第4話 新年度

 ◆4月◆

 委託契約を結んだ営業先での商品説明に始まり、販売と経営のサポートを行うこの業務。

 顧客に最適な商品を提案できるよう売上アップにつながる様々な支援を行うのだが、担当する地域やマーケットの特徴、取り扱う商品などによってアプローチ法も変わるので自社商品への理解を得るための知識や制度・法律などの専門知識を併せて自ら学びつつ、営業戦略や目標を立ててその指導に併せて営業先の人材育成や新規開拓なども担う、むにゃむにゃ―――。


 てな感じでリクルートサイト内に紹介される、とある金融業界の営業職。それが、時にヒイヒイ言いながら従事している俺の職務だ。

 体験談なぞ検索すれば『キツい』としか書いてないのも事実。ノルマ達成が大きなカギで新規契約を得るのも重要事項だが、逆に契約が減るなんて事は一大事。この年齢トシで落ちる雷に肩を竦めながら怖ーいお叱りを受けねばならない。

 だが、俺は人一倍承認欲求が強い男。

 ちょび髭オヤジの叱責なんぞ右耳から左小鼻へと聞き流せという初任地の元上司の言葉を胸に、(事務方女子の可愛い笑顔と)営業先からの有り難い感謝の声を、職務を全うする活力とさせて日夜励んでいる。

 だからこそ実直に信頼関係を築き上げ、尚も保ち続ける能力は必須だと考えて腰を下ろしての対話を欠かさないのだ。

 茶を飲み雑談に花を咲かせているように見えても決してサボってるわけじゃないので、誤解なきよう。


 さて、本日はカウンター越しに短時間で済ませる営業先が多いなか、最後の巡回場所となるこちらの事務所では、契約業務を担う所長との付き合いの長さを物語る砕けた会話の中でり気なく現状の探りを入れてみる。

「ぷっ、君らしくないね、普段通り直接聞けばいいじゃない。『新規契約は入りましたか?』って」

「あー、バレてましたか。で、どうですかね」

「以前に聞いた新商品に興味を抱いた方が居てね、もう一押ししてみるよ」

 うおぉぉ、マジか、相変わらず神だな!

 胸中でしっかりとガッツポーズをすると、

「失礼します」

 見掛けない顔ぶれの女子が不慣れな様子で慎重にコーヒーを運んできた。

 真新しい制服に白いブラウス。ハーフアップに結い上げたセミロング丈の髪がサラリと揺れ、緊張気味の大きな瞳は盆上のカップに注がれている。

 お、これは、もしかして……。

「今春に仲間入りした、ナツミさん」

 やっぱり、新人ちゃんか。

 その初々しさに、ほっこり。

 あれ、待てよ?

 所長このかたって女子を下の名前で呼ぶような軽い性格だったか?

 俺の中にある〈良識人〉という印象が崩れ始めた所長の紹介に同調し、初対面で馴れ馴れしくその名を呼ぶわけにもいかず、戸惑うと、

「名前のような姓でややこしいですよね」

 新人ちゃんが、零さぬようにと恐る恐るカップを出しながら苦笑して挨拶をする。

夏見ナツミ トウコと申します」

 あー、なるほど、そういう事ね。

「営業の柏葉です、よろしく」

 新人らしく名刺を恭しく受け取る緊張気味の笑顔もさることながら、必ずピタリと合わせてくる真っ直ぐな瞳が実に印象的だった。



 ◆5月◆

 ネット社会の普及により既存の各業界は厳しい状況下にある。それは俺の属する世界も同じ。

 年月を掛けて足を運び汗水流して築いた縁をオフィスの椅子にどっしり腰掛けて端末と見合えば造作もない上に、続々と参入する新規事業者にあっという間にかっ拐われる危険性を孕んでいる。

 そうかと思えば煩雑な作業が簡略化されるという利点もあり、そうして出来た隙間時間に落ち着いて問い合わせを受ける余裕が生まれるなど悪いことばかりでもないのも事実。

 ま、社会とはそういうもんだ。

 ちなみにこの返答業務がまた神経を使うのだが、語りだしたらキリがないのでこの辺で。


 先月の営業で聞いた一押しが有り難いことに功を奏し、新規契約手続きのために当月二回目の訪問と相成ったこちらの事務所。我が社と提携した業務は副事業で細々としたものだが、本事業は中規模といったところか。十人ほど居る職員の男女比率は半々で年齢層も幅広く、殆どが所長を始めとする有資格者の補佐として業務に当たっている。

「こんにちは、お世話になっております」

「お疲れさまです、よろしくお願いします」

 事務リーダーの職員から書類一式を受け取る。

 どうやら所長は不在のようだ。

 先ずは、受付カウンターで契約内容を通読する。

 さて、如何なるものとなったのか?


 ふむふむ、わお。

 なかなかにエグい契約。

 ちゃっかり感があちらこちらに見え隠れ。

 頭が切れる方は凄いな。

 今後、逆らうのは止めておこう。

 したことはないけどな。

 さて、それでは手続きに入りますか。


 作業の合間にふと新人ちゃんが視界に入る。

 書類と電卓を交互に見つめ、覚束ない手つきでキーを叩いてる。先月の来訪時に『専門知識の事前習得者が多い業界に全くの未経験者』と所長が話していたが、やけにその姿が微笑ましい。俺の電卓スキルも毛が生えた程度だから妙に親近感が沸くのかも知れない。

 頑張れよ、新人ちゃん!

 密かに応援すると、それを察知したかのように新人ちゃんがおもむろに手を止めて姿勢を正す。しまった、と思い視線を外すと、小さく天を仰いで微かな溜め息とともに一拍の不動、からの押下を再開する姿が目の端に。

 もしや、何度やっても合わないヤツか?


 判るわー、その気持ち。

 そのうち〔=〕キーを連打したくなるんだよな。

 焦りと苛立ちで頭を掻き毟りながら、さ。

 女子だから、さすがにそれはしないか。

 でもさ……もう少し肩の力を抜きなさいよ。

 集中し過ぎて眉間にシワ寄ってるし。

 そんなに只ならぬ顔をしていたら勿体ないぞ。


 俺には妹が居るせいか年少者にはつい甘くなる。

 どうにかして緊張をほぐしてやりたい、と様子を窺いチラ見を繰り返すこと、三度目。

 おぉ、バチッと目が合った!

 先ずは警戒心を解くべく僅かに口角を上げると、営業スマイルが返る。その対応はお見事。他の職員を素早く見回すと、俺達に気付かぬ様子で各々の業務に徹している。

 よし、ならば今のうちだ!

 眉根を寄せてこっそり新人ちゃんの顔真似をし、さり気なく指で『眉間を広げよ』のサインを送る。

 果たして、通じただろうか?

 新人ちゃんは意図を汲んだようにハッとすると、突然ぎゅーっと眼を瞑り顔全体を中心に寄せるが如く口元を結ぶ。そして、ぐーっとりきんでパッと解放。最後に照れながら小さい会釈を向ける。

 てっきり、頬をパシンと叩く王道のリセット法かと思いきや。あれは、もしかして筋弛緩法ってヤツなのか?

 それにしても……。

「ぷっ、ぷぷっ……くふふ!」

「ん? どうしたの、柏葉くん?」

 やべっ!

 新人ちゃんを一同の目に晒さぬよう配慮した筈が、これでは逆に悪目立ちだ!

「いや、何でもないです、すみません……ぷぷぷ」

 ダメだ〜、堪えきれね〜!

 まさかの顔芸に思わず吹き出してしまう。

 新人ちゃんにチラリと目を遣ると、さらツヤ髪を一つに纏めたせいで丸見えとなる耳を紅く染め、ぷにぷにと触れながら必死に電卓を打ち込んでいた。


 うわっ、やっちまった!

 マジで笑ってゴメンなさい!

 今度、ちゃんと謝罪しないと。

 でも、さっきの顔……正直、可愛かったわ。



 ◆6月◆

 時の流れと共に進化する技術力。必須事項を手書きで作成していた複写式の契約書類が、今やタブレット端末を片手にポンポン、署名もタッチペンでサラサラ、で終わってしまう。

 じきにオンラインで全営業の仕事が事足りるようになったりして。便利になるのは良いが対面なしに完結するのは寂しいなぁ、とちょっとブルーになる、今日この頃。


 さて、今月の新人ちゃんはどんな具合ですか?


 これまでは会話を目で追うのが精一杯という感じだったが、周りに馴染んで相槌を打つようになった。年齢の近い同僚ちゃんとの仲が深まったのも理由の一つのようだ。

 俺が赴くと所長のみならず総出で温かく迎えてくれるアットホームなこの事務所。訪問内容の大半を雑談が占める事は、営業職に有りがちなここだけの秘密だ。

「柏葉くん、ゴルフの腕前は上がったのかい?」

「今のワタシにそれを聞きます? 打ちっぱなしも行けないくらい超ーっ忙しいんですよ。というわけでもう一声!」

「毎月なんてムリだよ、他を当たりなさい」

「うぐっ、即答!」

 ははは、うふふ、と職員の声が混ざり、新人ちゃんの顔には柔らかな笑みがこぼれる。

 

 うほぉ、何という癒やしなのでしょう!

 これは危険だ。

 調子づいて、馬鹿話を振りたくなるではないか!


「そうだ、聞いてくださいよ。

 先日、実家に行ったら妹とうっかり喧嘩をしまして、むこうが怒って出て行っちゃったんですね。暫くして戻るも、これが全く口を利きやしない。仕方無しに放置してワタシは車で帰宅したんですけど、その道中、歩行者とやたら目が合うんですよ。

 『あれれ、ワタシの魅力がだだ洩れ中?』と上機嫌でコンビニに寄って助手席側に回ったら……何と若葉マークがそこかしこに貼ってあって! 仕返しが子供染みてて情けないと思いません!?」

 シーーン。

 あらら、やっちまったか?

 ぷっ。くすくす。うふふ! あはは!

 一瞬の沈黙の後に、爆笑の渦が巻き起こる。

「妹さん、やるなぁ」

「どこから来るのかしら、その発想力」

「誰かに仕掛けてみたいよ、それ」

 どうやらうまい事いったようで、ホッとする。

 だが、所長からいただくのは厳しいお言葉。

「いつまでも引き摺ってるキミの方が、大人げなく感じるけどね」

「嘘でしょう、ワタシの味方は何処ですか~!?」

「今日もその状態で来てたら、一人くらいは居たかもね。夏見さん、コーヒーのおかわりをくれる?」

「はい、ただいまお持ちします……くすくす」

 げんこつを口元に運んで目を細める新人ちゃんが立ち上がり、空になったカップを下げ始める。

「ワタシは、ブラックでお願いします」

「わかりました……ふふふ!」

 これ迄になく和らいだ数倍増しの笑み――と言うよりも〈この人、可笑しい〉が正しいのだろう。

 恐らく、こんなみっともない事をベラベラと喋る俺の評価はだだ下がりだろうが滅茶苦茶ウケたようだし、何よりも力みの取れた自然な表情に二度も癒されたから。

 うん、良しとしよう。

 次回は、話題を振って参加させてみるか。

 今後のためにも、親睦は深めるに限るしな。

 今時の女子はどういう内容なら食いつくんだ?

 やっぱり、スイーツ関係か?


 一頻ひとしきりお付き合いいただいた世間話から業務に戻る御一同。所長と今後の営業方針などを確認しながらもたまに脱線する俺の話が耳に入るのか、応接コーナーから見える新人ちゃんが時折肩を震わせる姿に何故か気恥ずかしさを覚える、俺。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る