騎士団長のような苛烈な戦いに参加するのに憧れているのかと思ったので」

「ああ、なるほど……?」

 きょとんした様子のローザに、ジョセフはこっそりため息をついた。

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