第6話 『夏』見ちゃん、と呼ぶのは失礼か?
◆7月◆
『今年の梅雨も、間もなく明けそうです―――』
気象予報士が電波の向こうで解説を始めると同時にエンジンを切り、改正したばかりの商品一覧を手に例の事務所へのドアを開く。
「こんにちは、お世話になってま……おや?」
この日は偶然にも職員の大半が所用で出払っており、所長を除く留守番は新人ちゃんと同僚ちゃんの二人のみ。
そうか。
ならば落ち着いて話が出来そうだ。
「あの、申し訳ありません、只今来客中でして。えぇっと……」
新人ちゃんが困惑気味に受付へ立つと、お茶出しを終えた同僚ちゃんがすかさず救いの手をのべる。
「柏葉さん、どうぞお上がりください。私の席をお貸しします」
「お、サンキューです」
「ふ、ふにぇっ!?」
んんん?
今、俺の返事に猫の鳴き声が被ったような……。
気のせいか。
では失礼して、と席に座る。
右を向けば新人ちゃん、左を向けば同僚ちゃん。
「これは、もしや〈両手に華〉的な?」
「あー、それを言いますか。他社の営業担当によるセクハラ案件発生と所長に伝えておきますね」
ちょっと待って。
何を仰るのかな、同僚ちゃん?
「私……お茶を淹れてきます」
いや、違うよ、新人ちゃん。
変な意味で言ったんじゃないんだよっ!
「とうとう、やらかしましたね、柏葉さん。ん~、ドンマイ!」
言葉とは裏腹に明るく見せつけるサムズアップ。
新人ちゃんより数年早く見知った同僚ちゃんの〈くっきりハッキリS体質〉に、タジタジの俺。
心臓に悪いわ〜、マジで、頼むよ〜。
俺のコーヒーが来る前に先客が去り、奥の応接コーナーへと移動する。新人ちゃん達の席はここから近く、お茶出しの後も休憩時間の様に他愛もない話で盛り上がる。
どうやら、新人ちゃんが車を購入したらしい。
それはいいことを聞いたぞ。
新規契約者獲得を目論む、営業部のホープ(?)こと俺の腕の見せ所じゃないか!
鼻息荒く、しゃしゃり出る。
「車種は? 自動車保険は継続?」
「こ、国産メーカーで、確か保険の更新は半年先かと……」
おっと、しまった!
女子に車の話を振っても即答出来るわけないじゃないか、俺のバカ!
戸惑う新人ちゃんを余所に、所長と同僚ちゃんが入手したばかりのその印象を語りだす。
「可愛いというより凛とした車だね」
「絶妙な安定感で乗りやすいらしいですよ」
「「総じて〈いいクルマ〉!」」
べた褒めされて照れたのか、新人ちゃんが俯いて二人の発言を手で制し、か細く呟く。
「そこまでにしてください。分不相応な身には過ぎる車だと自覚しているので、恥ずかしいです……」
それは、どういう事なのか?
意味深な台詞が気になり訊いてみるが、
「これ以上は守秘義務を遵守させていただきます」
きっぱりと断られてしまった、残念。
では、ここで一つ閃いたので、ご提案をば。
「もし慣らし運転をするならば、俺の取っておきのドライブコースを教えるよ。遠すぎず近すぎず、空気も美味くて走りやすい場所って、近辺に結構有るんだわ。だてに外回りはしてません、てね。一緒にお薦めのご飯屋さんも付けておくよ、どう?」
「ぷぷっ、お待ちなさい。柏葉くんの言う安くて美味い男飯屋は、確実に女子向きではないよ?」
「しまった! 確かに、ワタシ好みの店じゃ落ち着かないですね」
うーん、所長のご指摘、ご尤も。
それでもめげずに俺のプレゼンは続く。
「ならば飯屋は抜きにして、初心者向けだとこの辺りとか最高なのではと。片側一車線で中央線もちゃんと有るからご心配なく。道に不慣れなら助手席でナビするよ、いつでも言って。ほら、女子は地図が苦手っていうじゃん?」
「え? えと……いや、あの、地図は得意なので」
「そうなの、凄いな。じゃあ、ルートだけ書いておくよ。判りにくいなら詳しく説明するから遠慮なくどうぞ」
「あ……りがとうございます」
片耳に手を遣りハニカミながら、渡したメモと俺へ交互に向ける真っ直ぐな眼差し。
改めて思う。
必ず目を見て話すその姿勢、いいよな。
職務上、数多の担当者の応対を受けるが視線を合わせずに完結される事もまま有り、そういう態度は……ともすれば自分が認識されていない錯覚に陥りそうで不安になる。
お前はダメなヤツだと言われ続けた、あの頃を思い出してしまいそうで―――。
いかん、いかん。凹んでる場合ではない。
そう、意外な地図読みスキルに驚いたのだった。
うんうん……あれ?
そう言えば俺、新人ちゃんに何か口走ってたか?
◆8月◆
車内はエアコンがんがんで涼しいが、ひと度外気に触れれば背中に汗が伝っていく。厳しい日差しが窓ガラスを透過してワイシャツ越しに右腕の肌をじりじりと焼くなんて事も、日常茶飯事。
これは外回りの悲しい運命。
だが、クールビズ推奨社会よ、ありがとう。
上着とネクタイがないだけでこんなに楽だとは!
脚で稼ぐ営業ならば日傘をさせば涼しさ倍増? だろうが、俺なんかが使ってたら笑われるのは必至だな。
春から数えること半年という時の流れと先月の車談義で、漸く新人ちゃんとの距離が縮まった。訪問時のニッコリ会釈がほんわか挨拶へと無事に進化を遂げたのだ。
彼女が外勤から戻った場面に
「お疲れさん、ちょっとサボってコーヒーでも飲みに行く?」
「くすくす、こんにちは。事務所前ではさすがに厳しいですし、私は紅茶派なので。もう、お帰りですか?」
「いいや、これから。早く着いたから車内待機してたんだ。重いだろ、荷物を持つよ」
「力持ちなので、これくらいならば大丈夫ですよ」
「そうなの? ウチの女子は喜んで預けていくけどな。しかも追加・追加のてんこ盛りで」
「それでは、てんこ盛りの時にお願いします」
「その時はお任せあれ」
ビルの共有ドアを開け、階段を昇る。
「夏見ちゃ……さんは、一人っ子?」
「弟が二人居ますが、長子らしくないと良く怒られます。マイペースなんですよね」
「それは、自信と落ち着きがあるって事だな。俺は、兄と妹に挟まれたせいか色んな意味で騒がしい」
「なるほど納得……おや、三人ですか? 〈上〉も〈女きょうだい〉も居て羨ましいです」
「何だかな〜。先ずは〈騒がしい〉を否定して欲しかったけど、まぁいいか。確かに〈上〉がいるのは長子の憧れだって聞くよな」
「兄、姉については、無い物ねだりが過ぎますね」
「あはは」
「うふふ」
おー、結構打ち解けてきたんじゃないの、これ?
何かと他人が気になり構いたくなるお節介な性格が役立って良かった、と実感。
いやいや、新人ちゃんの思った以上に気さくな雰囲気がそうさせただけだから、自惚れんなよ、俺。
話し込むうちに、気付けば事務所前に到着。
ガチャ。
「どうぞお入りください」
何てこったい!
俺が開けるよりも先に促されてどうするよ!
あれから週が変わり、社内研修のために巡回作業は後輩にバトンタッチ。しっかりと仕込んだはずだが、あいつ、ちゃんとやれてるかな?
無意識に、蛍光ペンをくるくると回す。
暑い最中ではあるが快晴の青空を窓越しに見ていると、外勤したい、と心が疼きだす。ひと度走り出せば疲れしか残らないくせに、交通量の少ない道程を疾走して得る解放感はある種のストレス解消なのだ。
ぷしゅっ。
参加者と談笑しながら休憩時間に缶コーヒーを開け、一口飲んで思う。
悪くは無いんだけどな。
こんなのじゃなくて。
カップに注がれた温かいのが飲みたい。
紅茶派がドリップで作る、色からして薄味の初回から数を重ねる毎に美味しくなってきた淹れたてのコーヒーが、今は無性に飲みたくて仕方がない。
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