保健室の住民

九十九零

monologue

養護教諭と先輩

 春は出逢いの季節らしいが、そんな大層な出逢いに対する欲求を持ち合わせている。ただ、そんなに異性に興味を持つ盛んな時期でもなく、彼は春になれば人間が増えるくらいにしか考えていなかった。

 場所は私立紫檀しりつしたん高等学校。創立六〇年を誇る立派な私立高校。生徒数は一学年三〇〇〇を少し超え、全校生徒一〇〇〇〇を超えるか超えないかと言う瀬戸際に立つマンモス校だ。

 そしてこの学校には全部で八つの“科”が存在する。普通科、進学科、特進科、国際教養科、推薦スポーツ科、芸能科、食物科、衣服・デザイン科。更にそこから全日制、定時制、通信制と別れている。この圧倒的としか言えない学科と学習制度の多様さがこの学園の売りであり、人の集まる要因になっている。

 普通科、進学科、特進科、国際教養科は文字通りの将来大学進学に向けて学力の向上を図る学科で受験時の得点率でこの四つの学科に振り分けられ、大学のレベルは違えども四科共に大学への進学率は平均して観ると八割を超えている。

 推薦スポーツ科、芸能科、食物科、衣服・デザイン科は学力試験など一切受けずに自己推薦書、面接、実技の三行程を実際にこれらの科の卒業生、特に優れた結果を出した実際のプロに審議してもらい、合否を決めてもらう。

 話が脱線してしまったが、今いる場所はそのマンモス校で唯一の場所。数ある教室の中で最も数が少ないこの部屋。

「翼くん、お話しましょう」

「いい感じに気怠げにプロローグに浸っていたのに、ノックもせずに勝手に男性養護教諭兼カウンセラー専門の保健室に入って来ないでくださいよ、美咲先輩」

 これだけ脳内で深く語っていたのに邪魔されれば多少の皮肉も言いたくなる。ただ、それが彼女にとってそう成り得るかはまた別の話だ。

 色々説明の行程が乱れてしまったが、ここはこの学校に一つしかない保健室。

 そしてそこで養護教諭として、常用のスクールカウンセラーとして勤めているのが先程『美咲先輩』と呼ばれる女性に『翼くん』と呼ばれている東雲翼だ。

「まぁ……それは素敵ね。結婚しましょう」

 やはり、彼女には皮肉は効かないらしい。分かってはいたが、こうも好意的に受け止められると皮肉を込めた側からすれば頭を抱えてしまう。だが、そんな事を言葉に、表情に、態度に出す訳にはいかないのでしっかりと言葉を返す。

「嫌です。お断りします」

 美咲先輩––本名は中村美咲。彼女は俺の自称許嫁だそうだ。だそうだ、と言うのも別段この事に関して俺は容認も承諾もしていない。故に自称である。

 それもこれもこのルックスとその他諸々のせいだ。自分で言うのも何だが、俺は性格以外非の打ち所がないと言っても過言ではない。高身長で日本人らしくない目鼻立ちと少し色素の薄い髪は嫌でも他人の視線を集める。髪もこの顔立ちも有難いものなのだろうと思う。しかし、これが憎らしいと思うのもまた事実だ。

 確かにこの容姿のお陰で色々面倒を回避出来るが、この顔を鏡で見る度に行き場を失った苛立ちや後悔に苛まれる。だからこの容姿を好む、俗に言う面食いには多少なりとも八つ当たり気味に突き放した。

 なので性格は決していいとは言えない。寧ろ僻々しく、学生時代は告白される度に相手を泣かしてしまう、そんな噂が広まるくらい毒舌でルックス以上にその性格の悪さで話し掛けるのを躊躇う者が増えた。現に実際何人かには冷たく突き放した結果泣いたのだから噂、と言うよりは事実だ。

 そんな事もあって高校生活の中で決まって話す相手なんて何人かを除いて殆どいなかった。

 率直に言ってそのうちの一人が今現状俺の上に無理矢理座っている(乗っかっている)中村美咲だ。

 だが、その彼女は俺なんかの側にいるには余りに勿体ない。人間として彼女は素晴らしいと思う。

 彼女は俺が持っているモノは大概持っていて、俺には欠落しているモノも大概持っている。簡単に言えば俺なんかよりよっぽど優れている。ルックスだって高校の時からずっと芸能事務所からの誘いは来ているし、学力だって万年一位を保っていた。その気になれば俺なんかよりもいい人を射止められるだろう。

 それに彼女の優しさに、好意に俺が縋っているのも事実だ。言葉で幾ら彼女との距離を取ろうともこの事実が存在する限り離れる事は出来ない。彼女も俺もそんな事をする勇気がないのだ。

 実際彼女のお陰で俺が今この仕事をしているし、生きている。全て彼女のお陰だ。

「そんなことよりも先輩、要件はなんですか?

 ……時間的に入学式が始まるから総合体育館に集まれ、とかでしょうけど」

 言葉の合間に時計に目をやり、把握した様に短くため息を吐き、淡々と言った。そんな俺の顔を横目で見ながら少し残念そうな声色で彼女は会話を続けた。

「相変わらずクールだね、翼くん。それでこそ私の許嫁。

 でもまぁ、もうちょっと私に優しく付き合ってくれてもいいと思うんだけどなぁ……?」

 美咲はそう言うと翼に何かを言うわけでもなく近づいてくる。近くに来て改めて気付いたが、彼女の顔の位置は翼よりも顔一個と半分くらいに低い。要するに相手の身長は俺の胸程の身長しかないということだ。

 今の日本人男性の平均身長は一七〇センチ前後で、翼はそれよりも高い一八三センチ程、顔の大きさはわからないが、だいたい二〇センチ弱で更にそこから首の長さもそれなりにあるだろう。それを踏まえたとしても彼女の身長は女性としても低い方だろう。少なくともこの学校にいる女子生徒の中では総じて見れば下の方にいるだろう。

 しかし、美咲は小柄ながらも均整の取れたプロモーションと相まって、普通の男子生徒ならば好意を抱かれていると勘違いを起こしても仕方がないくらい蠱惑的な雰囲気を醸し出していた。

 そしてこの雰囲気を感じ取り、久しい学生時代を思い出す。俺に話し掛けてくる者は殆ど居ないがゼロではない。だが、話の内容は決して友達なんかとする様な親密なものではなく、大概は俺に対する告白か美咲先輩との関係性の二つ。しかもその二つは綺麗に性別による隔てが存在し、前者が勿論女子で後者が勿論男子な訳だ。とどのつまり彼女の醸し出すこの蠱惑的な雰囲気は決して俺だけに、故意的に出している訳ではないのだ。

 故意的にそうしている部分もあるのだろうが、素の部分の方が多いだろう。そんなあざとい人間は異性には好まれても同性には嫌われるのが一般的だが、先輩はそうじゃない。だから流石だと思う。

 脱線した思考に一旦区切りを設け、会話を続ける。

「面倒ですけど、俺が行かなきゃ先輩も行きませんし、後で(美咲先輩の)お父さんに(先輩が横で茶々を入れるから)長いお叱りを受けるので、行きましょうか」

 後でと言うのは文字通りで式を無断欠席すれば美咲の父親はすぐに保健室にやってくる。

 理由は色々あるだろうが、俺の言葉から言えるのはいつも暇さえあればここにいるからだろう。そしてすぐ来る理由は単に彼女の父親がこの学校の校長を務めているからだ。

「そうね––」

 言葉と言葉とを紡ぐ一瞬に生じた間をなんとも思わず、素直に受け入れてくれた。なんて思ったが、当然と言うか、勿論と言うか、その思い過ごしは紡がれた言葉を全て聴き終えて儚くも幻想の様に消えていった。

「それにしても翼くん、いつも口では嫌がっている癖に『お義父さん』なんて……。

 婚姻届持ってくる? このツンデレさんめっ☆」

 言葉自体に間違いはなく、捉え方によっては意味に何の間違いもないが、ただ訂正と否定をするならば俺はあくまで美咲の父と言う意味で『お父さん』を使った訳で、既婚者が相手側の父に対して義理の父を孕む『お義父さん』を使った訳ではなかった。

 そんな一般人なら分かるであろう言葉の綾に対して彼女はわざと茶々を入れる。だからこの会話を長引かせる事はせず、ただ純粋にこれから言葉の省略をするのを辞めようと真剣に考える。だが、そんな事を思っている、考えているとは仕草では、表情では感じさせない完璧なポーカーフェイスで平然を装い、彼女と一緒に保健室を後にした。

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