〈Interlude〉決意と過程
最近彼の帰りが遅い。仕事だからしょうがないと割り切っているが、寂しさは拭えない。今まで一人で食べる食事に何かを思った事もない。味も匂いも雰囲気も何も感じず、食欲を満たすだけの行為でしかなかったから。
それなのに、その筈なのに今はこの孤食を寂しいと感じる。そう感じる背景にはきっと彼がいる。
大好きな彼とだから、愛している彼とだから。今この独りぼっちの食卓に寂しさを感じるのだろう。きっとあの時以来だろう。
高校時代もそうだった。最初は無彩色で灰色。特別充実なんてしていなかったし、そんなものを求めていなかった。
昔から両親は共働き、同い年の子はみんな塾や部活、個人活動に勤しんでいた。それに比べて私は今まで何をしていたのか。何かを目指して頑張っている訳でもなく、漠然と過ごしていた。その過程で学年一位を取り続けたという事だけ。特に努力をしていなければ、やる気もなかった。他と優れている事なんて才能と容姿以外何もなかった。
その容姿のせいか男子からは人気だったが、女子からは反感を買うことの方が多かった。そんな自分を好くことが出来なかった。普通でいいから何か目標が欲しかった。充実した高校生活が欲しかった。
でもそれは高校一年生の話だ。
その翌年からは勤しむ目標が出来た。何かと言えば、少し気になる男の子、もとい後輩が入学してきたことだ。理由としては弱いかもしれないが、それがきっかけで変わる事ができた。
その後輩は入学試験以来ずっと満点を取り続け、学年一位。容姿も個人的主観だが、とてもカッコいい。性格は捻くれているらしいが、とても孤高な後輩だった。その時私は人生最初の告白を行った。無計画で無頓着な告白。別にこの行為を行えばきっとその後輩から興味も消えることも分かっていた。それでも異性に持った初めての興味が私をこうまで動かした。
「ねぇ、私と付き合わない?」
結果は知っている。承諾の答えしかない。そう思い込んでいた。
しかし、現実には……。
「は? やだよ。何でそんな見ず知らずの先輩と付き合わないとならないですか」
初めての経験だった。初めての告白を縦横無尽に薙ぎ払われた。一度しか体験出来ないこの経験。でも、当時の私はそれがどうしようもなく許せなかった。耐えられなかった。
だから泣いてせがんだ。癇癪を起した。その後輩には死ぬほど引かれてしまったが、私は自分を知れた事に感動していた。そしてより一層彼に惹かれていった。
他人にこの気持ちを分かって欲しいなんて事は言わない。今まで面食いとか変子だって根拠のない事を言われてきた。他人に理解を求めるほど周囲に依存していない。それでも周囲に興味を持つきっかけにはなった。
恋をする事はそれに気付かせてくれた。後輩を振り向かせるために始めたのが、化粧だった。
しかし、今までそんな試みを持ったことすらなかったので、苦悩した。結果聞くことにした。疑問は答えを知っていそうな人に質問する。それが手っ取り早い。話しかけてからしばらくはちぐはぐしたが、無事信頼できる友達を持つことが出来た。
あの後輩を振り向かせる為にできる事は頑張った。
それでも彼は振り向かない。でも、心は開いてくれた。告白したあの日から半年が過ぎた頃彼は渋々私の話を聞いてくれるようになった。適当な相槌と雑な共感。それでも諦めないで昼休みや放課後を訪ねるようになり、遂には休日に一緒に出かける約束まで取り付けられるようになっていた。
私達の中は着々と進歩している。そう思っていた。けど、それは違った。
毎日、映画のような転機を期待していた。自分が主人公だと錯覚していた。私の人生は映画じゃない。予め内容が決められた物語じゃない。いつもどこかに選択肢が存在していて、その選択次第で人生は簡単に揺らいでしまう。
訪れる転機が必ずしも幸せなものとは限らない、なんなら幸せじゃない方が多い。
人生は皆ハッピーエンドを約束されている訳ではないのに、それを忘れて舞い上がってしまった。そんな当たり前に気付けなかった。
私が彼を一番知っているなんて思い込んで私の中の彼を押し付けていただけだった。実際には何も知らないのに、勝手に自分が一番だと思っていた。けれど、彼の中にはあの人しかいない。それ以外はどんなに近付いても特別にはなれない。
だから好き嫌いとかじゃなく、彼が困った時に支えられるようになろうと思った。手を差し伸ばしてあげられるように思った。
せめてその時くらいは良い先輩でいられる事を望んだ。
そして去年、彼は絶望に打ちのめされて無惨な姿を晒していた。
正直落胆した。あれほど輝きを放っていた彼が、たった一つの大きな困難に敗れてここまで草臥れるなんて思いもよらなかった。それだけあの人の事が好きだったのだと妬いた。自分があの人と同じ境遇に遭ったら同じようになるのか。
解は出ている。彼の中は未だにあの人でいっぱいだ。それだけでもう悟った。
––––私は彼の一番大切な人にはなれない。
別に諦めた訳じゃない。一番になれる為に頑張ってきたし、いつでも彼を迎え入れる準備は整っている。それでもあの時の彼を見て、ボロ雑巾のように転がっていた彼を見て自分の好意よりも彼の為になればと思って声をかけた。
「もし良かったら私たちの学校で働いてみない?」
私情も多少は含まれている。一緒に働けるのは嬉しいし、同居なんて恋人みたいでドキドキした。それくらいは大目に見てもらいたい。善意の押し付けかもしれないが、彼には元気になって欲しかった。別に私じゃなくてもいいからあの人の面影を追わないようにしたかった。
終わった後にタラレバ繰り返してもキリがない。
だから、未来見て生きよう、ね?
それは自分への暗示、過去に縋り、あの時の彼に縋り、何一つ自分だけでは上手くいかない自分に対する戒め。自己暗示だ。
私はそんな出来損ないの私自身の事を励ます。
「なに、男前。惚れちゃいそう」
不意にかけられた声に驚き、後ろを向くと久しく顔を合わせていなかった母親の姿がそこにあった。何で居るので? なんて質問をせずに会話を続ける。
「いい感じに感傷に浸っていたのに茶々入れないでよ」
私のこんな返しにも母は笑って、私の言葉に丁度いい茶々を入れてくれる。
「惚気? 彼と同じような事を言うのね」
再度優しい言葉をくれる。そんな状況に出くわす度にしみじみ思う。いい母を持ったと。
それでも後悔は晴れない。あの時の選択がこれでよかったのか。自分にとっても彼にとっても良い選択肢はなかったのか。過去の後悔を掘り返したら幾らでも出てくる。
「まだ、後悔しているの? 貴女は彼を助けたいのでしょ? 大好きな彼を」
その言葉は私を救う。
古来より母親は子供を正しい道に導くものと聞くが、それは大いに正解であり、母は私の揺らぐ心の中の大切な願望に、信念に真摯に寄り添ってくれる。言葉という人間固有のそれで道を照らしてくれる。
ペンは剣よりも強し。ペンは剣以上に人を傷付ける。そんな言葉ができるくらいに。
剣もペンも使い方を誤れば人を傷付ける。だが、正しく使えばこうして笑顔になる事ができる。
しかし、世界は残酷なのだ。どんなに足掻こうが終わる時は終わる。そんなことは誰もが知っている。終わりがあるから頑張れるんだ。限られた時間の中で色んな事を駆使して最善の一手を探す。努力なら誰もがしている。
それ故に誰もが受け入れ兼ねる。終わりが来た時、それが自分の望まない結果だった時。
また後悔をするのだろう。涙を流して、無様に喚いて、何度目かの失敗を忘れるまで嘆くのだ。
それでも私はあの時からずっと胸にある信念を忘れたくない。貫きたい。例え終わるその瞬間がもう近づいていたとしても……。
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