休みと海
《ルビを入力…》 式は予定通りに終わった。職員会議も終わった。いつもならそのまま保健室に帰って今日まで行われる部活を遠目で見守るのだが、そうはいかない。
呼び出しをくらっている。思い当たる節がないとは言えないが、別に悪い事をした訳ではない。
「お、来た来た」
そう言って俺に手招きをするのは進学系統で理科科目を担当する黒田辰雄だ。そしてその横にいるのは数学科目を担当する森田周斗だ。因みに二人とも独身で彼女もいない。
それが今日呼ばれた理由だとなんとなく察しながら会話に混ざる。
「で、用件はなんですか?」
「海に行くぞ」
唐突に言われた海水浴案件に驚き、それと同時に呆れた。
「なんで俺もなんですか。独身女性の教師、特に美咲先輩や詩音あたりを狙うなら俺を誘わない方が良くないですか?」
好意を抱いている人間を呼ぶのは適切ではない。自分よりも容姿が優れている場合も同様だ。合コンでもコンパでもそうだが、自分が本気で落としに行くのなら自分よりも上の者を連れて行くのは得策ではない。だから主催者よりいい人間が集まる事なんてあまりない。つまり彼らに俺を呼ぶメリットは存在しないのだ。
「俺だって誘いたくねーよ、お前みたいなイケメン。でもな、お前が行かないと女子軍は誰も来てくれないんだよ。この際お持ち帰りできなくてもいいから水着くらい拝みたい! 頼む同級生に情けを……」
「頼む……!」
あまり喋る事もなかった彼らとこうして馬鹿みたいな会話をするとなんとなく不思議な気持ちになる。外野から見れば二人がかりで一人に情けなく頼んでいるようにしか見えないだろう。まぁ、実際その通りなんだが……。
それ以上に自分の変化か相手の変化かそれとも両方かの変化を感じると少し居た堪れない気分になる。
「まぁ、いいけどどこでやるんだ?」
こんな御時世でどこで海水浴なんてするのだろう。民間の海水浴場で行なって生徒に見つかってしまえば問題にされ兼ねない。特に詩音や専門系統の教師陣たちは一般人からしたら有名人な訳でそんな事を大衆の前でしてはメディアの餌食になる。
「それはもう予約済みだ」
そう言って二人は口角を上げた。何を企んでいるのかは分からないが、大衆の海水浴場じゃないなら妥協くらいする。彼らには試験の時に少しお世話になったからな。そんな事を思いながらため息を吐く。
「分かった」
せっかくの休みを太陽の下で過ごすのはインドア派からすれば乗り気ではないだろう。しかし、借りっぱなしなのも嫌だ、と割り切って承諾した。
「じゃあ、明日朝に迎えに行くわ」
そう言って軽やかなステップを刻みながら二人は職員室に向かっていった。
「先生はさ、海とか行かないの?」
いつものように居座る小倉からピンポイントな質問が飛んできた。この季節なら別に可笑しくないが、彼女がすると見透かされた気分になる。
別にこんなしょうもない事に嘘を吐いてもしょうがないので正直に言う。
「明日行くぞ、と言うか連れて行かれる」
「どこですか?」
食い付きがすごい。机越しに座って大人しく課題に取り組んでいたのに身を乗り出して聴いてきた。そんなに知りたいのだろうか? そもそも俺は場所を知らない。それに知ってても教えない。教師どうしでの海水浴ならまだしも、生徒となんてアウトだ。社会的に死んでしまう。
「場所は知らないんだ」
「そうですか、残念です。ところで明日私も明日海に行くんです。偶々、偶然会ったりしたら運命感じちゃいますよね?」
少し言動に疑問を憶える。普通に考えればそんな事が起こるとは考えにくい、なので適当な相槌をうつ。
そんな俺の相槌に対して意味深な笑みを浮かべている彼女に少し、いや、かなり嫌な予感を再度憶えた。
「まさか、お前––––」
「じゃあ、先生今日はこれで。もし会えたら明日ね」
一気に行きたくなくなった。きっと、いや、必ず明日の海にはあいつとその友達がいるだろう。そう思うととても悪い事をしているような気分になってくる。
そもそもどうして俺も知らない海水浴場の場所を知っているのだろう。
てか、俺水着持ってなくないか? 帰ったら買うか。下と上の羽織りを……。
そんな事を思いながら携帯端末で近くのお店から水着を取り寄せる。デザインにこだわりはないのであまり日光を集めいない明るい色。決済が終われば店に電話してそのまま住所まで急ぎで送って貰うようにお願いする。
そんな急に決まった海水浴の小さな準備を終わらせ、比較的静かな休暇前日。ゆっくりと落ちる夕暮れと睨めっこしながら部活が終わるのを見届けた。怪我人は相変わらず多いし、この部屋も少し臭う。
明日からの休み間、このまま放置する訳にはいかないので昔から使っている消臭剤を部屋の隅っこに置く。きっとこれで休みが終わって帰ってきたら懐かしい匂いが迎えてくれる。思い出深い、とても落ち着く匂い。
「帰るか……」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます