死別と涙
担任教師の車に乗り込み、両親が搬送された病院に連れて行ってもらう。不安な気持ちも拭えずに心音が自分の中で木霊する。
脈拍は勢いをあげ、息が荒々しくなってそれと同時に冷や汗が滴り落ちる。なのに、どうしてか涙だけが出なかった。こんなに不安で悲しいのにそれは零れなかった。
病院に着くと急いで両親がいる場所を受付の看護婦に尋ねた。
看護婦は落ち着いた様子で、少し憐れむような様子で、俺を案内した。それを見て察してしまった。もう両親が駄目だという事を……。
死因は脳死。事故原因は逆走車との衝突。高速道路のカメラを確認した警察が言うにはスピードからして避けられないものではなかったが、反応が明らかに他の車よりも遅かった。そう告げられた。
それを聞いて一番に心配したのが飲酒だったが、それは違ったようだ。体内からはアルコールは検出されなかったらしい。その結果から両親は過失とまではならないものの前方不注意があった可能性を示唆した。
しかし、それを否定する事はできなかった。もう一年も運転していないし、外出も同じくらいしていない。それにきっと酒気帯びでなかっただけでいつも通り二日酔いだった筈だ。だから警察の言う事はきっと正しい。
それでも出た理由は分からなかった。だから駄目元で聞いてみた。
「真実かどうかは分からないけど……」
そんなよくある前置きと共に一枚の紙が渡された。車内にあったものだったようで破損が酷く、何の紙かないんて普通なら分からない。だが、俺には分かった。入学式の案内だ。
きっと読んで、来ようとしてくれたのだろう。もう終わったその式に。
「これが何だか分かる?」
「入学式の案内です。だいぶ前のですけど」
もう両親の感覚には日付がなかったのだろう。だからとっくの昔に終わったそれに来ようとわざわざ車にまで乗って来ようとしてくれたんだと思う。
いつまでも未練がましく捨てないで机の上に置きっ放しにしていたそれがそもそもの原因だとこの時悟り、皮肉なものだと笑ってしまいそうだ。実際には笑えていないが。
そこで警察との話は終わった。事件が片付いたらまた来る、とだけ言い残したけれど、正直もう聞きたくない。
そんな会話の切れ目に入ってきたのは医師だった。内容は死んだ両親の亡骸を見るかどうかだった。どんな悲惨な事になっているのか気にならないといえば嘘だ。だが、見たくない。変わり果てた姿なんて、と思っているのに、身体は両親の居る方に向き歩き出した。
泣けるだろうか。両親が事故に遭った。その事実で不安が募り、身体は異常を表した。それでも涙は出なかった。なら両親の亡骸を見れば、更に不安を煽れば涙は出てくれるのだろうか。遺体安置所となっているその部屋に入る時、不意に思った。
両親の亡骸は想像以上に酷いものだった。顔は血で覆われているのに青ざめていて、触れなくても冷たいと感じるくらい空気も両親も凝固していた。
そんな時、やっと一滴の涙が零れた。その最初の一滴を足掛かりにもう一滴、更に一滴。床に小さな水たまりができるまで泣いた。
初めて携わった人の死が両親だとは思わなかった。お年玉を貰う時にしか会わない祖父母の方が先立つと思っていた。関わりを持てば持つほどに別れは辛いと言うけれど、俺は両親とそれほど関わりを持った事はない。二人になった時も、再婚した時も、相談も笑談も一度もなかった。
手を繋いだことも一緒に食事をとった事すらない。いつも見ていた父は背中だけだった。
だからいつか面と向かって笑えるように頑張ってきた。勉学も人付き合いも運動も他人よりも目立てるように、視界に入るように頑張った。なのに、結局それは叶わず、最初で最期の顔合わせが死別なんて笑えない。寧ろ泣けてくる。
そんな事を思いながらまた涙をながした。
何で泣いているのか、そんな事を思えばきっと哀しさよりも恨みの方が強いだろう。最後まで見てくれなかったのに、柄にもなく見ようとして死んでしまうなんて馬鹿だ。これじゃあ、嫌味の一つも言ってられない。
嫌い、嫌い、大嫌い。いつも勝手で人の迷惑なんて考えていない。馬鹿だ、馬鹿だ、大馬鹿だ。最期までロクな会話なんてなかった。
再婚も離婚も自分勝手だ。育児を放棄し、仕事も放棄して家でいつも酒を飲む。そんな最低な親だった。なのに、口から出るのは呻き声だけだ。鼻で笑える小言も出てきやしない。
––––大嫌いだ。
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