第24話 この惨憺たる想い
壁掛け時計の長針が天辺を指してメロディと共に午後五時の終業を告げると、所長が労いの言葉をかけて定時退社を促す。
「今日もお疲れ様。皆さん、あがってください」
「お疲れ様でした」
退勤時、女子職員の更衣室と化す給湯室で数名が制服から私服へと着替える。
「夏見ちゃん、今日は随分とラフな服装だね」
先輩の指摘に、普段はこんな感じだと伝える。
「意外だけど、そういうのも似合ってる」
笑顔で答えてくれると、やはり嬉しいものだ。
「では、お先に失礼します」
同僚と事務所を後にする。
階段を降りて共有ドアをぐっと押せば、初冬のヒヤリとした風が前髪を靡かせる。
職員専用の駐車場までは徒歩五分。同僚は駅まで向かうため普段は途中でサヨナラだが、今日は通勤を電車に変えたので共に進む。
「ねぇ、今日って柏葉さんと会うんだよね?」
「そうだけど、どうして?」
「デートにしては、その……」
「必ずお洒落しないといけない規則でも?」
「そうではないけど……何かあった?」
「有るといえば有るし、無いといえば無い、かな」
「同期のお姉様の話、やっぱり詳しく聞くの?」
「誰しも過去は有る。サクッと聞いて、忘れるよ」
「今はトウコ一筋で間違いないから、安心せい」
「デスよね〜♪」
「結局ノロケかよ、言うんじゃなかったわ!」
あはは!
「じゃあね」
「また明日」
駅の南北口を結ぶ連絡通路にあるコーヒーショップへ入り、ミルクコーヒーを注文して窓際に座る。
ここなら互いに見つけやすいだろう、との配慮。
昨晩、『会いたい』と急なお願いをした。
ならば前回のビストロへ行こうと誘われたが、そこまで時間がないと断った。
少し言葉を交わせれば十分だから。
あなたを待つ間、言うべき台詞を頭の中で何度も復唱する。滅多に口にすることのないその言葉はより一層の緊張を誘い、心臓がはち切れんばかりにドクドクと鼓動を打つ。
先日のビストロでの出来事は内気で臆病な私を大きく変えた。
伝えるべき想いは口に出してこそ意味を成す。
もう迷わない。
一人で悩むのは無駄でしかないから。
◆ ◆ ◆
『次月は忙しくなるので、その前に会いたいです』
昨晩、突然のお誘いを受けて駅まできた。
最近のきみの行動に、俺はときめきを隠せない。
実を言うと、ビストロの件と見舞いの余計な一言の穴埋めをしたかったので有り難いお誘いだった。
連絡通路のコーヒーショップの窓際に座るきみ。
店内装飾で見えづらいが、俯いている様子からスマホで暇をつぶしているのだろう。外への確認も忘れる程にのめり込んでるのは何なのか、早速聞いて俺も登録してみよう。
コンコン、と窓を叩くと店内へと呼ばれたのでブレンドコーヒーを注文してきみの元に向かう。
おや、今日はこれまでと雰囲気が―――違う。
夜になれば肌寒くなる季節に合わせたのか、ゆったり目のスウェットパーカーに黒のスキニーとスニーカー。髪は無造作にお団子で纏め、胸にはボディバッグを着けたままでカップを両手で包み込む。
「ジーンズとは、珍しい。初、だよな?」
声を掛ければ、
「普段はこんな感じですから」
にこやかに答えが返る。
いうなれば年相応のカジュアルスタイル。どのデートでも見たことのない姿につい違和感を覚えてしまうが、俺だって部屋着はジャージだしな、と軽く納得して席につく。
この後、きみは高校時代の友人とカラオケに行くそうで、その僅かな時間を使ってでも俺に会いたいと思ってくれたことにどれだけ感謝しても足りないくらいだ、と胸中でデレまくる。
「集合は何時?」
「十五分後です。場所は駅前だし時間も余裕が有るので、もう少し話しててもいいですか?」
「俺は全然構わないよ。どんなの歌うの?」
「専ら聞く方ですが、ちょっと前の曲とかですね」
「そうなんだ。今度聞かせてよ」
「恥ずかしいから駄目です」
「何だよなー」
うふふ、あはは。
笑いの後、きみはこくんと喉を潤すと両手を添えるカップを見つめながら口を開く。
「柏葉さん、これからの事でお願いしたいことが有るのですが、聞いてもらえますか?」
「ん? えーっと……そうか、来月からちょっと忙しいんだっけ。うん、何でも言ってよ」
また一つの違和感、名字に戻ってる?
花火大会以降の〈アキヒロ〉呼びは何処へ?
「今日で会うのを終わりにしてくれませんか?」
「そんなに忙しくなるの?」
「ではなくて、私達の関係を終わりにして欲しいんです」
「……え?」
「今日来てもらったのは、それを伝えるためです。騙したつもりはないのですが、ごめんなさい」
「……ちょっと、何を言ってるか、わからないんだけど」
「正直に言って、苦しいんです。六歳差って、じわりと現実を突き付けてきて」
呆然とする俺の脳に、俯くばかりのきみから放たれる言葉の波がどっと押し寄せる。何とか理解できた話を要約すると、こういう事らしい。
惜しみない優しさには心から感謝している。
でも、自分は貰うだけで返せない。
見返りは求めないと言われても、対等で居たい自分には金銭面、精神面、経験値の全てが足りていない。必死に追いつこうとするもその背伸びすら苦痛でしかなくて、今となってはとにかくツライの一言しか思い浮かばない―――と。
確かにきみは同期に言っていた。
何も返せない、任される域に達してない、と。
人それぞれ確固たる信念が有るからこそ、配慮は不要だと何度も伝えたところで即日で変わることは難しい。ならば、ゆっくりと歩み寄ればいい話。
なのに、きみが導き出すのは俺との……別れ?
突然の告白に頭は真っ白だ。
ずっと、上手くいっていると信じていた。
だって、いつも嬉しそうに俺を見つめて楽しそうに笑ってたじゃないか。
同僚ちゃんの怒りの通り、態度で示せてれば何かが変わったのか?
同期の助言の通り、言葉に出していれば避けられた状況なのか?
動揺を抑えてきみの言葉を反芻すれば、ここまで追いつめていたことに愕然とするしかなく。
その上で答えは出さなければならず。
「そ……んな思いをしてたなんて、全く気付きもしなかった。本当に、ごめん。苦しいって、相当だよな。言ってくれたら……って、遠慮させたのは俺なのに、責めるなんて以ての外だな、ごめん」
ここで一息つき、先に続けるべき言葉を探す。
アレだけは言いたくない。
絶対に言いたくないのに。
言わねばならないあの言葉だけが脳裏に浮かぶ。
「俺……苦しませてまで無理矢理付き合わせようなんて思ってないから……別、れ、よう……これで終わろう。うん、そうしよう。でも、職場では変わらず話して欲しい。これまで通り兄貴みたいに頼ってくれると嬉しいって、図々しいか、ははは」
今、引き出せる語彙を総動員してきみを解放すべき一言を伝えると、きみはカップにぶつけるのでは思う程に頭を垂れて震える声で呟いた。
「わがまま言って、すみません……」
同期に面と向かって想いを伝えてくれて、見舞いの時にやっと甘えてくれて、これまで一切ワガママなんて言ったことがないのに初めてのワガママがこれとは。
俺は自分を良く見せることだけに必死で、きみからのサインを見逃し続けてしまったわけだ。
本当に……情けないポンコツ野郎だ。
きみは専用カップを持ち、一礼して席を離れる。
あと俺に出来るのは、互いに尾を引かぬよう、努めて明るく最後の言葉をかける事くらいか。
「カラオケ、楽しんできてな」
俯きっ放しの顔がハッと上がり、漸く目が合う。
「……はい、失礼します」
そう呟いてきみは足早に去っていった。
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