約束と交渉

 灼熱の夏はその暑さ故に休みが設けられている。そんな夏の長期休暇も本番に差し掛かろうとしていた。七月は終わり八月の初日からお盆まである長期休暇中の本当の休暇。部活も課外もなく朝から晩まで好きに過ごす事が出来る。

 専門系統の生徒は基本的には個人活動に勤しみ、日々自分を売り込む事を目標に試行錯誤している。声を掛けられれば事務所に足を運び、見学をしたりする。上手くいけば契約なんて事もあるらしい。その一方で進学系統は予備校に行くなどして、志望する大学に向けて調整をしている。一見悲しい夏休みに見えるが、それも大切な事だ。自分の進路に関係する重要な人生の分岐点なのだから……。

「で、何で此処に居るんだ?」

「えっとですねー、ちょっとお願いがありましてぇ……ね?」

 日付は夏の折り返し日だと言っても過言でもない七月最終日。生徒はいつも通り課外を受け、その後長くてありがたいと校長の話が待っている。当然教員一同も参加が義務付けられており、俺も保健室の戸締りを始めようとしていたくらいの時間だ。

「お前、授業はどうした?」

「私、生徒会長なので、リハーサルに参加していたんですよね。で、人前で話す事なんかに私が物怖じする訳ないじゃないですか?

 なので、直ぐにリハーサルが終わってお願いがあるから来ちゃいました。テヘペロ!」

 相変わらず小倉は小倉のようだ。彼女が人前で話す事なんかに躊躇しないことは知っている。お願いがあるのも聴きたくないが分かった。そして何いつも通りのあざとくウインク、いや、グレードアップしてテヘペロになった語尾に若干の悪寒を感じながらその場に居た。

 彼女は変わらない。彼女はブレない。あの人の様に強く、優しく、美しい。これで俺が彼女と同性ならばきっと絶望していただろう。お顔も良くて、性格も良い。それに加えて強いと来た。もう向かうとこに敵なし、霊長類最強も夢じゃないと思し、その内国民栄誉賞なんかも授与しそうだ。

 そんな彼女がお願いに来た。大体内容に察しは付いており、聴く前に一応釘を刺す。

「聴くのはいいが、一緒に祭りには行かんぞ。

 俺とお前じゃ無くても教師と生徒が一緒に居るのは誰かに見られたら世間体は優しくないからな。お前も俺も将来を見据えているなら今回は我慢しろ」

「私だってそんな事知っていますよ。人に見つからなければいいんでしょ?

 それに先生は結局それっぽいこと言って形ある答えくれなかったじゃないですかぁ」

 幼い頃からしてきた言い訳。皆持っているからとか、今やろうと思ったのにとか。俗に言う『ああ言えばこう言う、こう言えばああ言う』と言うやつだ。だが、この言い訳も中々的を射た指摘もある。人に見られたくないという主張に対して、見られなければいいじゃないかと言うのは、見苦しい言い訳ではあるけれど、言われれば言葉に詰まる。だから世の親は子供を叱るのだろう。親じゃないから知らんけど。

 話を元に戻す。とどのつまりこの言い訳をされると言葉に詰まるのだ。

 それに俺は小倉の親でもなければ、将来を誓い合った訳でもない。だから矯正を強制する権利は今の俺にはない。

 そんな俺の立ち位置をより一層悪くするのがあの時の話だ。解決はしたが、結局彼女の決意を無碍にして、未だ答えを出していない。これに関しては俺に非がある。

「それに関しては俺が悪いのは認める。だから話は聞く。だが、お前の将来に関わると見做したら却下させて貰う」

「まぁ、それで妥協しましょう。八月一三日。この日は何の日か知っていますよね?」

 そこで言葉を切り、間を取る。そして視線を俺に向けて解答する事を促す。

「あぁ、当たり前だろう。あの人の、愛美さんの命日だ。序に言えばお盆だな」

 そう答えると、彼女に視線を送り、話を進める事を促す。

「正解です。覚えてくれていて嬉しいです。

 で、ですよ? お母さんのお墓の場所って佐賀の田舎の方じゃないですか?」

 佐賀がそもそも田舎じゃないか? と少々失礼な事を思ったから考えを正そう。佐賀……いい所だよ。唐津城あるし、高層建造物とかないから見晴らしいいし、空気が美味しいし。ほら、いい所だろ。それに去年の魅力度ランキング一位だぞ。

「そうだな」

 小倉の言葉に適当な相槌を打ちながらさっきの失礼な考えを正す。

「ほら! 田舎って小さな祭りあるじゃないですか。盆踊りとか風情あるのが」

 これ以上話を伸ばしても時間的に危ういので答えを出そう。

「分かった、分かった。祭りには付き合ってやる。目的が一緒だから墓参りも一緒に行ってやってもいい。でもそれ以上の事はしないからな」

「それ以上の事ってどんな事ですかぁ?」

 艶やかな唇に人差し指を置きながら色っぽくそう言う小倉に俺は少しお灸を据える。俺も男だ。性欲だってある。何かの間違いで理性が切れないとも限らない。そんな時にそういう事が起きないように、起こさないように偶には注意喚起も必要だろう。

「そうだな、大人がやる様な×××××や××。教師権限を乱用して生徒とする事なんてそんな事に決まっているだろう?」

 予想外の言葉に彼女は顔を赤く染める。耳まで真っ赤だ。

「もちろん冗談だ。さっき言った内容で良ければ付き合ってやる」

 不意打ちを食らった様子の彼女はいつもより控えめな返事をして、逃げるように総合体育館に走って行った。

 それを苦笑しながら見送ると保健室の戸締りを手短に行い、全校生徒が列を成して向かう総合体育館に足を運ぶ。

 その道中、どうしても“優しさ”という言葉が引っかかる。

 彼女は俺の事を優しいと言ったが、別に俺は優しくない。

 将来の為、お前が困る。全部彼女の為。今彼女のお願いを聞くよりそっちの方が大切だ。そんな風に受け取られているのだろう。

 だが、実際は違う。俺は優しい人で居たいのだ。彼女の為と嘘を謳い、自分をよく見せようとする。要は彼女の為に何かをしている自分に酔っているのだ。それでも彼女の為、と言う事に嘘はない。

 俺が美咲先輩に依存しているように、彼女にも今の俺は依存している。それはきっと彼女が大切だからだろう。一人になる事の恐怖を知っているからこそ、大事な人を失いたくないと思う。誰だって一緒だ。

 己を偽り、人は嘘を吐く。それは幾ら他人の為だと言おうが、結局は回り回って自分の為なのだ。他人の為の嘘なんて存在しない。

 それでも自分の吐いた嘘を悪だと見られたくないから、少しでもよく見られる為に嘘の上に嘘を重ね、罪から遠ざかろうとする。

 嘘は悪い事だ。だが、俺が知る限り自己防衛に一番向いているのは嘘だ。他者も自身も騙せる都合のいい言葉だ。

 だから俺は優しくなんかない。愚痴を溢すし、汚い嘘を吐く。そこら辺にいる大人だ。

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