幼馴染と有給
有給が始まった。昨日も遅くまで小倉との約束を果たすために保健室で勉強を教えていた。だから今日から用意も前もってできず、結局寝ずに身支度をしたので瞼が重たい。かと言って眠たいかと聞かれればそうでもない。何かの呪いのように頭の中では過去の記憶がフラッシュバックする。だから落ち着いて眠れもしない。
過去なんて思い出したくない。負の感情は大体が過去形でしか存在できない。後悔先に立たず。そんな諺が生まれるくらいにそうなのだ。両親との生活もあの人との日常もそのあとの自暴も振り返ると後悔しかない。
そんな事を思いながら新幹線から見える景色に黄昏ていると、後ろから手が伸び、翼の瞼を覆った。
「だーれだ」
「なに美咲先輩みたいな事してんだ、詩音」
別に故意的に二人で休んだ訳じゃない。彼女には、中田詩音には俺とは違う用件がある。ただ、それは俺の用事が終わってからの用事なので付いて来るらしい。
「あんな女なんかと一緒にしないでくれるかな、翼」
あんな女。彼女は美咲先輩の事を昔から嫌っている。理由を聞いても気に入らないとか、ムカつくからとか、子供じみた中身のない理由しか返って来ない。だから学校内で顔合わせをしても適当な社交儀礼しかしない。
「それはいいが、本当に付いて来るのか?」
「当たり前じゃない。翼のお父さんと私の両親に交流があるのは知ってるでしょ。だからよ」
律儀だな。そんな関心を覚えながら同じ席に座ったままの時間が経っていく。詩音が言うように昔から両親同士の交流があったので俺は幼い頃からずっと詩音と育って来た。保育園から高校までは同じ学校だったし、互いの家を行き来する程度には仲が良かった。両親との記憶よりも彼女と過ごした幼少期の記憶の方が多いくらいだ。
そんな交流があったから。その程度の理由で彼女は毎年東雲家の墓がある関西まで足を運んでいる。もちろん仕事の都合で合う日、という条件の下でだが、きちんと毎年行ってくれている。
それに比べて俺はあまり行く事に気が進まなかった。そもそもそんな思い入れのない両親の墓に通っても虚しくなるだけだし、嫌な事を思い出す元凶にしかなり得ないのでここで養護教諭になるまでは行く気もなかった。
しかし、彼女に諭され、こうして足を運んでいる。墓の前で何を語ればいいのか、何を願えばいいのか、そんな事を昨日から悩んでいる。
「でさ、翼も今日入れて三日休みなんでしょ? 偶には私の演奏を聴きに来なさいよね、幼馴染なんだから」
詩音は視線を逸らしながらそう言った。確かにこの年齢で幼馴染はむず痒い。でも、昔からよく聴いていたあの音色を聴きたくない訳ではない。落ち着く音、高揚する音、傷心に浸れる音。たった十本の指で奏でる彼女のそれは俺を昔から救ってくれた。
「まぁ、いいけどお前のコンサートいつも発売される前に予約漏れすんじゃん」
「ふふふ、当たり前じゃない。でも、今日は特別にこれをあげる。あんたの為の特等席よ。私が一番見える場所を用意するわ」
そう言って彼女がくれたのはチケット。もちろん彼女の演奏が聴けるもので、席番は一番前の中心。彼女が一番見える場所だった。
「ありがとう」
「可哀想からあげただけよ。でも、ちゃんと聴きなさい」
少し照れながら言う同年代の幼馴染を誇らしく思った。昔から彼女はピアノを弾いていた。同じ音楽教室に通いながら一緒に練習して彼女の才能を実感させられて来た。でも、彼女は優しい。
あの日、一か月ぶりに学校に登校してくれた俺の為にピアノを弾いてくれた。不器用な言葉も添えられたその気遣いを今でも覚えている。
「詩音は俺の親の事どう思う?」
そんな素朴な疑問が溢れた。親と交流があったから来ている。そう言った彼女の内心はどうなのだろう。他人から見た父はどう映っていたのだろう。それが少し気になった。
「んー、そうね。まぁ私は客としてしか会った事ないから分からないけど、主観で言えばいい人だったわ」
そんな言葉に少し落胆した。息子よりも客としての彼女の方が父をしている。そんな事実どこか嫉妬すら覚えながら聞き流す。
しかし、言葉は次のように続いた。
「でも、それ以上に嫌いよ。家族を大切にしない父親なんて……」
少し詰まった言葉。何が続いたのだろうと思いながらも聞く事を恐怖し、躊躇って話題を移す。元々二人ともあまり会話は上手くない。なんなら不器用でプライドが高い面倒な人種だ。
だから遠退いた距離を縮めるように世間話を目的地に着くまで繰り返した。
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