〈Interlude〉オルゴールと笑顔

 朝、目を覚まして横の部屋にヒョイと顔を覗かせる。当然のようにもうそこに彼の姿は無く、階段の下の方は電気が付いているのが見える。

 折り合いが悪くなった私は会話の切れ目に乗じて彼から昨日(時刻的には今日)逃げ出した。どうにも普通に話しかけるには勇気が必要だ。いつもなら勢い任せに会話を弾ませるが、そんな気分にもなれなかった。

 だからそんな時決まって私は部屋の隅に飾ってあるオルゴールに目を向ける。ひどく懐かしくて愛おしい。手にした時からそうだった。決して高価なものではないし、年季の割には傷が多い。それでもこれは私の為に彼が選んでくれた唯一の贈り物。

 だから見ているだけで心が暖まる。傷だらけの木箱の蓋を開け、ネジを巻く。そして流れる誰もが知る誕生日に歌う歌のメロディー。

 その音楽を聴いて笑顔を思い出す。あの頃から忘れてしまっていた自然体の笑顔。それは自分でも自覚できる程の輝きを放っていた。みんなが褒めてくれるそれは彼にも等しく見えていた。それを知った時は嬉しかった。自分の笑顔を彼が認めてくれたのだ、好きな人が自分を認識してくれたのだ。だからこの笑顔は絶やしてはいけないといつも心掛けているうちにそれはニセモノになっていた。取り繕った自分を鏡越しで見た時、ゾッとした。

 でもそんなニセモノの笑顔を指摘してくれない彼に怒りと憐れみを感じた。好きと言ってくれた笑顔とそうではない笑顔の違いも分からない彼に憤りの念を抱いた。しかし、それ以上に彼の負った傷の方が深いのだと気付いて自分を叱咤した。だからこの互いに感じる気まずさを心なし程度でも和らいで欲しい。そんな気持ちでホンモノのそれを浮かべる。

 音楽は風に乗って舞っていく。私の知らないところまで……。

 けれど私はどこにも行けずにずっと彼を追ってしまう。

 机の引き出しを開ければそこには沢山の言葉が綴られている。手書きの言葉、画面越しの言葉、短いメッセージ、長いメッセージ。形は違えどもそれぞれに込めた気持ちは同じ形。彼女はこれを見て戒める。渡す勇気を振り絞れなかった自分に。でも、いつか渡す。だからなんだって頑張れる。

 音楽の止まったオルゴールの蓋を閉じ、引き出しに鍵をかける。ベッドに再び戻り、暫くするとアラームが鳴る。

 階段を一段降りる度に気まずさに襲われる。

 彼にどう話しかければいいのか。そんなことばかりを考える。結果良いアイディアは浮かばす、現状を打開させる事はできず、結局姑息にも酔ったフリをしてその場を濁す。

 今はこれでいいかもしれない。しかし、きっと振り返れば後悔しかないだろう。分かってはいるけれど、そうしてしまう。愚かだと自分でも分かっている。けれどそんな負の感情は持ち続けても重荷にしかならないと知っている。

 階段を徐に降りながらふと思った。

 でも、それはみんな同じなのだろう。みんなそれぞれの過去を持って、背負って存在しているのだから。父も母もそうだろうし、きっと彼だってそうだ。辛くて切なくて頭を抱えたくなるのは私だけじゃない。


 すると、不思議と重荷から開放される。次のその時まで。

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