二年目と生徒会長

「先生失礼しまーす。新入生の案内に来ましたよぉ〜」

 そんな妙に高いテンションは美咲を連想させたが、この少しソプラノの効いた声と抑揚の少ない言い方でその声の主が誰だか分かった。そんな場違い感を羽織った女子生徒、もとい生徒会長の小倉玲奈は多数の新入生を引き連れて保健室を訪れた。去年同様に新入生のオリエンテーションだろう。

 そんな案内係を担う彼女のテンションに動揺も同調もせず、いつも通りのテンションで「どうぞ」とだけ言って座っていた席を立ち、一人で把握するには明らかに広い保健室を案内することにした。

「はい、皆さんおはようございます。入学式でも自己紹介したけど忘れているかもしれないので、もう一回しておくと、名前は東雲翼。『東』の『雲』に鳥の『翼』で東雲翼です。基本授業には行く事はないですが、たまに駆り出されるからその時はよろしくお願いします」

 彼女の事を言えないくらいに抑揚もないフラットな自己紹介に呆れたのか、新入生達は重たい空気に呑まれていた。

 流石にやる気がなさ過ぎたと少しばかりの反省をしていたところに小倉が迷惑千万な事を言い出した。

「まぁ、保健室なんて言ってしまえば来ない方がいいところだし、あんまり接点を持たない先生との貴重な時間だから質問でもしてみましょうか!

 何か質問のある子いる〜?」

 そんな茶番に教師として断るのも可能だったのだろうが、そんな暇もなく質問をしたいという生徒が続出した。さっきまでの重い空気が嘘のように輝き始めたので断るという選択肢が潰えた。と言うかここで辞めさせるよりも付き合った方が効率的だと、そのように思えた。

 翼の顔が少し嫌そうな顔になるもそんな事を気にせずに。いや、嫌がらせという点では翼の顔色を気にしてノリノリで手を挙げている生徒を当てていく。

 聞いてくるのは基本的に身内話や好きな異性について、と流石は高校生というべき質問しかしてこない。けれど、そんな事を思った矢先に面倒な質問が飛んできた。

「あの、入学式で言っていたあの事なのですが、冗談にしても何にしても東雲先生と中村先生の関係って何ですか?」

 言霊が事実になると表現をするか、現代風に則ってフラグと表現するか……いや、そんな事は本当にどうでもよくて、決して嫌がらせではないと知っていても、質問してきた男子生徒に他意がないと分かっていても、この嫌な事が嫌と思った瞬間にくるタイミングの悪さは流石に頭を抱えたくなる。そんな曖昧な感情下で生徒の納得のいく回答を導き出そうとしていると……。

「あの人と先生はただの先輩と後輩ですよね?」

 先刻までルンルンだった筈の小倉が何故か機嫌悪そうに俺の回答を待たずに男子生徒の質問に答えた。しかもその事に有無を言わせずに。

 質問した男子生徒が、でも……、なんて言ってしまえば蛇に睨まれた蛙のように捕食されるまで動けないだろう。

 そんな男子生徒にご愁傷様です、と心の中で手を合わせていると機嫌を損ねた小倉からの視線を感じた。多分というか絶対というか自分の意見を肯定しろ、と目で訴えかけて来ていた。だが、これに乗じるのが一番の逃げ道だと思えたので小倉の訴えに対して頷いて見せた。

「はぁ、俺と美咲先輩は本当に先輩と後輩だ。幾ら何でもお前たちの頭は恋愛頭脳すぎるぞ」

 たち、を付けたのは俺が口を開いた瞬間に質問した男子生徒を取り巻く全ての新入生が、そして視線を送ってきた本人がその答えに注目したからだ。その答えに納得したのかどうかは分からないが、約一名は大いに納得しているのが見て取れた。

「他に聞きたい事がないなら次に行け。俺もこの時期は忙しい。

 勿論小倉も引き続き案内しろよ」

 心配性かもしれないが、いつもの彼女様子から隙あれば、すぐここに居座ろうとする傾向がある。

 美咲先輩にしても小倉にしても何故そうまでしてここに居座るのか。そんな事は分かりきっている。でも、それに敢えて触れないのだ。触れても何もできないから。

 それに今は邪魔をされては困る。後々怒られる上に今は本当に忙しいので小倉含め新入生には早々に御退出願う。

「えー、残念です。でも、わかりました。先生に嫌われたくないですから……」

 そんな翼の考えを悟ったように少し残念そうに言うと、最後に上目遣いで俺の事を見つめ、あざとさを残して次の施設に向かった。

 失礼ながら台風一過と思いながら机に戻り、生徒に配るプリントを作成し、在校生の保険証を机から出し、新入生分の保険証は事前に頼んでいた実物が事務所から届いていたので学科ごとに枚数振り分けを行う。加えて通信制の生徒には協力を求める書類を別途で作成して送らないといけない。

 地道な作業だが、量があるだけに時間は無造作に消費され、半分くらい終わったと思ったが、そんなに終わっていない上に時刻はもう午前の授業が終わって少し経っていた。こんな事なら昨日くらいからやっておけば良かったと既視感のある後悔をした。きっとあの人もこんな感じだったのだろうか。

 仕事にひと段落つけてそろそろ昼食にするか、なんて思いながら保健室を後にしようとした時。外から嫌な気配を感じた。

「先生、待ってください!」

「翼くん、待って!」

 どうやら今日は嫌な予感は当たってしまうらしい。そんな事を思いながら小さくため息を吐く。新年度が始まって約四時間半。

 二人は俺から見ても魅力的な女性だ。きっと今のこの状況を思春期真っ只中の男子生徒が見れば羨ましいと少なからず思うだろう。

 だが、翼は違う。正直言って曖昧にぼかすしかできないこの現状にもどかしさを覚えている。優れた容姿が異性から好まれるのは知っている。だが、数を熟す《こなす》につれて価値観が下がっていく。だから彼女たちに興味がない。そんな理由ではなくそれなりの理由がある。

 翼は人の気持ちに、心理を読むことに長けている。故にラブコメの主人公さながらの唐変木ぶりを発揮するのは無謀なのだ。

 そんな他人からの好意なんて気が付かない方が幸せだと思う。しかしそうでないのだから仕方がない。だから一目惚れされたならその好意を削ぐように心掛けている。勿論例外もいる。この二人がその例外だ。

 二人の好意は素直に嬉しいが、今の翼にはその好意に答える事はできない。それは別にハーレムを堪能していたいとかではない。

「いや、わざわざ昼休みにここでご飯食べる必要なくないですか?」

 小手調べにジャブを打つ。勿論そんな口撃で強敵二人は止まらない。

「私は先生にお弁当を作ってきたんです!」

「私だって翼くんに弁当作って貰ってるもん!」

 面倒な張合いが始まった。正直言ってこの場から逃げ出したい。

 特に今日の翼の嫌な予感の的中率が一〇割なので、こんな考えに至った時点で逃げるが良策。善は急げだ。

 だが、答えが纏まるよりも早くこの場の展開が進んだので、逃げる事は出来ず、嫌な予感も的中し続け、平凡な昼休みが遠のいて行く。

「「どっちと食べたい!?」」

 どうして新年度早々にこんな修羅場に巻き込まれなければならないのか。頭を抱えながらそう思う。

 それにどうしてそんな事を聞くのだろう。考える事が面倒な訳ではない。しかし、互いに傷付けない為に自分を磨耗させるのは気が引けた。二人が求めているのは二者択一で、俺の出す答えはそうではない。だからそんな自信満々な瞳をこちらに向けないで欲しい。

 彼女らの望むものではない答え。それを自分が削れる感触を感じながら伝えた。

「どっちも帰れ。美咲先輩は職員室の冷蔵庫にお弁当があるのでそれを職員室で食べてください––」

 言葉の繋ぎ目に美咲の顔を横目で確認すると、案の定口がへの字に曲がっていた。その傍らで小倉の機嫌が良さそうに笑っている。

「……んで、小倉の弁当はありがたく貰う。だからお前も自分の教室に帰れ」

 今度は先程とは全くの逆の状況になっていたのは言うまでもない。

 だが、この二人がそう簡単に引く訳もなく、この状況を打破する策略を考えながらまだ保健室に居座ろうとしている。

 どうせ、このままではただ時間が過ぎるだけだと知っているので、こういう時の有効な打開策を翼は知っていた。

「小倉、ここを引いてくれたら放課後勉強を教えてやる。確かお前は事務所に所属しながら進学する予定だろ? お前の答え次第だが、教師として協力はする」

 その言葉を聞いてパッと顔を輝かせながら「二人きりですよ?」と言い、顔を隠しながら自分の教室に戻っていった。

 乙女心を利用してしまったことに少しばかりの反省の色を見せながら、保健室にいるもう一人の方を向いた。

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